36、吸血鬼と太陽光と四次元ポケット
【2026/5月改訂】
エチゴヤと代官所をひっかき回した夜が明けた。
目が覚めたとき、ログハウスは静かだった。
体は寝たはずなのに、頭の奥だけまだ昨夜のまま、ちょっと熱っぽい。
で、やっぱりというか、案の定というか、統はもう起きていた。
机に向かって、昨日集めた書類を一枚ずつ見直している。
ほんと、朝って概念を必要としてない生き物みたいな背中だ。
「おはよう」
「おはよう」
ちゃんと返事は返ってくる。
返ってくるけど、声に温度はない。
「何かわかった?」
「特に目新しいことはないな」
統は書類から目を離さないまま答えた。
つまらなそうな声で、紙を一枚めくる。
「ただ、スマホ以外にも“異物”があるらしい」
「え? 異物? それって西脇さんの持ち物、みたいな?」
「いや、違うだろう。見つかった場所も、時期も、統一性がない」
時期も場所もバラバラ。
その言葉で、胸の奥がトクンと鳴った。
それってつまり、わたしや統や西脇さん以外にも、この世界に“落ちて”きた人がいるかもしれないってことだ。
もしそうなら、会いたい。
ものすごく会いたい。
右も左もわからないまま放り出されたときの、あの頼る先のなさを、わたしは知ってる。
今のわたしなら、あのときの自分よりは、少しは誰かの役に立てるかもしれない。
「その異物って、わたしの世界のものなの?」
「そこまでは断定できん。ただ、用途不明の道具類や、この世界にはない材質のものが一定数見つかっているらしい。連中は、どこか遠い異国の品だと思い込んでいるようだがな」
「人は? 人は見つかってないの?」
「ここにあるのは“異物”、つまり物品についての記述だけだ。もっともらしい由来も書いてあるが、十中八九でっち上げだろう」
統は紙片をひらりと振った。
「目録だな。競売用だ」
「……オークション?」
「正確には裏の市場だ」
嫌な感じが、じわっと膨らむ。
「それ、アリアさんに渡す前に控え取れる?」
「できる」
統が机の上をちらりと見た。
その視線の先にあったのは――
「あ。スマホ」
そっか。撮ればいいのか。
ちょっとこっちの世界に馴染みすぎてた。
てっきり統が、また何かよくわかんない便利道具を出してくるのかと。
「じゃあ撮影ね。内容の要る要らないは、統が見て決めて」
「わかった」
統は頷くと、もう一台、別のスマホを取り出して書類を撮り始めた。
やっぱり二台目も持ってた。
どこにしまってるんだ、それ。
ぱしゃ、ぱしゃ、と無駄のない動きで撮り終えると、今度は書類の束と、ひび割れたスマホをこっちに押しやってくる。
「そっちでも撮っておけ。あとで必要になるかもしれん」
「えっと……これじゃなくて、新しいのがあったり?」
「あるが、それで十分だ」
あるんだ。
「機能に問題はないし、そのスマホは七色が持っていた方がいい」
「……理由は?」
「勘だ」
はい出た。統の勘。
説明としては最悪なのに、当たるから困る。
「撮り終えたら、次元収納にしまっておけ」
「収納、まだ全然うまく使えないんだけど」
「練習しろ。アリアたちが街に着くまで時間はある」
そう言い切ると、統は流れ作業みたいに書類を寄こしてくる。
わたしが今どの段階でつまずいてるかとか、たぶんあんまり考えてない。
紙の大きさはバラバラだし、湿気で波打ってるし、折り目はあるしで、撮りにくいことこの上ない。
ぶつぶつ言いながらも、どうにか全部撮り終えたころには、朝っぱらからちょっと疲れていた。
「終わった……」
「なら次だ」
休ませる気がない。
統が渡してきたのは、厚めのスマホケースみたいな黒い板だった。
「これは?」
「ソーラーチャージャーだ。蓄電機能付きだから、モバイルバッテリーとしても使える」
わたしはソーラーチャージャーと統の顔を見比べた。
吸血鬼が、太陽光発電の道具を平然と渡してくる。
……絵面がひどい。
「えーっと、これも収納?」
「そうだ。しまっておけ」
「だから、その収納のやり方を聞いてるんだけど?」
「慣れるまでは、手で触れて収納だ」
「いや、その“具体的に”を!」
「手に持って仕舞う」
雑。
「だから、どこに?」
「次元収納に」
「どうやって!?」
「手に持って」
禅問答か!
頭を抱えたくなった。
こう、ぐっとやって、すっと入れる、みたいな説明で全部済ませようとしないでほしい。
「全然わかんないんだけど! もっと順序立てて説明してよ!」
「……七色はポケットに物を入れる方法を言葉で説明できるか?」
「できるよ。手に持って、ポケットに入れる。それだけ」
「次元収納も同じだ」
「同じじゃない! ポケットは見えるし、入り口もある!」
「七色は毎回、ポケットの位置や深さを確認してから物を入れているのか?」
「いや、そこまでしないけど……」
「進入角度を計算しているか?」
「しないけど!」
「なら同じだ」
「違うって! ポケットは触れるの! 次元収納は触れないの!」
「ふむ……」
統は少しだけ考える顔をした。
で、空間から濃緑色のサコッシュを取り出した。
「これを使え」
「なにこれ。マジックバッグ?」
「いや、ただの布製のサコッシュだ。百均で買った」
「百均……」
「その中が次元収納だと思って入れてみろ」
「どういうこと?」
「イメージの補助輪だ。そこに物を入れる動作を、そのまま次元収納に入れる動作だと思え」
「えー……地味。もっと可愛いのないの?」
「ない。それが嫌なら、お前の腹に大きなポケットを縫い付けてやろうか?」
「それは絶対やだ!」
即答して、わたしはサコッシュをひったくるみたいに受け取った。
異世界に来てまで、四次元ポケットの真似をさせられる危機があるとは思わなかった。
「それにスマホを入れてみろ」
「いや、失敗したら嫌だから、まずからの木箱で」
わたしは手近にあった小さな木箱を持ち上げて、サコッシュの口に近づける。
これはサコッシュ。
じゃない。
これは入り口。倉庫。クローゼット。とにかく、ここじゃないどこかにつながる穴。
――すっ。
入った。
「……普通に入ったけど」
「サコッシュの中にな」
「だよね!」
「その布の向こうが別空間につながっているとイメージしろ。そこは無限に広い倉庫だと思えばいい」
「無限に広い倉庫」
「そうだ」
「なんか夢があるのかないのか微妙だな……でも、やってみる」
木箱を持ち直す。
ここじゃないどこかへ落とす。
この布の向こうに消す。
そう思って、押し込む。
「あ」
手応えが、ふっと消えた。
「あー! 入った! 消えた!」
木箱はサコッシュの底にもたまらず、そのままするっと見えない方へ抜けていった。
これ、ちょっと面白い。
「次は取り出しだ」
「うーん……木箱、木箱……」
サコッシュに手を入れて、念じて、掴む。
出てきたのは木箱じゃなかった。
「え、チョコ?」
可愛い箱に入ったチョコレートだった。
「それは私が先に入れておいたものだ。イメージをしっかり持て。中に何が入っているかを感じ取れ」
なんだその、さりげないご褒美システム。
わたしは出てきたチョコをちゃっかり自分のポケットにしまって、もう一回サコッシュに向き直った。
「よし。今度こそ木箱」
「やれ」
そのあと数時間、わたしはサコッシュを開けたり閉めたり、物を入れたり出したりする、なんとも言えない特訓を続けることになった。
傍から見たら、空っぽの鞄に延々と手を突っ込んでる、ちょっと危ない人だと思う。
でも、おかげでサコッシュ越しなら、どうにか出し入れの感覚は掴めてきた。
たぶん、そのうち補助輪なしでもいける。
たぶん。きっと。そうだといい。
昨夜見たものの重さは、まだ消えてない。
でも、こうやって手を動かしてると、沈みっぱなしでいなくて済む。
やれやれ。
異世界で生き延びる技術ってやつは、吸血鬼とソーラーチャージャーと百均サコッシュから始まるらしい。




