第5話憩いのデート
シーザーは並び立つジュリアを横目に口にした。
「貴様はどこに行きたい」
「え……? 私、街をみてもよろしいのですか」
(しまった……!)
我が事ながら迂闊過ぎた。適当に帰せばよかったのに散策を提案してしまったことを悔やむシーザー。だがここで撤回しては彼女の機嫌を損ねるやもしれない。
「ああ、好きにみるといい。俺も気になるからな」
あくまで男らしい体面を保ったままシーザーは内心言い訳をした。表向きは交遊にみせかけるが、実態はただの監視、あくまで気になるのは女が隠している本性だ。
「さて、一体どんな側面が見られるだろう……」
「今なにかおっしゃいました?」
「べつに。貴様が気にすることではない」
探る気を隠しもしないシーザーはその瞳に愉悦をにじませ、ジュリアへと熱い視線を注ぐのだった。
◇◇◇
偽りの妻は早速、たまたま目にした店のショーウィンドウを指差す。
「あのシャツドレス! かわいいです!」
「すごいすごいっ、こんな素敵な文房具があるなんて……」
「はぁ~~。私もこの恋愛小説読みたいなぁ……」
などと怒涛のアピールをシーザーは目にした。
ジュリアは女性らしく多方面に興味をもち、あれはこれはと次々に指を向けてはシーザーにねだってくる。露骨な欲しいものリストには辟易したがわがままを聞かないで無視すればどうなることやらと畏怖した。女のヒステリーとは恐ろしいものだと彼は身を持って知っていたから。
店内で会計を手短に済ませると店の出入り口で首をかしげるジュリアがたびたび目撃された。
散々ショップを巡ったことで律儀に支払った財布は尽きそうになっている。
「ねぇ、シー……はひゃん?」
(これ以上は付き合いきれんぞ!?)
「もう黙れ」
「ひゃい」
うっかりさらなる願い事をしようとしたジュリアの頬を鷲掴みにした。こんなことなら物乞いのほうがまだましであるとシーザーの顔は引きつっていた。
「すみませーん。そこの黒髪の、そうさっき会計をした方、ちょっと」
するとジュリアがガラス越しにみつめていた女性物の洋服店の店員がついてきていた。
「すみません陛下! お忍び中のデートなのに……」
「気にするな」
いいと拒んだが店員は恐れ多いと余剰分の紙幣と細かい小銭を返金していた。だが代わりに営業は欠かさぬようで。
「今度はぜひうちで奥様にオーダーメイドの衣装を用意できれば。良き日を!」
なかなかうまいアピールではないかと、したたかな国民のやりくちにシーザーは愉快な気持ちになった。
それに比較しと横目に見た紛い物の妻は、なにかに気づいたように荷物を持つシーザー相手に愕然としていた。ギフト用の箱はラッピングされシーザーの腕に四箱ほど積まれている。店名まで刻まれて。
「陛下に女装趣味がおありだったなんて」
「ふざけるな貴様ァッ! すべてお前の差し金ではないか!!」
「わたしの……さしがね? ハッ、まさか!?」
ジュリアは顔面蒼白でうろたえだした。魔女と呼ばれるだけあって異質な女だと奇怪なものをみる目でシーザーは彼女をにらむ。
もじもじと指先をいじるジュリアは重そうな口調で答える。
「私、ただ教えていただけなのです」
「なに?」
「シーザー様に私の好きなものを伝えていただけ、で。まさか全部ご購入なされるなんて夢にも思わず……」
この解答はシーザーにも予想外であった。いたたまれない空気がふたりの間に流れる。
(いや待て。ではなにか。俺は新妻に贈り物をせっせと用意していた愛妻家かなにかだと!?)
「ふ、ふ、ふ、ふざけるなああああ」
シーザーはいますぐにでも腕の中の荷物を放りだしたくなった。だが叫んでも発散しきれぬ羞恥心だ。
(本当になんなのだこいつは)
むくれたシーザーは箱の一つをジュリアに差し向ける。さすがの女も意図を理解し、なんなら申し訳無さそうに受け取った。
箱を順番に押し付けるも最後の一つをなかなか受け取らない。
ジュリアをみれば箱の山を三つ持って震えていた。
「……はーっ」
「えっ、あ、あの……」
弱いものイジメは趣味ではないとシーザーは箱を取り返した。華奢な腕ではこんなものも満足に持てないのかと呆れて。
「持って帰る。ついて来い」
ジュリアは目を丸くするとはにかんで言った。
「はい、どこへなりとも」
――荷物持ちに甘んじたのは失敗だったかもしれない。
◇◇◇
憩いの場でベンチに座り込むとシーザーは再三の購買で気疲れしたのか、荷物傍らに大きく伸びをして、首を後方に傾けた。
しばらく雄大な自然の空気を吸う。
かしましい名目上の妻はといえば、池の魚に目を向けていた。ジュリアをそっと盗み見ると、自分の手元をみて肩を落としているではないか。
「フン」
どうやら少年と母親が餌やりしているのをみて自分もしたかったらしい。
(意外だな)
彼女にそこまでの興味もないシーザーは露店で購入した袋に手を付ける。厚切りのベーコンが挟まった、肉がっつりレシピのサンドイッチ。白雪のようなパン生地ごと脂ぎった肉塊に豪快に口をつけた。
「ん。うまい」
かぶりついた瞬間、湧き出る肉汁。疲れた男心をよっぽど満たしてくれる。無意識に袋を漁るが飲料は用意していなかったことに気づく。
(酒でも飲みたい気分だったな……)
舌打ちし、袋に余っている包みをみつける。頼んだのは野菜が多い方のメニューだ。嬉々として魚をみているジュリアを呼んだ。包みごと渡すと嬉しそうになぜか池の方へと走っていき……なにやら奇妙な食べ方をしていた。
(子リスのようだな?)
せっせと具を抜き取り葉野菜やトマトをつまんでいる。そしてパン生地を神妙に観察すると納得したのかパンのクラムを手でちぎって解体しはじめた。
(んんん!?)
シーザーはたった今みたマナーもなにもない食事作法にむせた。
当のジュリアは包みの中のバラしたパンくずを池のうえで逆さまにした。
「あ゛あっ……!?」
シーザーが声を掛けるより先にパンは入れ食い状態の魚の口へと吸い込まれていった。
ワンピースのすそが濡れるのも構わずジュリアは笑っている。
戻ってきたジュリアにシーザーは激怒した。
「貴様っ、あれはお前の昼食だぞ!? いくら店の味が気に入らなくてもあれはないだろう!?」
「そうでしたの……。でもいいです、私はなんだかお腹いっぱいですから。とても美味ですが、満足には食べられそうにありません」
「は?」
(どういうことだ? 味の問題ではない?)
「貴様小麦アレルギーなのか? ……いや違ったよな? 城での食事中も普通に飲み込んでいたし」
「ええ。……なんでしょう?」
ふたりはお互いの顔をみつめあった。なにかジュリアもシーザーとの決定的な違和感は感じつつも確信を得られないでいる、そんな感覚。
しばらくして手のひらに丸めた手を置くジュリア。
「ああ! 私てっきり勘違いしておりましたわ。ふふ」
「なにがおかしい」
「お魚さんたちにあげるものがなくてがっかりしていたのを憐れんだシーザー様が御慈悲でくれたものだとばかり……)
(おさかなさん……なんだッその幼稚な呼称は!?)
「どちらにせよシーザー様は――」
――お優しいのですのね。
はにかむジュリアがまぶしく、シーザーはみとれていた自分に気づくと 不服そうにそっぽを向く。
「だがあれでは持つまい。俺のをすこしわけてやるから、貴様も少しは食べろ。今度は魚になど与えるなよ」
食べかけのサンドイッチを包みごと差し出す。ジュリアは赤面して手をばたつかせていたが、数度押し出すと臆するように口をつけた。
「もういいのか?」
コクコクとしきりに頷くジュリア。所在なさげにこちらをみている。
(この女はなにを恥じらっているのだ?)
戻ってきたサンドイッチに口をつける。横からうるさいほどの視線が注がれるのでジュリアを睥睨すると彼女は慌てて両手いっぱいに顔をおおってしまった。
そういえば小さな口で食べていたな、と思う。嚥下する喉元にも自然目がいった。こくりと喉仏のない細い首が上下するのをつられてみえていた。美味だと告白したのは虚言でもなんでもなく、飲み込むと恍惚そうに息を吐ききった。やはり味わっていたのは嘘ではないようだ。もう一度口元に戻ると、やけに潤った薄い色の唇だなと静観していたが、ふと。
目をかおっぴらいてシーザーは仰天した。
両腕の筋肉はコブを作るほど盛り上がり毛細血管の流れに従って異様に心臓が高鳴っていた。そのせいでいらぬ情報が酸素とともに脳にまで送り届けられた。
(これは、間接的に唇を重ねたことに……ぐっ)
自分がやらかした手痛い失態にシーザーはめまいがした。ここまでくると喜劇やも、と彼は自分の愚かしさに唾棄したくなった。
「こうやって誰かと分け合うのは久しぶりです」
(他にも男と? くう、動揺した俺がますます馬鹿みたいではないか)
「外で食べるのも新鮮ですね」
(あ――……もういいか)
シーザーは高い空を眺め考えるのをやめた。
◇◇◇
なんだかんだと満腹でぼーっとするふたりが近郊の公園で見受けられた。ジュリアのように魚に餌をあげていた親子連れもやんちゃ盛りのこども相手にボールを蹴っていた。
ジュリアは雪玉を投げ合っていた彼との思い出をなつかしく想う。遠く過ぎ去ったあの頃を。
「この布袋は、今では擦り切れて脱色し見る影もないが、愛用していたサシェなのだ。当初は落ち着いたラベンダーの香りがして重宝していた」
独り言を話し始めたシーザーにジュリアは目が点になった。シーザーは色褪せたサシェを握りしめながらどこかやつれた表情をしているが、ジュリアはどう返事をするべきか迷った。シーザーは彼女の反応などお構いなしに続きを語った。
「城の人間には貰ったと説明したが、実際はあの子の落とし物なのだ。最後の日は風が強かったから、ポケットにでも入れておいたそれが落下したのだろう。情けないだろう? こんな体躯ばかり大きな男が女々しくも初恋を引きずっているなどと」
まるで釈明するような内容だったがジュリアにとっては青天の霹靂だった。
(――ラベンダー? それって)
柄がはっきりしないことが口惜しいとジュリアは歯噛みした。もし、彼女の記憶違いでないならそのサシェは。
父の日に習慣としてシャルに贈っていた母イザベラ。母親のまねをして手ずから作った香袋。巾着袋の中身は母が乾燥させたポプリを移し替えたのだ。
言われて思い出した。乾燥しきった青紫の花弁を一枚一枚手で必死に砕いたのを。それもこれも、彼にプレゼントしたい一心で――。
(もしかして……私があげようとした? まさか、でも――……)
記憶違いの線もある。なにより証拠のない曖昧な話だ。自分か、他者か、はっきりしないもやもやとした感情に揺れ動かされて胸を押さえ興奮するジュリア。
「どうした?」
過去の話をしているせいか、少しどころでなくやさしいシーザーにジュリアは感動で鼻をすすった。自覚がないらしいシーザーはジュリアの目元の雫を指先で払った。
「つゆ草の朝露のようだ」
控えめに言ってジュリアは瀕死だった。憤死寸前悶死回避不能な、致死性の精神攻撃に耐えられそうにない。
と、そんなジュリアの肩に小鳥が留まった。街中でよくみる鳥類でかなり人懐こいようだ。ジュリアにねだるようにチチチッと鳴く。
「かわいいな」
(なんて方なの!? かわいいのはあなたの方です――)
ジュリアは息も絶え絶え、みぞおちを必死に押さえる。疲れのせいか距離感もだんだんおかしくなっている。普段など口も態度も冷たいのに、今はなぜか態度までもなにげに甘みを覚えてしまう。
ポーっと熱に浮かされた患者のようにシーザーを眺める。鼓動のとおりならジュリアはいま「どきどき」していた。
(心地いい……)
ずっとこの時が続けばいい、そんな思いで小鳥をあやすシーザーを見守っていた。
「居心地がいいせいで喋りすぎた……」どうやら疲れが癒えたのかベラべらと話していた自覚が出てきたようだ。いつもの、ジュリアにだけツンケンとしたシーザーが返ってきたのを、すこしだけ残念に思う。
(名残惜しいですがここまでですね)
スカートを両端つまんで背筋を伸ばす。
完璧なカーテシーをしてみせてジュリアは「それではごきげんよう」と別れの挨拶をした。
「待て。どこへ行く」
ところがシーザーによって腕を引かれてしまった。
「え? 現地解散ではなくって?」
「逢い引きではあるまいし何を言っている」
ばかばかしいとシーザーはこぼし、ベンチに置いたギフトボックスを抱え始めた。
(デートではなかったのですね。いけませんわ、私ったら。期待など無縁なはずなのに……)
ベンチの前でジュリアは寂しい気持ちでしゅんと身を縮めた。それでもたくさんの贈り物に目を向けて比べ物にならない嬉しさに喜び、笑うと。
「心配だからな」
ドキン。
おそらく意味合いは違うとジュリアも自覚しているが胸が高鳴ってどうしようもなかった。錯覚にしては出来すぎているタイミングだ。
「部屋まで送り届ける。行くぞ」
送り届けると宣言し乗合馬車まで歩くことになった。
(たとえ彼からしてみれば違うとしても。私にとって今日この良き日はデートでした、シーザー様)
「なにか言ったか?」
「いいえ。帰りも一緒だなんて素敵だと思って」
当然だろうと呆れるシーザーにしてみれば監視やその手のものに過ぎないのかもしれない。
シーザーがフッと笑う。
「おかしな女だ。こんなことであの魔女様が喜んでくれるとは、やすいものだな」
皮肉まじりの軽口にジュリアは我慢できずに立ち止まり、口を開いた。
感謝ではすでに足りず。目一杯考えた末、ようやくの思いで。
「はい! 私はシーザー様から与えられるものなら喜んで受け取りますわ」
「……」
ふたりの常時のやりとりならここで軽薄な口調で返ってくる言葉があるはずだ。しかしシーザーは口元をたくましい手のひらで押さえたまま気難しい顔を解くことはなかった。
「これではまるで俺が悪人みたいではないか」
彼の耳は、まだ早い紅葉色に染まっていた。
沈黙。風が公園内の樹木を揺らし、衣擦れのように葉をしずかに撫でる。
◇◇◇
並木道を歩いたふたりは四つ辻に到着した。
交差点の角で佇む上背があるシーザーを見上げるジュリアは満足していた。
街路樹の下のわずかな日陰、色男の涼し気な表情はたいへん眼福であったから。プレゼントの箱をいくつか積んでも表情は平然としており、腕力には自信があるようだ。疲れ知らずの彼の筋肉に、勇気を出して一歩近づく。
「ふふ」
今は自分の情けない一歩すら愛しく思えた。
「そこのばあさん逃げろおおー!!」
事件はいきなり発生した。
怒号とどよめく通行人の声にふたりは角から振り返った。大通りを、馬車が馬のいななきとともにものすごい速度で曲がってきた。直進する馬車に気づき十字路の端による人々。だが、今まさに横切っているおばあさんがいた。
荷車を押すおばあさんを呼び戻そうとする通行人や、必死に合図を送る洗濯中だった向かいの住人。
しかしどれも目に入らない。
ジュリアは腰元に手をおろし魔法の準備をするが陣を作成するより早く駆け出していった人影に目を奪われてしまった。
それは、盛り上がった背中からもうもうと白煙をあげるほどに高ぶった、シーザーの姿だった。