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*ホワイトデュエット*~恋人たちは別れの夜に舞い踊る~  作者: 氷雪みゆき
前編:白銀のプリンセスは一生分の純情を抱えてだいすきな殿下を「「突き放す」」
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第1話疑惑の婚約者

 しずしずと王城のひときわ豪奢な一室へと向かう淑女の姿があった。彼女は笑みを浮かべてドアノブに手をかけた。


 ジュリア・ドラド――姓は後述の理由で変更したジュリア・エンゼル。


 長い指先でひねったノブを目したまま数秒固まっている。中からの返答が聞こえていないのかと衛兵たちは不思議がってみていたが、胸元の布をわずかにつまむと、彼女は反るように背筋を伸ばして中へと入っていった。


「何だったんだ……?」

「さあ」


 向かいの同僚にも答えは分からなかった。





 ジュリアはオールドローズのように気高く、ひどく美しい人間だった。暗色のガリカ・ローズを思わせる魅力的な仕草一つとって、見るものには蠱惑的に映る。


 濡れたように光る漆黒の長髪に、赤紫のらんらんとした瞳。妖艶な美女らしく、ほっそりとした腰つきには相応のしなやかな肢体が付随していた。

 長い手足はマーメイドラインのドレスを着るとさらに強調されており、光沢のある黒いサテンの上質さ、華やかなレースのハイネックライン、そのすべてが合わさって見送るシルエットですら影絵のように当人を強烈に際立たせていた。


 ただし魂の色(・・・)さえ異なれば、と多くの人間は付け加えるだろう。


 なにせ彼女の美貌はそれすら邪智暴虐、奸智術数、と悪い謀のために使われるという。巷ではどんな色男も彼女の(色目)にだけは食いつかないと流行り言葉が生まれるほどの有り様だ。


 という理由で悪評のつきまとう彼女のそばにはもっぱら人がいない。


 王城の通路であっても彼女はいつも一人。けれど孤独さなど微塵も感じさせない態度と物言いで振る舞う姿に、逆に城仕えのものであっても恐れるものが多い。


 その評判は不気味な噂によって占められている。


「見て、魔女様だわ。ほんとに全身まっくろなのね……」

「眼が暗いってことはあの噂も本当だったんだわ」

「その、噂って?」

「あら知らない? なんでも人を呪い殺し過ぎた代償で濁ってしまったんですって」

「まあ怖い……」


 触らぬ神に祟りなしと侍女たちは身震いし、妖しげな女がシクリット城の王室へ入るのを黙って見ていた。


 それは彼女がほかならぬ――……。





「失礼します」


 ジュリアはマナー通りに恭しく頭を下げた。


「よくもぬけぬけと俺の前に顔を出せたな!」


 彼女が面を上げるタイミングで飛んできたのは、憎々しげな物言いと、厳しい表情の美男子だった。


 涼やかな顔の男は眉をいからせ、凄まじい弁舌でジュリアを責め立てる。


「計画どおりだろう、女狐。貴様との婚約は締結された。忌々しいことに、これで俺と貴様は夫婦(めおと)となる。だが……」


 言葉尻でいたぶるだけでは飽き足らず、彼女の細腕を掴んで、入り口の戸に背中から叩きつけた。


 普段の流し目を眼光鋭い視線に変えてジュリアを射抜くのは、まちがいなくこの国の皇帝、シーザーであった。


 帝王は墨色の短い髪に、男らしいがあくまで涼やかな顔つきをしている。彼の深紅の目にはありありとジュリアへの嫌悪が読み取れた。


 白い肌を怒気で赤く染め、たくましい胸筋を威嚇するように大きくみせつけて、シーザーはジュリアの前に仁王立ちになる。


「だが、私は、断じてお前のような性悪を人生の伴走者とは認めない!!」


 吐き捨てるように口にしても烈火のような怒りは腹の内でくすぶるばかり、シーザーは燃え上がる本能のまま次の言葉を待ち構えていた。どんな反応が来ても、皮肉という武器を返せるように。


 ジュリアは、目線をそうっとあげて、彼の人にこう答えた。


「……承知しました」

「は? それだけか」


 冷ややかに笑うだけの女。嫌味の一言でも言おうとしたシーザーは完全に出鼻をくじかれた。

 一見すればまぬけな顔を晒すシーザー。

 興が削がれたように彼女への関心を失ったシーザーは事後報告だけを告げる。


「いつでも輿入れするといい。俺はお前の居室になど通わないがな。それと、贅はいくら尽くしてもらっても構わんが、すべて私費で賄ってもらう。異論はないな、魔女殿」


 だがここで彼女の方から蒸し返してきた。


「ええと、その……夫婦(ふうふ)のことですからお互いのことはもっと話し合わないと……」

「黙れ!! 誰が貴様のような者と好き好んで語り合うものか! どうせそのやわそうな腹も暴いてみれば(まむし)毒蛾(どくが)、果ては百足(むかで)が食い破るように出てくるのだろう!? フン」


 ふんばるシーザーに対しあごに手を添えて熟考するジュリア。彼女の妖しげな魅力をもった瞳をシーザーはがんとして見ようとはしなかった。それはまるで噂を信じて呪い殺されるのを拒むように。


「では……、話はそれだけですか」と、ジュリアはまたまた煽るような文句を続けた。


 暗にもう引き返しても、というような態度には呼びつけたのはたしかにこちら側でも総じて付き合わされているのは自分であるという考えを持っていたシーザーの、憤怒のような怒りの感情(マグマ)が理性という防波堤を乗り越えてしまった瞬間だった。


 彼女が小首をかしげたのもよくなかったかもしれない。シーザーはそんな弱者ぶった態度がよけいに気に入らず、歯ぎしりをしながら彼女の胸を突き飛ばした。


「一年だ! この契約結婚、今年中には破棄させてもらう。分かったらとっとと去れ!」


 お前の顔など見たくもない、そうとれる態度でシーザーはジュリアを突き放した。


 ジュリアはといえば、乱れた髪を直し、彼に突き飛ばされた胸の着衣を静かに払い、シーザーが突き飛ばすようによこした足元の書類を拾い終えるとただ会釈をして扉をあとにするのだった。


 ――そう、何も言わずに。


 怒り心頭のシーザーはこれまた青筋を立てる。


「なんなのだ、……あの女は」


 ベッドの上で頭を抱えるシーザーの苦悩など、誰にも知る由がなかった。





 あくまでスマートに外に出たジュリアだったが、その頬は妙に上気していた。


 物音のせいで緊張感の増した衛兵たちを適当にやり過ごし通路に人目がないことを確認する。ジュリアはそそくさと両手で髪の束をわし掴んで揺らした。


「ふふっ」


 彼女の口から声が漏れる。


 夜更けの帰り道、月明かりに照らされる廊下をあくまでうつくしく踊るようにステップを披露する彼女。


 その髪の間からみえた表情は。





「やっと会えたわ、……旦那様(・・・)


 ――ごく幸せそうに笑っていた。


 なぜなら、この結婚がジュリアにとってほかならぬ『恋愛結婚』

であったから。


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