第9話アルバスの大鏡
事件のあった明くる日、寂れた洋館前に集合する騎士団と皇帝シーザーの姿があった。その洋館の存在は、すっかり忘れられていたらしく、この一帯を騒がせた。
(ことによると周囲になんらかの魔法でもかけていたのか?)と、シーザーは予想した。
考え込む彼に暴走馬車の一件で話した騎士、ロイドが話しかける。
「昨日はお手柄でしたね! やはり陛下のおかげで……」
「気にするな。まんじゅうの件だろ?」
「もう違いますって!! ええとシイラ家の夫婦から感謝の印にと言葉を添えて品が届いております」
「ああ、あの姉弟のか。分かった、あとで読もう」
(周辺の住民にまでインパクトもたらした再会だったものな……)
シーザーは昨日の続きを思い出す。
◇◇◇
二階へ戻るもクローゼットはまたも閉じていた。シーザーは呆れて声をかける。
「ほらウィン、でてこい。もう怖いやつらはいないぞ」
「ぐずんっ。やだ!!」
「いいからお前は……。仕方ない、強引に連れていくからな」
「「えっ」」ふたりの驚きが綺麗なハーモニーになった。
クローゼットに指をかけたシーザーの本気にジュリアがたまらず声をあげた。
「お待ち下さい! ここは私にお任せを」
(ふむ))
なにか秘策があるのかと妻に任せてみれば、彼女は衣装収納棚の前に座り込み、こんこんとウィンを説き伏せている。
付き合うジュリアは案外器量はいいのかもしれないが――これは要領が悪い。シーザーは顔をしかめた。
そんなやりとりに手こずり、結局三十分ちかくも無駄にしてしまった。すでに日は傾きつつある。
ウィン少年は引き戸を開けるとジュリアの背後に回った。
(なぜ俺だと言うことを聞かない……。まさか怖いのか? いや、ならジュリアのほうがよほど)
「あの、シーザー様?」
「気にするな」、シーザーはジュリア相手に不自然に取り繕った。
◇◇◇
洋館に囚われていた少年ウィン、マッシュヘアーをなびかせて、彼は出口を目指す。
自分の足でウィンは歩いた。檻の中に長いこといたせいで、鈍った体ではまっすぐに歩くのも苦労した。それでもウィンは懸命に両足を運ぶ。
階下を目指す階段では、手すりにもたえかかえるようにしてなんとか下りきった、それでも幼い体はふらふらだ。
すがるように後ろを振り返ればシーザーが通せんぼするように仁王立ちしている。
(きっとぼくが戻らないようにするためだ……)
シーザーはただ逃げ道を塞ぐばかりでなく、ウィンの背をぽんと叩いた。ウィンはその応援を受けて、へとへとな体をあと少しだけ踏ん張ることにした。
たどり着いた出口。さっと両脇を抜ける大人たち。玄関の大きな両開きの扉をジュリアとシーザーがそれぞれ開いた。
ウィンは口を半開きにして眼の前をみつめた。
彼の前には目を引く光景があった。
開いた扉の先には、もう会えないと思っていた家族がいた。
ウィンの姉だ。サマンサは幼稚なカエル柄の傘をさし、二階の窓を無言でみつめていた。柄を持ちながら、祈るように手を重ねていたサマンサが、自分に気づく。
「あっ……、ねぇ、キミ! あたしの弟をみなかった!? このくらいの背で髪と目は私より濃い色をしているの。ねえ、見て、ない……?」
洋館を照らす逆光のせいで、駆け寄ったサマンサからは玄関に立つ少年が自分だとは気付けなかったらしい。
――ああ、おねえちゃんだ。ぼくは今、生きて姉弟に会えたのか。
(ぐずっ……)、鼻をならすウィン。
ウィンは大粒の涙をこぼし、朽ちかけの服で器用に、顔面を拭った。何度拭いても顔中から滴が噴き出すような有り様だ。
(こんなぼくをおねえちゃんは……)
ウィンはその時、思い出した、今の情けない体型を。彼は半歩足を引き、振り返って洋館の中へ駆け出そうと――したが、夕日が完全に沈み、サマンサの手がウィンの肩を捕まえた。
薄闇の中きつい抱擁を受ける。
「ウィン゛~~~~!!」
(ああ、どうやらバレちゃったみたいだ)
仕方なく姉の方を振り返る。サマンサの表情は複雑なものだった。頬をふくらまし、眉を吊り上げ、それでも目尻は不安定に震えていた。なおかつ瞳の奥はゆらゆらと切なげに揺れて。
サマンサは激怒しながら涙を溢れさせる。現に、怒りは相当なもので、拳を高く振り上げて弟を殴ろうとしているのは目に見えていた。
「ごっごべん――! おねえちゃんっ、ごめん゛~~」
感動の再会にもかかわらず、サマンサからももらい泣きしたウィンは情けない声をあげて平謝りしている。
「もうなによその体型! 食べられちゃうって、あたし、書いたよね!? あの子鬼は悪い奴らなんだよ!? ウィンをあんなとこに閉じ込め、て」
姉の体にだきつくとウィンはわんわん泣いた。安心感に足からは力が抜けてしまう。
ウィンの疲弊した様子にサマンサも怒るのをやめる。
ふくよかな肉つきにしみじみと嘆息し、以前より大きくなった弟を支える。
――少しいいか。
背後のシーザーがウィンたちに声をかけた。
「これでよしっ」
――パキン、シーザーが手をかけたことでウィンにはまっていた首輪は溶けるようにして外れる。
シーザーがふたりの頭を撫でた。
「もう悪夢は終わりだ、がんばったなサマンサ。ウィンもよく耐えた、偉いぞ」
「うう……うわああああ! ありがどうございますうううう」
「あぅ……うがああああ! あ゛りがどううううう」
「泣き方までそっくりじゃないか」
弟のウィンは姉サマンサとともに他者の体温そのものに号泣した。
日が暮れた街、わんわんと共鳴する二人分の泣き声が、合唱のように響くのだった。
◇◇◇
シーザーは泣きわめくふたりを家に帰そうとし、眼の前の人物に目が留まった。
鼻をならしては眦の涙を丁寧に拭っているジュリアだ。
彼女の腕は悲惨だった。日頃から装着している手袋がところどころ弾け飛ぶほどには。
シーザーは自分の怪我はともかくジュリアの思いのほか深い生傷が気がかりだった。
「お前たち、二人で帰れるか? いや――衛兵を呼ぼう。待ってろ、すぐ呼んでくる」と三人を残すとものの一分たらずで騎士をみつけてきた。
「この子たちを家に送り届けるように」と言い残すと唖然とする騎士と姉弟を残し、シーザーは。
――彼女の体を折り曲げるようにして、胸の前で抱きかかえた。
◇◇◇
回想を終え、シーザーは件の後始末に騎士団とともに当たる。内部を捜査すると、奇妙な図の描かれた写本や風変わりな魔法薬が次々と発見された。そこかしこで不審なものが見つかり騒ぎになる中、シーザーが入った部屋ではひときわ大きな声があがった。
「この大鏡は!?」
「それ、前の所有者のものだろ?」
「そうかもしれませんが……」
言葉を紡げないほど動揺する丸眼鏡の部下テオドア。なにか引っかかるらしく鏡を吟味している。
シーザーは大人しく見守った。テオドアは一度離れると神妙な顔つきで鏡のほこりを払った。枠組みには荒々しい筆記体でサインが描かれている。
「やはり錬金術師アルバスの発明品ですよ、これ! とうに失われた品がなぜこんなところに……」
「そんなに珍しい品なのか?」
「相当貴重ですよ。言い伝えによれば息子と生き別れた母親が国を超え、その子どもと巡り会うきっかけを作った品だとか」
どうやら界隈では有名な作者の制作物らしい。その手の魔道具にも精通している部下は隈なく鏡を調べながら語った。
「アルバスは腕の良い魔法使いでしたが大変プライドの高い人物でもあったとか。ライバルたちと腕を競う中突然隠居し、のちに不審死を遂げています。彼の残した作品はその隠居中に作られたものがほとんどで、故に謎の多い賢者として有名なんですよ。背景のせいか彼の品はなかなか出回らず、場違いな遺物、なんて呼び名まであるのです」
「なんにせよこれのおかげで間に合ったようなものだからな」
「ほかにも曰く付きの品ですが、陛下の助けとなりなによりです。一応これも押収しておきますね」
「証拠品だからな。任せる」
事件の裏事情が分かる手がかりがないかと室内を見回るシーザーは本を片手に首を傾げる騎士をもみつけた。
「ロイドか。お前もなにか珍しい品をみつけ……、帝国貴族名鑑なんて持ち出してどうした」
「ええと、陛下。じつは、どうしてもイマジン家の続柄っていうのが思い出せなくて」
「イマジン? なんだその家名は」
「陛下もご存知ないのですか!? 皇帝陛下ですら記憶にないってことはどっかの田舎貴族ですかね。王都に館を構える余裕があるとはまたずいぶん羽振りがいい……」
「違う、そうではない。そんな家、どこにもない」
シーザーの言葉に目を見張るロイド。彼は落とした帝国貴族名鑑を拾い、くまなく探そうとするが、今しがたのシーザーの発言に抱いた疑念は消えなかったらしい。下げた頭を戻すと震える指が表紙の上をさまよう。
「ではこの家格は一体……? まさかっ」
「おい、そのおかしな家名はどこで知ったのだ」
「陛下――、それはこの羊皮紙にございます。イマジンはおそらく魔物たちを指す言葉かと」
(魔物の、家格? そういえば)
「たしかゴブリンの長老が戦闘中に――……」
あの醜悪な生き物は妙なことを口走っていた。
『その繰り返しであたしは【魔物の家】が当主になったのさ、ヒヒヒ!』
「王都に巣くっていた伝承生物、出どころの不明な魔法薬、さらに魔物の組織体、だと? これは追加で調べた方がいいか。他の地域とも情報を共有し動いてくれ。あくまで秘密裏に、な」
「かしこまりました」
情報を得た一件だが、シーザーにはこれで終わりだとは思えなかった。どこかで手ぐすね引く何者かの存在を感じてならない。
(杞憂だといいが)