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旅する不死者は昼も歩く  作者: 真野真名


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34/36

34、名を残さない恐怖




 代官所を離れてからしばらく、わたしたちは一度も後ろを振り返らなかった。

 たぶん、振り返ったら最後、あそこに置いてきたものを、もう一度“確認”したくなってしまう気がしたから。


 確認したところで、良い結果なんて、ひとつも転がってないのに。


 街外れの暗がりまで来て、ようやく足を止める。

 夜風が、容赦なく冷たい。

 さっきまでの緊張が、今さら皮膚に戻ってきた感じ。


「……追手は?」


 わたしが聞くと、すばるは小さく首を振った。


「ない。今は混乱の方が勝っている」


「そっか……」


 少し間を置いてから、ぽろっと、余計な名前が口から出た。


「グソック……どうしてるかな」


 言ってから、自分でちょっと驚く。心配してるわけじゃない。同情でもない。


 ただ――

 “あのあと”を想像してしまっただけ。

 人間、想像力だけは無駄に豊かだから。


「彼は、今は何もできない」


 統は相変わらず淡々としてる。


「恐怖は、命令より強い」


「あー……それ、分かる気がする」


 怒られるより、理由の分からない沈黙の方が怖いやつ。



 ***



 その頃、代官所の中では。


 灯りが煌々と灯され、クアンサマ・オーダイン男爵の怒鳴り声、衛兵や使用人の足音が響きわたっていた。


 グソック・オーダインは、自分の部屋に引きこもっていた。

 灯りを増やし、扉を何度も確かめ、背後を振り返る。

 つぶやきの声さえひっくり返る。


「み、見られた……」


 誰に、と聞かれても答えられない。

 顔が浮かばない。声も、名も、残っていない。


 あるのはただ――


 “何かに遭遇した”という事実だけ。


 それが、頭の奥で、反響し続ける。

 やまびこみたいに。

 逃げ場なし。


 父に報告すべきだと理性は言う。でも同時に――もっと嫌な声が囁く。


 証明できるのか?

 誰が信じる?

 そして……


 それを口にした瞬間、意味をなさない怯えが事実になる。


 グソックは、そこでようやく理解した。

 自分が、何に守られていたのか。


 兵じゃない。

 地位でもない。

 金でもない。


 「何も起きていないこと」。


 それが、最大の防壁だった。


 その夜、代官所ではいくつかの書類が、“確認のため”に動かされた。


 いくつかは、いつの間にか“保管場所不明”になった。


 誰も、侵入者の名前を口にしなかった。

 口にできなかった、の方が正しい。


 

 ***

 


 ――街外れ。


「……殺さなくて、よかったのかな」


 わたしは、ぽつりと呟いた。

 誰かに向けたというより、自分への確認。


「後悔しているか?」


 統が聞く。


「……してない」


 即答だった。

 自分でも、ちょっと意外なくらい。


「なら、それが答えだ」

「もうちょっと何か言いようが」

「迷う理由がない」


 相変わらず、ブレないなぁ。


 腕の中で、遺品の重みを感じる。

 これらと、フィーネのバッグ――自分のバッグだけど、気持ちの中では所有権は移っている――だけは自分の手で持っていたかった。

 軽くはない。でも、不思議と邪魔でもない。


 これは、放り出しちゃいけない重さだ。


「ねえ、統」

「なんだ」

「わたし……あの人たちみたいには、なりたくない」


 統は、ほんの少しだけ考えた。

 本当に、ほんの少し。


「ならば、すでに違う」



 夜の向こうに、ログハウスの影が見えてくる。


 帰る場所。

 一息つく場所。

 ぐちゃぐちゃになった頭を整理する場所。


 オーミの街で終わったのは、“直接ぶつかった部分”だけだ。

 本題はまだ終わってない。でも、それ以上はわたしたちがやるべき事じゃない気がする。あとはこの世界、この国の“生きる”人たちの問題。


 わたしたちは、また歩き出す。


 名前を残さない恐怖を、背中に置いたまま。


 胸の奥で、“深い心臓”が、ゆっくり、でも確かに、生きてる音を刻んでいた。






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