第6話車輪と炎
「あ……」
シーザーに目を奪われてしまったジュリア。だが緊急事態はすぐ目前に迫っていた。
耳の遠いおばあさんが接近していた馬車に気づいた。腰の曲がった彼女は手押し車を押していたが、その歩みが止まる。つぶらな瞳を最大限開いて悲鳴を放った。
爆走する馬車は止まらない。
なおも馬に鞭打って通行人との距離をつめてきた。皮肉にも、より早く車輪を回して。
「危ないっ……! 避けて!!」
シーザーに気を取られたせいで魔法の準備が間に合わない。今から詠唱してもあと一小節は足りないだろうと計算しジュリアは代わりの言葉を叫んだ。シルバーカーを押しているおばあさんでは到底間に合わないとわかっていても。
「ぐるぁあああああ!」、御者が馬の尻を鞭で乱暴に叩きながら獣のように吠えた。
「ひ、ひい~~、おたすけを」とおばあさんはよろけて転倒しそうになる。
重量のある物体はもうすぐ目の前。馬の蹄の音に、ジュリアはたまらず目を閉じる。
「退くのは貴様らの方だ」
(シーザー様?)
馬と荷馬車を繋いでいた車軸が気づけば切断されていた。
駆けていた馬は、自由になった脚でおばあさんを抱えたシーザーの両脇を通り抜ける。
ジュリアが飛び道具の類を想像していると、派手な破壊音とともに握りつぶされた車輪が、面白いようにひしゃげていく様子が見て取れた。
あまりに人間離れした力技。ジュリアは絶句する他なかった。
粉々に灰へとなってしまった前方の車輪。一方を失ったせいで、馬車は迷走するように隣り合った住居の壁に激突し、停止した。
ぶつかった衝撃波が辺りに物音として届き、二階の住民たちも思わずといった様子で窓を開ける。ぶつけられた壁の家主は腰を抜かしていた。
当のシーザーはといえば燃えカスを払い除けたのとは反対の腕でおばあさんを抱き起こす。
ジュリアは胸をなでおろし、詰めていた息をゆっくり吐いた。
あたりに車輪の焦げた匂いが拡散していく。
◇◇◇
「あれ、陛下ぁ!? 今日は野外演習では……」
幌のなかをシーザーが検分していると暴走馬車を追いかけてきた見回り当番の騎士が現れた。話をすると非番の応援部隊を呼ぶほどとの大捕物となっていた。駆けつけた男性騎士は壁面にめり込む馬車をみつけるとぎょっとした顔をし、静かに胸に手を当てた。
「いや、まだ生きてるようだぞ」
「嘘でしょう!? どんだけ頑丈なんですか!」
交通ルールを無視したならず者はひとまず後ろ手にしばる。シーザーに対して威嚇するような音を発するが、何を聞いてもしゃべらない。そのくせ怪我をしているというのに男たちは縄を解こうと必死だ。
「だんまりか。まあいい取調室に連れていけば済むことだ」
それにしてもと前置きし息を切らせて駆けつけた騎士に「ずいぶん早かったな」とシーザーは言った。
これに対し男は片目を閉じると褒められたものでない失態の経緯を明かした。
「ええ、まあ。お見苦しいですがこの馬車が検問所前で怪しげな動きをしていたもので。検査を実施しようとすると慌てて逃げ出したので追いかけてきたというわけです」
「なるほど。風属性の魔法の使い手ならではだな」
「のちほど応援もくるはずですが……この度は御身みずから国民を守護していただき感謝の念にたえません」
「なに当然だ」
シーザーの腕から丁寧に解放されたおばあさん。彼女はシーザーの手にまんじゅうを一つ乗せ、迎えに来た孫と一緒に手を振って帰っていった。
「彼女が無事でよかった」
「そうですね。あ、おいしそうなおまんじゅうですね」
「やる」
「いいのですか?」
貰い物のまんじゅうは日頃の鍛錬で甘味に飢えている騎士団の若者へと渡っていった。さっそく包み開けようとする彼にはさすがに苦言を呈したが、シーザーは取り上げることはなかった。
改めて積み荷を確認する。
速度違反とひき逃げ未遂の犯人たちの馬車には、果物などの食料が雑然と積まれ、その中に蓋をされた木箱を発見する。
「杭が打ち込まれてますね。これが押収されたくなかったものでしょうか?」
「ほかはダミーだな。ふむ、箱が二重になっているようだ」
「ああ、ほんとだ。隙間から若干みえますね。こちらは重厚感ありますねー、なんでしょうか」
「開けてみるほうが早いな」
「へ?」
シーザーが木箱を地面に下ろす。箱の隙間を強引に作り、杭ごと蓋を開封してみせた。
「あっいかわらずの馬鹿ぢ、いえ怪力ですね」
部下の驚愕した笑いに苦笑を漏らすとさらに中の箱に手をかけた。鍵を差し込む必要などなく、ツマミを回すと簡単に開かれた。
箱が開けられるのを目撃していた二人組は手足をばたつかせロープから逃れようと必死だ。口すら届くはずのない紐に向かって歯を立てようとするあたり、知能の低さがみてとれた。
シーザーはならず者どもに目を向けるより箱の中身を注視していた。
固まるシーザーの様子に横から騎士が顔を出す。
「一体何が……ん? 魔法薬なんてどこからこんな希少なものを。って、陛下、それは証拠品では!?」
硬直していたシーザーは機敏に動き出すとずかずかと馬車を乗り回していた犯人へと、丸々と太った小瓶の液体をふりまく。
紫色のどす黒い液体がかかると沈黙していたならず者どもが暴れ出した。しかし、すぐに――シュウウウと煙が上がりだし彼らの姿が変わる。
どこから湧いたのか、男性二人組だった者たちは奇妙な姿の存在に変わっていた。
小人のようなサイズ感、くすんだ緑の体表、こぶのような頭、折れた鼻先、大きく歪な目――さらにこちらの鼻が曲がるような悪臭を漂わせている。
相変わらず唸り声で騎士団の人間やシーザーを威嚇している、それら。
(なんだこいつらは)
奇妙な生物を前に、シーザーは言葉を失う。
(発話できない不自然さに勘を働かせたが、まさか当たるとは。いやしかし、これは一体……)
その時シーザーの耳は捉えた。
交差点の角に箱の山といたジュリアが悲壮感とともにつぶやいた、その単語を。
「ゴブリン……」
「まさか伝承に登場する魔物か!? 架空の存在がなぜこんな表舞台に――……」
震える妻相手に問いただす暇はない。
魔法薬なんてものが都の外から密輸されそうになっていた事実を照らし合わせ、きな臭いこの一件を自らの手で解き明かす決意をする。
シーザーは胸騒ぎがしていた。
どうにも今朝方見た悪夢の余韻に引きずられるような、そんな感覚を覚えながら。
「お前は先に戻っていろ」
「……」声をかけた女の顔色はひどいものだった。
「それからお前、この荷物を間違いのないようにわが妻の私室へと運ぶよう手配してくれ」と追加の指示を飛ばす。
「この箱の山を……? 陛下、どういう風の吹き回しです?」
「つべこべいうな。あとはまかせた」
「え、ちょお……!?」
荷物と女を預けて駆け出す。その手には木箱に貼られていた一枚の紙が握られていた。
◇◇◇
「積み荷の受取先はここだな」
宛名の記載はないが、目的地の住所だけが示されている。
大通りの裏手に面した立地にはずいぶん古びた洋館が佇んでいた。
乗り込もうとするシーザーだが、背後で蚊の鳴くような音を耳にした。
「シーザー様、私もお供します」
シーザーは目を見張る。
背後に控えていたのはどうやって来たのか、青白い顔で今にも倒れそうな、ダークトーンの淑女であった。
「お前も来ていたのか」
心配など口に出す気もないが、明らかに体調が悪いのは目に見えていた。だからシーザーは彼女の身を案じて残してきたのだ。
「……勝手にしろ」
驚くほど張り詰める女の覚悟、シーザーは「自分の身は自分で守れよ」と告げ、彼女を連れ立って怪しげな洋館に足を踏み入れようとした。
「たすけてください!!」




