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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第三章 商都オーミ編

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34、名を残さない恐怖

【2026/5月改訂】




 代官所を離れてからしばらく、わたしたちは一度も後ろを振り返らなかった。


 たぶん、振り返ったら最後、あそこに置いてきたものをもう一回見たくなる気がしたからだ。

 見たところで、いいものなんて何ひとつ残ってないのに。


 街外れの暗がりまで来て、ようやく足を止める。

 夜風が容赦なく冷たかった。さっきまで張っていた緊張が、今さら皮膚に戻ってくる感じがする。


「……追手は?」


 わたしが聞くと、統(すばる)は小さく首を振った。


「ない。今は混乱の方が勝っている」


「そっか……」


 少し黙って、それから、ぽろっと名前が出た。


「グソック……どうしてるかな」


 言ってから、自分でちょっと驚く。

 心配してるわけじゃない。もちろん同情でもない。


 ただ、あのあとを想像してしまっただけだ。

 人って、そういうところだけ無駄に頭が回る。


「彼は今、何もできない」


 統は相変わらず淡々としていた。


「恐怖は、命令より強い」


「あー……それ、わかる気がする」


 怒鳴られるより、理由のわからない沈黙の方が嫌なやつだ。



***



 その頃、代官所の中では、灯りが増やされていた。


 クアンサマ・オーダイン男爵の怒鳴り声。

 衛兵の足音。

 使用人の慌ただしい気配。


 さっきまでの静けさが嘘みたいに崩れている。


 グソック・オーダインは、自分の部屋に閉じこもっていた。


 灯りを増やし、扉を何度も確かめ、背後を振り返る。

 それでも落ち着かない。


「み、見られた……」


 誰に、と聞かれても答えられない。

 顔が出てこない。名前もない。声も曖昧だ。


 あるのはただ、“何かが来た”という感覚だけだった。


 それが消えない。


 父に報告すべきだ、と頭ではわかっている。

 でも同時に、もっと嫌な考えが喉元に張りついていた。


 証明できるのか。

 誰が信じる。

 そして――口にした瞬間、本当に起きたこととして固まってしまうのではないか。


 そこでようやく、グソックは理解した。


 自分を守っていたのは、兵でも地位でも金でもなかった。


 何も起きていないこと。

 それが、いちばん大きな壁だったのだ。


 その夜、代官所ではいくつかの書類が“確認のため”に動かされた。

 いくつかは、そのまま保管場所が曖昧になった。


 侵入者の名を口にした者はいない。

 口にできなかった、という方が近かった。



***



 ――街外れ。


「……殺さなくて、よかったのかな」


 ぽつりと呟く。

 誰かに聞かせるためじゃなく、自分で自分に確かめるみたいに。


「後悔しているか?」


 統が聞く。


「……してない」


 即答だった。

 自分でも、少し意外なくらいに。


「なら、それが答えだ」


「もうちょっと何か言い方ないの」


「迷う理由がない」


 相変わらず、ぶれない。


 腕の中には、遺品の重みがある。

 それとフィーネさんのバッグ――もう気持ちの上では、自分の物って感じがしない――だけは、自分の手で持っていたかった。


 軽くはない。

 でも、不思議と邪魔でもなかった。


 放り出しちゃいけない重さ、ってこういうのを言うのかもしれない。


「ねえ、統」


「なんだ」


「わたし……あの人たちみたいには、なりたくない」


 統はほんの少しだけ考えた。

 本当に、ほんの少しだけ。


「なら、もう違う」


 その答えが、胸の奥にすとんと落ちた。


 夜の向こうに、ログハウスの影が見えてくる。


 帰る場所。

 ひと息つける場所。

 ぐちゃぐちゃになった頭を少しだけ整理できる場所。


 オーミの街で終わったのは、直接ぶつかったところまでだ。

 たぶん、本当の意味ではまだ終わっていない。


 でも、その先まで全部をわたしたちがやるのは、なんか違う気もした。

 ここから先は、この街で生きている人たちが決めることでもある。


 わたしたちは、また歩き出す。


 名前を残さない恐怖を、背中に置いたまま。


 胸の奥で、“深い心臓”がゆっくり、でも確かに、生きてる音を刻んでいた。




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