36、吸血鬼と太陽光と四次元ポケット
エチゴヤと代官所をひっかき回した夜から、一晩が明けた。
目を覚ましたとき、ログハウスは静かだった。私の頭の中はまだ昨夜の興奮でボンヤリとしていたのだけれど、 案の定、統はすでに起きていた。
机に向かって、昨日集めた書類を一枚ずつ確認している。
朝という概念を知らない生き物みたいな背中だ。
「おはよう」
「おはよう」
ちゃんと挨拶は返ってくる。
返ってくるけど、声に温度はない。
「何かわかった?」
「特に目新しいことはないな」
統は視線を書類から外さずに答える。
つまらない、と言いたげな口調。そして、紙をめくる音だけが続く。
「ただ、スマホ以外にも“異物”があるらしい」
「え? 異物? それって西脇さんの持ち物ってこと?」
「いや、違うだろう。見つかった場所も、時期も、統一性がない」
時期も場所もバラバラ。
その言葉が、私の心臓をトクンと小さく叩いた。
それってつまり、私や統、それに西脇さん以外にも、この世界に「落ちて」きている人がいるということではないか。
もしそうなら、会いたい。猛烈に会いたい。
右も左もわからないまま放り出されたあの時の心細さを、私は誰よりも知っている。今の私なら、多少なりとも生き残るための手助けができるはずだ。
「その異物っていうのは、わたしの世界のものなの?」
「そこまでは断定できん。ただ、用途不明の道具類や、この世界にはない不思議な材質のものが、一定数発見されているそうだ。連中はどこか遠い異国の品だと思い込んでいるようだがな」
「人は? 人は見つかってないの?」
「ここにあるのは“異物”、つまり物品に関する記述だけだ。もっともらしい由来が書き添えられているが、十中八九でっち上げだろう」
統は紙片をひらりと振ってみせた。
「目録だな。競売用だ」
「……オークション?」
「正確には、裏の市場だ」
嫌な想像が、勝手に膨らむ。
「それ、アリアさんに渡す前にコピー取れる?」
「できる」
そう言って、統は机の上をちらりと見た。
そこにあったのは――
「あ。スマホ」
そうか、撮ればいいのか。
完全にこっちの世界の思考に染まってた。
てっきり、統が得体の知れない魔道具を出してくると思ってたのに。
「じゃあ、撮影ね。内容はわかんないから、取捨選択は統に任せる」
「わかった」
統は頷くともう一台、別のスマホを取り出してパシャパシャと撮影を始めた。
やっぱり隠し持ってたか、二台目。
撮影が終わると、統はその書類の束と、ひび割れたスマホを押し付けてきた。
「そっちでも撮っておけ。後で必要になるかもしれん」
「えっと……これじゃなくて、新しいスマホとかないの?」
「あるが、それで十分だ」
あるんだ。
「機能に問題はないし、そのスマホは七色が持っていた方がいい」
「……理由は?」
「勘だ」
はい出た、統の勘。
「撮り終えたら、次元収納にしまっておけ」
「収納、まだうまく使えないんだけど……」
「練習しろ。アリアたちが街に着くまで時間はある」
それだけ言い切ると、統は流れ作業のように書類を撮影しては、「はい次」とばかりにわたしに渡してくる。
わたしの理解度とか、完全に度外視だ。
紙の大きさはバラバラだし、長年の湿気を含んだようなシワや折り目がついていて、撮影しにくいことこの上ない。ブツブツ文句を言いながらも、わたしはなんとか全ての撮影を終えた。
作業が一段落すると、統が厚めのスマホケースのような黒い物体を渡してきた。
「これは?」
「ソーラーチャージャーだ。蓄電機能付きだからモバイルバッテリーとして使える」
わたしはソーラーチャージャーと、統の顔を交互に見た。
吸血鬼が、太陽光発電機を、私に手渡している。
シュールだ。あまりにもシュールすぎる。ブラム・ストーカーが生きていたら、「設定が破綻している!」と激怒して卒倒するレベルだ。
まあ、統に言わせれば「ストーカーこそが我々への偏見を広めた元凶だ」とのことらしいけど。
「えーっと、これも?」
「そうだ。収納しておけ」
「で、だから、その収納のやり方は?」
「慣れるまで、手で触れて収納だ」
「だからぁ、その具体的な方法を聞いてるの!」
「手に持って仕舞う」
埒が明かない。
「どこに?」
「次元収納に」
「どうやって!」
「手に持って」
禅問答か!
わたしは頭を抱えたくなった。説明が雑すぎる。天才肌の人間が凡人に教える時の、「ほら、ガーッとやってバーッてやればいいんだよ」というアレだ。
「全然わかんないんだけど! もっと論理的に、詳しく説明してよ!」
「……七色はポケットに物を入れる方法を言葉で説明できるか?」
「簡単じゃない。入れようと思う物を手に持って、ポケットに入れる。それだけよ」
「次元収納も同じだ」
「同じじゃない! ポケットは目に見えるし口が開いてるけど、次元収納は見えないし!」
「七色は、毎回ポケットを目視確認してから物を入れているのか? ポケットの深さや広さ、進入角度を計算しているか?」
「そりゃ、いちいち見たりはしないけど……あ! ポケットは触れるけど、次元収納は触れない。これは大きな違いでしょ!」
「ふむ……」
統は少し考え込む素振りを見せた後、空間から濃緑色のサコッシュを取り出した。
「これを使え」
「なにこれ? マジックバッグ? すごい魔道具?」
「いや、ただの布製のサコッシュだ。百均で買った」
「百均……」
「その中が次元収納だと思って入れてみろ」
「どゆこと?」
「イメージの補助輪だ。そこに入れる動作が、次元収納に入れることだと思い込んで使ってみろ」
「えー、なんか地味……。もっと可愛いのないの?」
「ない。それが嫌なら、お前の腹の部分に大きなポケットを縫い付けてやろうか?」
「それは絶対嫌! これで我慢する!」
わたしは慌ててサコッシュを受け取った。
まさか異世界に来てまで、四次元ポケットのコスプレを強要される危機に瀕するとは。
「それにスマホを入れてみろ」
「失敗したら困るから、まず木箱で」
わたしは手近にあった小さな木箱を手に取り、サコッシュの口に近づけた。
これはサコッシュじゃない、異空間への入り口だ……倉庫だ……わたしのクローゼットだ……。
――入った。
普通に。
「……サコッシュの中に」
「イメージしろ。その布の中は別の空間に繋がっていて、そこは無限に広がる巨大な倉庫だとな」
「わかった。やってみる」
念じる。
ここではないどこかへ。
「あー! 入った! 消えた!」
木箱はサコッシュの底に溜まることなく、スルリと虚空へ吸い込まれた。手応えがフッと消える感覚。これは面白い。
「次は取り出しだ」
「うーん……木箱出ろ、木箱出ろ……」
わたしはサコッシュに手を突っ込み、念じて掴み出す。
ポロン。
出てきたのは木箱ではなく、可愛らしい箱入りのチョコレートだった。
「え! チョコが出たけど!?」
「それは、私が先に入れておいたものだ。イメージをしっかり持って、その中に何が入っているかを感じ取るようにしろ」
統なりのアメとムチ、ということだろうか。
わたしは出てきたチョコをちゃっかりポケット(これは普通のポケットだ)にしまい込み、再び練習に取り掛かった。
その後、数時間にわたりサコッシュを開けたり閉めたり、入れたり出したりする奇妙な特訓が続いた。
傍から見れば、空の鞄に手を出し入れし続ける不審者だが、おかげでサコッシュを通してなら、どうにか出し入れが可能になったのである。
やれやれ、魔法使いへの道は、百均のサコッシュから始まるらしい。




