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*ホワイトデュエット*~恋人たちは別れの夜に舞い踊る~  作者: 氷雪みゆき
前編:白銀のプリンセスは一生分の純情を抱えてだいすきな殿下を「「突き放す」」

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第7話微睡みの花

「たすけてください!!」


 シーザーの背中にジュリアのものではない女声が響いた。踏み込もうとした矢先の大声にシーザーは内心苛立った。

 奥歯を噛み締めて振り返る。

 十ほどの少女が彼の制服のすそを掴んでいた。背中からかけられる声にあとにしてくれとシーザーは冷たく返した。

 しかし。シーザーの酷薄な態度にもめげず彼女はしきりに「たすけて」「おねがい」「なんでもします」を繰り返しながら頭を下げる。


(これでは埒が明かない……)とシーザーは後頭部を乱暴にかく。


 ジュリアへと目配せすれば彼女に意図が伝わったのか、洋館に入ろうとしたふたりは玄関口から二、三歩離れて彼女の弁に耳を傾けた。

 表情の芳しくないジュリアが少女の背中を撫でて落ち着かせようとする。彼女らだけでも残して捜査を開始しようとするシーザーだが飛び込んできた単語に足を止めた。


「怪物、が。あたしの゛おとうとをさらったの゛!!」


◇◇◇


「怪物って? 詳しく聞いてもいいかしら」

「うん゛」


 自分の腕の中で泣き止まない少女をジュリアは目一杯慰めた。すると彼女も落ち着いたのか、拙いながら話し始めた。

 ジュリアたちがおぞけるような物語を――。


「だれも、信じてくれない。こんなこと話せばきっとそうよね。でも、真実なの。本当にあたしはみたの!! 弟が――ウィンが子鬼の檻に閉じ込められて泣いていたのを!」


 サマンサと名乗った十一歳の少女、赤毛のおさげを揺らし、黄緑色の瞳を涙の膜が包んでいる。かわいらしいシューズとちいさな手は泥汚れにまみれていた。


 彼女が口を開くと雨が軒先から伝っておりてくる。角を曲がってきた通行人はジュリアらの様子に目を留めると首を左右に振った。


「あんたらも関わらないほうがいいぜ。かわいそうだけどね、その子の弟は事故で亡くなってる。それをお嬢ちゃんは受け入れられないのさ」


 帽子を被り直すと親切な(・・・)通行人は雨の中去ってしまった。


「……見限った? あたしのことあなた達もホラ吹き娘だって言い張るんでしょ。うっ……だって、見ちゃったんだもの。この洋館に弟はいたの! 今は姿はみえないけど、でも確かに……返事は……届いて…………」


 少女の憐憫に薄情な雨粒が叩きつけるように降ってきた。ジュリアはシーザーと目配せするが、彼は何も言わず佇んでいる。


(関わるなと、シーザー様もいうのでしょうか……)


 グっとジュリアは腕の中に力を込めた。抱きついている少女はその力強さにむせび泣いた。


「わかってる、あたしがおかしいかもしれないのは! あたしが一番よくわかってるよおおお。でも、ひん、それでも、崖から滑落したなんて信じられないッ。あの子の髪の毛と遺品がでてきたって、街のみんなは知らないだけだもん、ぐす。だってあの子いきてる! この洋館で! 鎖に繋がれて、肥え太るのを待ち構えられてるのよ、うわあああん」


(まさか〝食べる〟ため……?)


 ジュリアの腕は粟立った。


(この子の語ったことが本当なら彼女の弟はおぞましいホラーハウスに囚われ、食用になるのを今か今かと――……)


 手ぐすね引く相手。

 大人は信じてくれず、たったひとり。

 

(時間だけが過ぎていくのをサマンサちゃんはどんな気持ちで耐えていたのでしょう)


「こわかったね……もう、大丈夫。大丈夫よ」

「あ、だじのごとはいいの゛!! あの子さえ無事なら、どうなったって……。だれか、だれでもいい、ウインを助けて!! あの子とはたしかに手紙のやり取りができたの、一度だけ、ガンスが返事をもってきたのよ!」

「ガンス?」

 なにかの名称にシーザーがくいついた。彼女はシーザーの眼光を恐れるとジュリアのそでを引いた。


「心配いらないわ。この方は……――国の英雄(ヒーロー)ですもの」

「みんなの? じゃあ、ウィンもたすけてくれますか」


 サマンサに呼びかけられて、シーザーはどこかへ歩き出した。

 三分後、絶望的な彼女は自分のうつむいた視界にだれかの靴が入ったのをみた。

 哀れな彼女が顔をあげると、こども向けの傘を差すシーザーの姿があった。


「やる。これをもっておけ」

「あ……。あり、」

「礼は不要。その子を助けたら聞こう。で、ガンス、とは?」

「文鳥です。うちのペットで、白い羽に赤い目の……そう、あの煙突にいる子です」

「――了承した」


 シーザーは玄関に向かう。扉の錠がかかっているのを確認すると、ドアノッカーをガチャガチャと叩いた。しばらく入り口の戸の様子を眺めたが、返事はない。


「留守か? ちょうどいい。ならば蹴破って――」


 煙突の先にいたピンクのくちばしの白文鳥がしきりにさえずり始めた。


「嘘、なに、視えないよガンス、なにがあったの! ……まさか」


 いよいよ少女サマンサの心境は恐慌状態へと陥った。


「もう手遅れなんだぁ……」と号泣しはじめたサマンサ。彼女の失意に居ても立っても居られないジュリアは洋館をくまなく観察する。


「シーザー様! あの部屋の大鏡! ゴブリンたちが群がって広間へと向かっています!」


 みつけたのはちいさな違和感。

 かつての持ち主の衣装部屋だろうか、姿見に映りこむ子鬼たちを発見し、ジュリアは叫んだ。


「させるか――!」


 路傍の石がその怪力でもって投擲される。窓が割れ、破片が内と外にと散らばった。だがシーザーが払い除けるように腕を動かしたことでそれらすべてが焼き尽くされた。おかげでジュリアとサマンサに怪我はない。

 自分らの無事を確認すると足に力を込め、屈伸する反動で凄まじい跳躍力を発揮するシーザー。建物の排気口の出っ張りに飛び移り、そこから配管を腕力に物言わせて伝った。

 とうとうシーザーは割れた箇所から内部へと侵入してみせたのだった。


◇◇◇


 内部には複数の、ゴブリンと思われる伝承生物がシーザーを待ち構えるようにたむろしていた。しかし目的の少年と思しき姿はみられない。


(どこかにいるはず……。やつらは鎖を握っている。一体、どこに隠した!!)


「ぐるうぁああああ!」雄叫びをあげたゴブリンがシーザーに攻撃を仕掛ける。


 鎖鎌がじゃらじゃらとチェーンを鳴らして一直線に伸びた。


 物々しい火花が散った。

 涼しい顔で受けきったも攻撃はさらに続く。


 懐の魔道具、己の得物に手が伸びていたシーザーは埒が明かない状況に苛立つ。流れる汗が事態の逼迫さを物語っていた。


 シーザーが構えた短い棒はけれど伸縮性のある武具で、魔力をこめるとたちまち大男の背丈をゆうに越える斧槍となった。


 ――ハルバード、語源は柄を表すヘルムと斧を意味するバルデからなると言われる、あらゆる攻撃性能を秘めた万能武器である。刃で斬る、先端で突く、先端の重量にまかせて断つ、全体のリーチを活かして払う、といった攻め方が想定される。ただしその分扱いは難しいものとなっており、攻撃方法の選択の多さから一撃を放ったあとのつなぎ方にいたるまで、使い手を選ぶ代物。


 おばあさんを暴走馬車から助けた時、最初に車軸を切断できたのも、とっさにぶつけたからだった。 


 だがしかし――、戦場ならみえるだけの敵をたたっ斬ることもできたがここは室内。まともに振りかざせば天井や壁が崩落しかねない。万が一、崩壊した箇所に子どもがいれば、あるいは自分の武器がその子に当たればと、シーザーは振りかざすのを躊躇する。


 頑丈な肉体だが攻めあぐねるせいで頬や腕に細かな傷ができる。それでもシーザーは耐えることを選んでいた。


「くそっどこだ!?」

(名前はたしか……)

「ウィン――! どこだ、ウィン!」


 返事はない。だがかすかな息遣いが耳に届く。意外にも距離は近いようだとわかる。

 シーザーはさらに声高に叫んだ。

 ()へと届くように。


「君の姉が心配していたぞ! 手が汚れるのも構わず洋館に侵入する何度も機会を窺い、だがそれは叶わず、来る日も来る日も大人に助けを求めていたのだろう! そうして俺たちがここに来た! いるんだろう!? なぁ、ウィン!」


『っぁ……』

 どこからか身動ぎする音とうめき声が聞こえた。


「そこか!」


 反射的に体が動く。眼の前にいた敵の頭蓋を拳で陥没させる一撃が見舞われた。沈黙したコブ頭の生物。うめく仲間に逆ギレして四体まとめて飛びかかる。


 それでも怒れる男を昏倒させるには至らなかった。


 シーザーは息遣いの位置を特定すると床に水平に柄で薙ぐ。四体まとめてあらぬ方へと吹き飛ばされ、衝撃波でクローゼットの戸が開いた。


 体育座りの少年が目を見開く。

 サマンサに似たよりあどけない顔立ち、濃い赤毛のマッシュヘアーに豊かな緑の瞳をしている。しかし表情にはこども特有の無邪気さが感じられず、うつむくようにして口元を下げている。


 薄暗い隙間に詰められたせいか、身を縮めている彼は立ち上がることすらできないようだ。影の差す空間へシーザーは手を伸ばした。


「さあ来い!」

「……――でられないよおお、うわあああん」

「なんだって!?」


 助けに来たというのに少年は壁にでもはまっているのか、泣き叫んでそこを動かない。

 そうこうするうちに転がっていたゴブリンたちが起き上がり、鼻息荒く棍棒や鎖鎌といった武器を構える。

 ガタガタと少年の動きに合わせて扉が揺れる。 しかしめぼしい首輪に繋がれる以外、なにも彼を拘束していそうなものはない。


 答えは件の少年の口からもたらされた。


「こんなっぶよぶよに、ひっぐ、なって、ねえちゃんぎっど怒るもぉんううう……、あの、ぐす、てがみ、だってかいてあっだもん!!」

「はああ?」想像の斜め上を行く解答、シーザーは素っ頓狂な声を反射であげていた。

「太ったら食べられるってでもぼく……」

「まさかおまえ」


 さすがのシーザーもこれには困惑するしかない。彼にとってはあまりに想定外のことすぎて、背後から迫る質のよくない短剣に腕を切られたことすら現実味がない。


 じっくりと少年の上半身から下腹部へと視線をおろした。


 すりきれたボロをきた少年は満足に入浴もできていないのだろう、すえた匂いが漂う。だがその乞食然とした格好に不釣り合いな贅肉という浮き袋がくっついていた。四方を囲んで。

 腹の脂肪を恥じらう少年。それでもひっこめていたらしく、感情の機微でボタンすら弾け飛んだ。

 ぼよんと波打った腹を隠そうとするも、もはや前がけとしてしか機能していない服では到底無理があった。

 全身があらわになった少年は悲痛な叫びをあげる。どうやら押し込められたのではなく、自分から潜り込んでこうなった模様。


「な、なるほど……閉じ込められていたら運動も……――ってそうではないわァッ!?」


 あのシーザーをも絶句させる、予想外なふくよかボディ。

 ぬいぐるみめいたフォルムは、まるで綿がむっちりと入っていそ――……とシーザーは脱線しかけた思考に活を入れる。


「俺と来い! 食わせたりなどするものか!」


 コンコン、床を叩く物音とともになにかの笑い声が響く。


「ヒィヒッヒ。見当違いも一興ざね」

「なにやつ!?」

「きゃつ、とはひどい言いようだあね。まったく、人間(家畜)風情が偉そうに。せっかくみつけた極上の贄だ、渡してなるものかよ。イーヒッヒッヒ」


 カーテンで仕切られていたはずの隣の敷居、霧のようにレースが消えると出現したのは、絵に描いたような意固地な老婆。大きなわし鼻をひん曲げた、倍はあろうかというゴブリン。

 まとめ役とおぼしき個体に他のゴブリンたちが指示を仰ぐ。

 鼻同様腰も曲げ、首元からはいくつもの数珠をぶらさげている。手に持った髑髏の不気味な杖を地面に刺すようにして叩く。


「それじゃ、やろうかね」


 民族衣装をまとうそのゴブリンは、緑がかった雑魚どもとは一線を画す浅黒い体表で、強者のオーラをまとう。


「イヒヒ、さあて闇の宴(パーチー)の始まりだい!!!!」





 ゴブリンの長は開幕そうそう、腕を回すように宙に魔法陣を描き出した。濁った陣からはすでに妖しい光が漏れ始めている。まずいッ――シーザーが攻撃を食い止めようとするより早く、弾幕が彼ら(・・)に襲いかかる。


 どす黒い茶色をした炎がいくつも導線から着火し、少年もろともシーザーめがけて吹き飛ぶ。幾重にも着弾すると火、否、緋色に輝いて弾ける。


「あッ……ッ」少年が声を震わせた。


 とっさにでてこない彼をかばったシーザー、受け身をとった腕はおろか、胸から腹にかけて衣服が破れかかるほどの爆発を受けていた。幸い玉のような少年には傷一つないが、すべて受け止めたせいで、シーザーは膝をつくほかなかった


「くっ!! 少年は贄じゃないのか!? いまのじゃ丸焼きどころか丸焦げだったぞ」シーザーは皮肉を乗せて挑発的にゴブリン魔術師(メイジ)をあげつらった。


「ばかいいなさんなよ。生贄を『食う』なんて一言も発してねえだろうが」


 だがそんな軽口を一蹴するメイジ。

 シーザーの浅はかな(・・・・)見当違いを特徴的な鼻で笑う。


「ま、最後に教えたげようかねぇ。ひひ、その人間のガキは上等な肉体をしてるのさ、もし青年まで育てば立派ぁな魔法使いになるだろう。背脂の乗ったいい魔力さ。だあが残念、魔力は全部あたしんだよ! 知ってるかい? 人間から根こそぎ魔力だけを吸い取ると体も衰弱して生命活動に支障をきたすのさ」


「生命活動に? ゲスが、……最初から殺すつもりか」

「生かすなんて言っちゃいねえよ。まったく、早とちりな旦那だねえ。ミイラになった剥製はこうして杖の継ぎにしようか。継いで剥いで、また終で。その繰り返しであたしは【魔物の家】が当主になったのさ、ヒヒヒ!」


 愉快な高笑い、手を叩くゴブリンが長老は幕切れに終止符を――撃つ(・・)


「さあおしゃべりはおわりさ。――死にな」





 帯剣していたハルバードを構えるシーザー。室内で得物を豪快にふりかざした。天井を破壊させる馬鹿力。落ちてくるシャンデリアの残骸。


「そんなやけっぱちで防げるとでも思ったのかい?」


 ゴウゴウと燃え盛る闇の炎。


 同じ火属性の魔法でもシーザーの魔力は時と場所を選べない。なすすべなくシーザーもろとも少年の霊を刈り取るのを見届けていた――彼の妻は、体を滑り込ませ(・・・・・)身を挺して守ろうとした。


「よせ……――!!」





(くっ。なぜ……、俺たちを庇ったりしたんだ)


 シーザーは、ウィンは、無事だった。しかし当のジュリアの姿はない。


 シーザーは毛嫌いしていた彼女が形見ひとつ残さず蒸発してしまった今になって、悔いていた。


 ――初恋の相手にうつつを抜かし、さんざん(けな)し、(おとし)め、(さげす)んできた自分までも、なぜと疑問を抱きながら。


 ゴブリンとの戦闘は防戦一方、ストレスの溜まるなか、やり場のない感情はどこにも持って行き場がない。


 割れたシャンデリアの破片だけが、妙に現実味を帯びていた。



「あん!? なんだいこのおぞけ……ッ!?」


 おごそかな印象のトークハットが転がり落ちる。


 攻撃が珍客もろとも吹き飛ばす刹那、ゴブリンメイジはいるはずのない第三者の声を耳にした。


『旦那様が大変お世話になりました。これはほんの、意趣返し(お礼)ですわ』


 メイジに届く、つややかな美声。

 けれど聴いた少年も大の男も魔物に至るすべてを震わせた音の響き。戦慄するような覇気ときらめきのような圧倒的な存在感を放つ淑女の登場に、だれも言の葉を紡げない。

 魔法に長けたゴブリンメイジですら、絶対零度の殺意に背筋を凍らせる。


 落ちたシャンデリアがあった位置に浮遊する、暗色の魔法使い。


 ダークグレーのワンピースにより濃いジャケットをまとった出で立ちの妖艶な美女。妖しくほほえむ口元からはなお白い吐息が漏れ出て、ドライアイスのようにこの歪な空間に厳しい冬をもたらした。


 ――言葉を放ったのは、ほかでもない。


 シーザーは瞠目していた。

 立ち並ぶショーウィンドウでみせた無邪気な姿も、池の魚に食事を餌として与えてしまう抜けている具合も、強かな毒をためこんでいそうな普段の印象さえ『裏切る』、堂々たる強者の風格、に。

 


 とてもその人が、己が妻などと信じられないでいた。シーザー・エンゼルが貰い物の厄介妻、ジュリア・エンゼルだのとは。


◇◇◇


 吹きすさぶ嵐の中、長い直毛が四方八方に暴れている。それは彼女の怒りを如実に現すように、暴風の中揺れる。


 カリン、キコォオオ、チリリン。


 嵐はますます強まり、室内のわずかな水分さえ残さず暖気を奪って凍結していく。


 舞い降りる彼女の黒いピンヒールの足元を霜の花が色付ける。行く末を示すように次々と浮かぶ氷の道。


 シーザーたちは火照った空間が急激に湿気を帯び、その水分すら干からびていくのを肌で感じていた。


「ふざけるな! そんな魔法、燃やし尽くして……ッ!?」


 爆発的な暖気と瞬間的な冷気のぶつかりあいは、氷点下の怒りに軍配が上がった。


『スノウ・ボール』


 シーザーはたった一小節に込められた魔法の繊細さに魅了されていた。銀幕のヒロインもかすむような威圧感を漂わせ、女神のごとき微笑はけれど冷ややかに敵へとまっすぐに向いている。


 ジュリアの詠唱を合図に床一面に刻まれた氷の道が魔法陣の代替をなし、氷属性の魔法を着工させた。


 白く儚い生命を感じさせるいきものがいくつもぷかぷかと浮かぶ。


 ジュリアは仕返しをするためだけに習得している中で、一番弱い、初級魔法を選んだ。手数も稼げるうえに避けきれない●●の絶望を味わわせるために。


 脆そうな見た目だがそれに反し、ただよう綿毛が付着すると、接地面から順に霜が降りるようにあの雪の道が出現した。道が、ゴブリンの体にじわじわと刻まれる。逃げ場をもとめてさまようも、ふわふわと舞う雪の精は足音も建てず忍び寄っていた。


「ぎゃが!!」


 狩人たちは醜悪なゴブリンたちへと牙を剥くように、冬の苛烈さを叩き込む。無音の暴力。ゴブリンたちは。次々に再起不能に陥っていった。


 頬に手を添えて婉然と微笑む女。


『おいたはほどほどに。ですが――あなた方には手遅れでしたね。無垢な少年はおろか、尊い陛下にまで手を下したのですから』

「ま、待つんじゃ! 情状酌量の余地はあるじゃろ? あたしらはまだなにも……」

「命乞いなら無駄ですよ。私、これでも怒ってますから」

「話をしよう、おお! 生き物らしく会話をすれば、種族の垣根など超え、て、……ありゃ?」


 彼女は『シー……』と茶目っ気のある仕草で沈黙を要求した。


『時代に取り残された民間伝説ならば古きものとして伝承の中に朽ちなさい。闇は、闇の中へ――』


「やめ。ヒッ、待あ……アギャあああああああ!!」


 生きたままフリーズドライされるメイジ。


「お仲間さんとともに氷漬けですから寂しくないでしょう? あとは――……」


 メイジが使っていた杖を手に取るジュリア。頭蓋の群れを一度撫でると、接吻する距離感で亡くなった頭蓋の持ち主に、慰めの呪文を贈った。永久の安らかな眠りにつけるよう、鎮魂歌代わりに。


『コールド・スリープ』


 高めれば催眠効果のある精神感応魔法をかけると、持ち主不在となったまがまがしい杖は、ぱらぱらと剥がれ始めた。内部にまで溜め込まれたちいさな頭蓋の数々をも目にし、ジュリアは顔をしかめた。


(きっと……犠牲になった子は――)


 ジュリアの指先では、砕けた骨粉が粉雪のように窓から大空へと旅立つ。黄ばむほどに酷使されていた標本のような頭蓋を慰めたジュリアは、メイジの亡骸に向き直る。


弾幕系シューティング(雪合戦)は私の勝ちですね」


 晴れやかな笑顔は微妙に秋雨まじり。


 ――パチン。指をならすと自然崩壊していく氷の像たち。雨上がりの夕日が差し込むと砕けた氷はなにひとつ残さず蒸発していくのだった。


◇◇◇


「ほんとうに……ジュリアなのか?」


 我ながら馬鹿げた問いかけだとシーザー自身でも思った。それでも彼女に問いかけずにはいられない。


「あっ、ええと……その…………。はい」


 ずいぶんと歯切れの悪い返事だった。

 強者の風格が霧散すると、そこにはいつもの底の見えない妻の姿があった。


 凪いだ表情で佇む彼女だが、所在なさげに指先を擦っている。


「あの、陛下……怒って、ますか?」


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