表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第二章 深い心臓編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/90

21、(11.4)ゲルトの腕と炎




 右腕が吹き飛んだ瞬間、ゲルトの世界は赤く染まった。


 血が視界を覆ったのではない。

 痛みでもない。

 恐怖でもない。


 ──怒りだった。


「っ……ぐ、あ、ぁぁーーッ!!」


 喉が裂けるほど叫んだつもりだったが、実際は声にならない獣のうなりにしかならなかった。

 身体が勝手に動いた。

 痛みを感じる暇なんてなかった。


(逃げろ……! 逃げろ……!!)

(ここで倒れたら──誰が、フィーネたちのことを……)

(誰が、あの子のことを……)


 脚に全力を込めて踏み出す。

 右腕から噴き出す血が自分の足元を赤く染めていく。


 衛兵の刃が背中をかすめ、鎧の一部が削れた。

 衝撃に体勢が揺れる。


 それでも跳んだ。


 壁を蹴り、屋根の縁に手を掛け──

 いや、「手」ではなかった。左手一本だ。


「……っ!!」


 片手で自分の体重を支える負荷が、肩に残った骨を軋ませる。


 右側の体が重い。

 痛みで視界が明滅する。

 血の匂いが鼻を突き、自分自身の肉の匂いに吐き気がした。


 それでも、屋根の上に転がり込んだ。


 追いかける衛兵たちの声が遠くに聞こえるが、耳が音を拾えなかった。

 心臓の鼓動だけが大音量で響いていた。


「……フィーネ……ローデリヒ……ディルク……」


 名前を呼ぶだけで、胸が裂けそうだった。


 逃げながら、視線を下に落とす。


 宿屋の前には、倒れたフィーネが見えた。

 少女のバッグを腕に抱いたまま。


「……う、あ……」


 声にならない声が喉で溺れる。


 フィーネの血は、そこだけ色が違って見えた。

 鮮やかで、温かくて、動き出しそうで──

 でも、もう動かない。


 ゲルトの足が瓦の上で止まりかけた。


(行きてぇ……! フィーネの傍に行きてぇ……!)


(でも──行ったら俺も死ぬ)


(俺が死んだら……誰がこのことを……)


 喉が震え、牙が鳴った。


 逃げなければならないという本能と、仲間の死に飛び込もうとする衝動が、全身でぶつかり合う。


 ただひとつ確かなのは──


  心が千切れそうだということだけだった。




 ゲルトは屋根の上を走った。

 片手でバランスを取るのは難しく、何度も転び、瓦を砕き、壁に肩をぶつけた。


「……っ……まだ……だ……」


 血が足跡になり、後ろへ続いていく。

 その軌跡は、まるで仲間の死へ戻る道のようで、目を背けたくなった。


(あいつら……もう……)


 心の奥から、黒い絶望が這い上がる。


(ローデリヒの声も……ディルクの笑い声も……。フィーネのあの、優しい匂いも……全部……全部……消えちまうのか……)


 喉が震え、視界が滲む。


「……俺は……何を守れた……?」


 問いは風に消えた。


 跳んだ先の屋根が滑り、体が横に倒れた。

 肩から転がり落ち、市場の屋根を突き破るように落下する。


 痛みが全身に走った。


 だが、倒れている暇はなかった。

 衛兵の影が遠くに見えた。


 ゲルトはよろけながら立ち上がり、肉屋の裏へ飛び込んだ。


 そこに積まれていた布と肉塊を乱雑に掴み、右腕の断面に押し当てる。


「っ……が、ぁ……!」


 痛みが脳を焼く。

 視界が白く瞬く。


 それでも匂いをごまかさなければ、すぐに追いつかれる。


 血の臭いを肉の脂で塗り潰すと、彼は壁を蹴って再び走り出した。




 路地裏は薄暗く、汚水の匂いが漂っている。

 しかしゲルトにはそれすら救いだった。

 血の匂いを誤魔化せるからだ。


 影から影へ、彼は獣のように潜り込む。


 汗と血で濡れた毛が肌に張り付き、息が絶え絶えになりながらも──


 走る。


 走る。


 走る。


 どこか遠くで鐘の音が聞こえた。

 奴らが捕縛の成功を告げたのかもしれない。

 あるいは仲間の死を告げる鐘かもしれない。


 どちらにせよ、ゲルトの胸は裂けるほど痛んだ。


(フィーネ……)


 思い出すのは、彼女が少女をあやすように微笑んでいた顔。


(ディルク……)


 気難しいくせに面倒見の良かった男。


(ローデリヒ……)


 無口で頼もしく、背中を任せられた戦士。


 彼らの声が、匂いが、死の瞬間の熱が──

 すべてゲルトの心臓を打ちつけていた。


「……全部……守れなくて……」


 言葉が崩れ落ちた。


 右腕が失われた痛みがまた全身に広がる。

 だが心の痛みのほうが、何倍も鋭かった。




 町の外壁の影に潜み、ゲルトは息を荒げながらしゃがみ込んだ。


 血はまだ流れている。失血で倒れてもおかしくない。


 それでも、生存本能が彼を支えていた。


 だが──胸の奥には、もっと強い何かがあった。


(……奴らは、仲間を殺した)


(フィーネを、あんな……)


(ローデリヒとディルクだって……どうなったかわからねぇ)


(このまま終わりじゃねぇ……絶対に……)


 ゲルトの瞳に、怒りの炎が宿った。


 痛みで霞む視界が、まっすぐに前を見る。


「……絶対に許さねぇぞ……」


 声は低く、獣籠の中のようだった。


「フィーネのためにも……仲間のためにも……最後にあの子のためにも……」


 傷口を押さえながら、ゲルトは静かに立ち上がった。


 もう、仲間の姿はどこにもない。


 彼だけが、生き残ってしまった。


 だからこそ──


「……俺だけは、生き延びる」


 決意と血の匂いをまとい、ゲルトは夜の森の方へと歩き出した。


 足跡は、片方の手の血で赤く点を打つようについていく。


 片腕を失った獣人の背中は、痛みと喪失に歪んでいた。

 けれど──その瞳の奥には、確かな憎悪が燃えていた。


 そしてかすかに、まだ消えない希望の炎も。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ