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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第四章 古都テンペタ・フロップス編

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45、スパイ・カコ、石ころひとつ携えて




 朝というのは、いつだって容赦がない。

 誰かが空の向こう側で巨大なカーテンを「ほら起きろ!」と勢いよく引き開けたみたいに、光が網膜を焼くのだ。

 特に、昨夜遅くまで「本当にこれでいいのか会議(脳内開催・参加者一名)」を繰り広げていた人間にとっては、爽やかな朝日はただの嫌がらせに近い。


 古都テンペタ・フロップスの朝は、無駄にいい天気だった。

 窓を開けると、整備された石畳の街路を吹き抜ける風が、どこかのパン屋が焼く小麦の香ばしさと、路地裏の湿った苔の匂いをブレンドして運んでくる。観光都市としての表の顔と、何やらきな臭い裏の顔。その両方を象徴するような匂いだ。


 わたしは大きく伸びをして、首の骨が鳴る音を体内で聞いた。

 吸血鬼の肉体になっても、寝起きのダルさまでは改善されないらしい。不老不死のオプションに「朝、スッキリ起きられる機能」がついていないのは、設計ミスだと思う。神様か誰か知らないけれど、次のアップデートではぜひ実装してほしい。切実に。


 部屋の中央にあるテーブルでは、すでにすばるが鎮座していた。

 優雅に紅茶を啜っているその姿は、千年の時を経た賢者というよりは、単に「朝から機嫌の悪い猫」に見えなくもない。あるいは、孫の成長を見守る隠居老人か。見た目は十歳児なのに、漂う加齢オーラが半端ではないのだ。



「おはよう、七色どれみ。顔が死んでいるぞ」


 挨拶の代わりに飛んできたのは、辛辣な観察結果だった。


「おはよう、弟よ。姉の美貌を朝一番に否定するなんて、いい度胸ね。思春期特有の反抗期かしら」


「事実を述べただけだ。鏡を見てこい。今の顔は、三日煮込んだおでんの大根みたいだぞ」


「味があるってこと? ポジティブに受け取っておくわ」


 わたしは適当に返しつつ、向かいの席に座った。

 そこには、もう一人。

 カコちゃんが、借りてきた猫のように背中を丸めて座っていた。


 昨日の夜、わたしたちは話し合った。


 彼女をここから逃がすか、それとも戦うか。

 わたしは逃がしたかった。こんな小さな子を、あんな虎の穴みたいな場所に戻すなんて正気の沙汰じゃない。


 でも、カコちゃんは譲らなかった。


『うちだけ逃げるわけにはいかん。あの子らを見捨てたら、うちは一生後悔する』


 その震える声と、強すぎる眼差しに、わたしの方が折れたのだ。


 彼女の目の前には、宿の朝食である焼きたてのパンと、野菜のスープ、そしてベーコンエッグが並んでいる。どれも湯気を立てていて美味しそうなのだが、彼女の手は動いていない。


「カコちゃん、食べないの? 冷めちゃうよ」


 声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、上目遣いにわたしを見た。

 その目は、昨日よりも少しだけ落ち着いているけれど、やっぱり深いところには恐怖が沈んでいる。

 これから自分が飛び込もうとしている場所の恐ろしさを、誰よりも知っている目だ。


「……食べる」


 彼女は小さな声でそう言うと、パンを千切り、口に運んだ。

 一口食べると、スイッチが入ったように速度が上がる。リスが頬袋に詰め込むような勢いだ。


 生きるための食事。これから戦うための燃料補給。


 それを見ていると、胸の奥がチクリとする。この歳で、食事を「楽しむもの」ではなく「摂取するもの」として扱わなきゃいけないなんて。


「ゆっくり食べな。誰も取らないし、おかわりもあるから」


 わたしが言うと、カコちゃんは口をもごもごさせながら頷いた。

 さて、朝食が終われば、嫌でも現実に直面しなければならない。

 今日の予定は、ピクニックでも観光でもない。


 潜入工作だ。

 しかも、主役はこの痩せっぽちの少女である。


 食後の紅茶(統が入れたものだ。悔しいが美味い)を飲みながら、わたしたちは最終確認に入った。


「いいか、カコ。昨夜決めた手順を復習するぞ」


 統が教師のような口調で言う。


「はい」


 カコちゃんが居住まいを正す。


「まず、お前は孤児院に戻る。理由は『逃げようとしたが、行く当てがなくて戻ってきた』だ。恐怖と空腹で心が折れたふりをしろ」


「ふり、やなくて、半分ホンマのことやけどな」


 カコちゃんが自嘲気味に笑う。

 確かに、昨日の彼女は限界ギリギリだった。演技指導をする必要もないくらい、リアルな「敗走者」の顔ができるだろう。


「盗んだものについては?」


「『怖くなって川に捨てた』て言う。これがあれば、また変なおっさんに追いかけられると思て、パニックになってもうた、て」


「よし。それでいい」


 統が頷く。

 問題は、その言い訳が通用するかどうかだ。

 相手は、子供を労働力として売り飛ばすような連中である。大事な商品を盗んで逃げた家畜が、手ぶらで帰ってきたのだ。笑顔で「おかえり」なんて言うはずがない。


 折檻か、あるいはもっと酷い罰が待っている可能性が高い。


 わたしはたまらなくなって、身を乗り出した。


「ねえ、統。やっぱり心配だよ。カコちゃん一人を行かせるなんて……何かあった時、すぐにわかる方法とかないの?」


 いくら作戦とはいえ、丸腰で敵地に放り込むのはリスクが高すぎる。

 GPSとか、盗聴器とか、そういう便利な道具があればいいのに。


「……そう言うと思って準備しておいた」


 統は涼しい顔で、ポケットから何かを取り出した。


 一見すると、ただの石ころだ。

 河原に落ちていそうな、灰色で、少し歪な形の小石。漬物石にするには軽すぎるし、水切り遊びに使うには形が悪い。


「これ、なんやの?」


 カコちゃんが怪訝そうな顔で石をつまみ上げる。


「『念話石』だ。昨夜、そこらで拾った石に術式を組んでおいた」


「昨日の夜? いつの間に……」


 わたしが寝ている間に内職していたのか。

 相変わらず準備がいいというか、抜け目がないというか。


「魔力を通すと、対になっているもう一つの石と音声がつながる。トランシーバーみたいなものだ」


「とらんしーばー?」


「遠くの人とお話ができる道具だよ」


 わたしが補足する。


「お前には魔力があるから使えるはずだ。何かあったら、この石を握りしめて念じろ。こちらの声は聞こえないが、お前の声はこっちに届く」


 一方通行の通信機か。盗聴器に近いかもしれない。今の状況では命綱だ。


「そんなすごいもん、うちが持っててええの?」


「貸すだけだ。なくすなよ。それを作るのに、そこそこの手間がかかっている」


 嘘だ。

 さっき「そこらで拾った」って言ったばかりじゃん。


 でも、恩着せがましく言っておくことで、カコちゃんに「大事なものを持っている」という意識を植え付けたいのだろう。そういうところは、意外と教育熱心なのだ、この少年は。


「わかった。肌身離さずもっとくわ」


 カコちゃんは石を大切そうに胸ポケットにしまった。


「それと、もう一つ」


 統は、さらに小さな包みを差し出した。


「中身は干し肉と、高カロリーの携帯食だ。見つからないように隠し持っておけ。飯を抜かれた時の保険だ」


「……ありがとう、お兄ちゃん」


 カコちゃんの目が潤む。


 「お兄ちゃん」と呼ばれて、統の眉が一瞬だけピクリと動いたのをわたしは見逃さなかった。

 七千歳のお兄ちゃん。見た目はカコちゃんより小さいのに、なぜかお兄ちゃん呼ばわり。


 犯罪的な年齢詐称だが、本人が訂正しないなら黙っておこう。


「よし、出発だ」


 統が立ち上がる。

 わたしたちは部屋を出て、朝の光が満ちる街へと繰り出した。



 テンペタ・フロップスの街は、今日も平和な顔をして動いている。

 大通りを行き交う人々。開店準備をする商店の主人たち。観光客相手に声を張り上げる客引き。


 誰も、この街の地下で子供たちが食い物にされているなんて、知りもしないし、興味もないのだろう。

 平和というのは、無関心の上に成り立つ砂上の楼閣みたいなものだ。


 わたしたちは裏通りを選んで歩いた。

 セシール修道院は、街外れの丘の上にあるらしい。

 近づくにつれて、建物の影が濃くなり、人通りが減っていく。


 修道院の尖塔が見えてきたところで、わたしたちは足を止めた。

 これ以上近づけば、見つかる可能性がある。


「ここまでだ」


 統が言う。

 ここからは、カコちゃん一人の戦いになる。

 カコちゃんは、深呼吸を一つした。

 その小さな背中が、重い荷物を背負ったみたいに強張っている。


「……行ってくるわ」


 彼女は振り返り、わたしたちに笑顔を見せようとした。

 でも、唇が引きつって、うまく笑えていない。

 泣き出しそうなのを必死に堪えている顔だ。

 わたしは屈み込んで、彼女の目線に合わせた。


「カコちゃん。無理はしないでね。ヤバいと思ったら、すぐに逃げていいから。計画なんてどうでもいい。あんたの命が最優先だから」


 それは、本心だった。

 正義の執行とか、悪党への制裁とか、そんなものは二の次だ。

 この子が傷つくくらいなら、全部放り出して逃げたっていい。


「……うん。わかってる」


 カコちゃんは頷く。


「でも、うちはやるで。あの子らのためにも、うちがやらんとあかんねん」


 強い子だ。

 この理不尽な世界で、泥水をすすってでも生き抜こうとする強さが、彼女にはある。


 それに比べて、わたしはどうだろう。

 吸血鬼の力を借りて、安全圏から高みの見物をしているだけじゃないのか。

 そんな自責の念が、チクリと胸を刺す。


「頼むよ、スパイさん」


 わたしは彼女の頭を撫でた。

 髪は少しゴワゴワしているけれど、体温は温かい。


 カコちゃんは、もう一度大きく息を吸い込むと、くるりと背を向けた。

 そして、一度も振り返ることなく、修道院へと続く坂道を登っていった。

 その小さな背中が門の中に消えるまで、わたしたちは動けなかった。


「……行っちゃったね」


 わたしはぽつりと呟いた。


「ああ」


 統の声は変わらない。

 でも、その視線は鋭く修道院の方角を向いている。

 その手には、対になったもう一つの石が握られていた。




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