第8話正体
「怒、る……? なぜ俺が? もしかして勝手に付いてきた君に、か?」
「ええ、まあその…………はい」
殊勝な態度で頭を下げる己が妻にシーザーはますます訳がわからなくなった。
と、魔力の使いすぎか、ジュリアがよろけるのをシーザーが間一髪、受け止める。
「いたっ」
その時引いた腕に大げさな声をあげる妻。
「どうかし――ッ! これは酷いな」
おそらく自分の体を盾にした時だろう。さきほどの見事な魔法の裏に隠れていたが、本来火属性に対し氷属性は相性が悪い。その前提を覆す奇跡じみた曲芸をやってのけた彼女だが、今の今まで痛みを我慢していたらしい。
グローブを外した腕の傷はシーザーのものより深かった。
「だめっ……」
「おい平気なのか? これは痛いだろう」
慌てて腕を引こうとするジュリアだが、シーザーがそれを許さなかった。
「いえ……わ、我を忘れていたのでそこま――んぎゅうふうううう!? な、なにを、シーザー様!?」
「いや何って、――治療だが?」
「ふぎゅ。……くすん。いたいので、やさしくしてくだしゃい」
「フッ。分かった」
幼子のような泣き言をいう妻に思わず笑みがこぼれてしまった。
それからは腕に小骨のように刺さってしまったガラス片を丁寧に除去していく。抜く度に苦悶の表情で悩ましい声をあげるものだから……――みなまで言わないが、某を意識的に律した。
シーザーは戦闘服の胸からポケットチーフを取り出すと端に口をつける。ビリビリと縦に引き裂く音に妻は動揺している。
「あのまさかそれ……使うつもりでは」
「使うが? なにか文句あるのか」
「ないないない、ないです! ありませんってば!」
相当治療が傷に響いたらしく我が妻は半泣きで腕を差し出す。
「一思いにやっちゃってください」
「おいそれ……。まあ、いいか」
手当てを終えると黙って耐えていたのが嘘のように饒舌になる妻。表情はまだ涙まじりだが、シーザーに向かって笑いかけるその笑みに、彼は胸のわだかまりが氷解するかのように思えた。
『うっ、うっ、こわ゛い。おねえぢゃんどこおおおおー!!』
押し入れから少年の情けない泣き言が漏れていた。
「忘れていた。まだクローゼットに居るのか」
「シーザー様……」
「う……、そんな目でみるな! ごほん、戻るぞ」
「シーザー、様? あの、この手は……」
「ん? ほら、急ぐぞ。あの子が待っている」
「はい!!」
うっかり洋館を出ようとしていたシーザーたちは二階へと引き返した。このあと外に出るのをぐずるウィン少年に手を焼くが、結局は、彼を連れ出し、姉弟の再会をジュリアとともに祝うのであった。
◇◇◇
望まぬ婚約者の言動に振り回されていたシーザーだが、彼女の態度と彼女の言葉に感化され、おのが手を伸ばしていた。
まるで相手を認めたように――。
【契約破棄】を声高に叫んでいた夫の姿はもう見受けられない。
まさに、夫婦の雪解けだった。
◇◇◇
(よかった……私、ちゃんとシーザー様を守れたわ)
シーザーの体に予言と同じように迫った凶刃。この身一つであの災難が払いのけられるのならばやすいものだろうと、ジュリアは思った。
魔法でカバーしたとはいえ切り傷がついた腕は見るに堪えない。シーザー手製の包帯といえどすべては覆いきれなかった。
(正直、まだ痛みはある。でも……)
――あの悪夢のような光景に比べればなんてことはない。
陛下のたくましい両腕に比べたら見劣りしてしまう細腕だが、ジュリアの怪我の痛みは、彼女にしてみれば勲章なのだった。
『くっ。なぜ……、俺たちを庇ったりしたんだ』
シーザーは戦いの最中、てっきりジュリアが蒸発したと思い込んで絶望し、そう後悔を口にしていた。
(あんなに毛嫌いされていたのに)
ジュリアはおかしそうに微笑んだ。
憎いほどの相手である自分まで思って後悔なされていたのだ。きっと彼は、私のことを縁談、ひいてはお見合いの段階で暗殺でもしそうな奴だと踏んでいたにちがいない。警戒心すらあらわにしていたというのに。ほんとうに『やさしいお方』、だからこそ――……。
(いいの、私は)
――あなたが血濡れの丘で剣に斃れるような、そんなことさえなければ。
(絶対にさせない。陛下だけはこの手で守り抜く)
御身が無事でありますようにジュリアは切に願った。なにを引き換えにしても叶えたい誓いを。
『私ジュリア・エンゼルはシーザー様を不幸にしないがためにこの婚姻関係を結びました。妻としての役割はただ一つ――……、シーザー様の不慮の死、忌まわしき予知を回避することのみ』
ゆえに今日までジュリアは一番近くからシーザー様に絡んでいたのだった。そう、仮初めの妻、として。
シーザー様がふいに照れくさそうに口にする。
「そういえば言ってなかったな。先程は助かった」
「滅相もございません」
「褒美はなにがいい」
「謝礼など不要ですわ。けれど、唯一の望みがあるとすれば……」
隣を歩いて帰る、シーザー様からの歩み寄りを感じる。こそばゆい心臓がとくとくと音を立てる。この感覚が今だけのものでも構わない。
ジュリアは後ろ手に上半身を傾け笑いかける。
表情にはベールなどなく、この本心にも偽りなどありはしない。彼にはきっと伝わらないだろうが、それでもジュリアは一向に構わないとすら思えた。
「次はきちんと愛する方と添い遂げてくださいね」
「なにをおかしなことを。妻は君なんだろ?」
笑いかけたジュリアに背を向けるシーザー。急ぐぞ、と手を差し出す男のまぶしさは、いつだって暗闇にいる少女の心を救ってくれていた。
―― たとえ私が〇〇だったとして、なにを嘆き悲しむ必要があるだろう ――
「ええ、もちろんです。シーザー……様っ」