2.私の家族
「ただいま」
ドアを押し開けると、家の中は真っ暗だった。手探りで電灯をつけ、上履きに履き替える。
木製の床板を歩くと、古い板材がきしきしと音を立てた。
「母ちゃん、寝た?」
「にゃー」
眼前の白猫は目をしっかり閉じたまま、深い眠りの中で一声鳴いた。私の帰宅を知らせる合図だ。
そう、私の実の母親は猫である。
どうして猫が人間の娘を産むことができたのかはわからない。でも事実として、物心ついた時から、私の母親はニャーニャーと鳴くだけの猫だった。
そして、私は彼女の言っていることが理解できる。
例えばさっきのは、「おかえり」という意味だ。
「今日はちょっと暑かったから、先にシャワー浴びてから飯作るね」
「にゃ」
これは、「わかった」という意味である。
浴室で、私は両手を壁につき、熱いお湯が頭から流れ落ちるままにしていた。
まったく、ドラマの登場人物みたいなポーズだね。
「不思議」
「十七歳の誕生日を迎えるなんて」
今日は黒崎汐里の十六歳最後の日。今夜の十二時を回れば、私は十七歳になる。
私はずっと、十七歳になる前に死んでしまうような気がしていた。
中二病でもない、空想でもない、無理に例えるなら、これはRPGで必ず受けることになるメインクエスト。そして私のクエストは、十七歳までに死ぬことだった。
中学の時は、何か重大な病気にかかってぽっくり逝ってしまうのかと思っていた。でも、十六歳も終わりに近づいた今でも、私は異常なほど健康で、風邪や熱すら引いたことがない。
だから今日、自分で決着をつけることにした。
白・石・ナ・ツ・キ
濡れた指で、霞んだ鏡にその名前を書いた。
「あなたは誰?どうして私を助けたの?」
私が文字を書いた部分だけがくっきりと澄み渡り、私の顔を映し出した。無表情で面白みのないその顔は、今日見かけた白石の、たとえ怒っていてもとても輝いて見えたあの姿とはまったく違った。
よし、もう考えないでおこう。これは単なる偶然の出来事だ。たぶん彼女は学校見学で偶然私の写真と名前を目にしたのかもしれない。あるいは、生まれつきの善意で、目の前で誰かが自らを傷つけるのを見過ごせないだけなのか。もしかしたら、王様ゲームで負けた罰として縋り坂公園の探索をしてて、ついでに私を湖から引き上げただけなのか。
うん、きっとそうだ。わざわざ私を助けに来てくれる人なんているわけない。
髪を乾かし、パジャマに着替えると、私は慣れた様子で食堂へ向かった。食卓の傍らで、姉が微動だにせず座っていた。
「姉さん、こんばんは。今夜はクリームシチューだよ」
私はいつも通りに挨拶をした。予想通り、何の反応も返って来ない。台所は食堂のすぐ横にある。エプロンを着けると、私は夕食の支度を始めた。
少しすると、湯気の立つ料理が完成した。姉と私の分を取り分け、食卓に運ぶ。
「姉さん、先に食べてて。父さんと母さんのご飯を準備するから」
姉は相変わらずそこに座ったまま、音も立てず、まばたき一つせず、いつも通りの様子だ。振り返って食器棚からキャットフードとドッグフードを探し出し、私は居間へ直行した。
白猫は完全に目を覚ましており、毛繕いをしていた。傍らの黒犬は、どうやらあまり元気がなく、地面に伏して耳を垂らしている。
「父さん、お帰りなさい。お疲れ様」
「ワン…」
母親が白猫なのだから、父親が黒犬でも推理できそうなものだ。しかし、一日中家で昼寝している母親とは違い、父親は仕事を持つ犬で、朝夕の出入りが頻繁だ。母親の言うことが理解できるのと同じように、父親の言うことも理解できる。
今のは「お腹が空いた」だ。
私はそれぞれの皿に餌を入れた。今日は普段より食事の準備が遅かったので、彼らはかなりお腹を空かせているようで、遠慮なく皿に顔を突っ込んだ。
前に生物の授業で「生殖隔離」って習ったような気がする。でも、私たちの家族は科学では説明できないらしい。私の実の父母は一匹の猫と一匹の犬で、二人の娘を産んだのだ。
水を入れた器を傍らに置き、私は食堂に戻った。姉は食事をしていた。彼女は非常に規則正しく、15秒ごとにきっかりスプーンを口に運び、咀嚼する。目は常に真正面を見ているのに、スプーンは毎回確実に皿から食べ物をすくい上げる。
正直なところ、私は姉が人間ではなく、ロボットか宇宙人なんじゃないかと疑っている。食事の時と、決まった時間にトイレやお風呂に行く以外、彼女は残りの時間ずっと食卓のこの席に座り、老僧が瞑想するように微動だにしない。
私は姉の向かい側に座り、自分の夕食をゆっくりと食べ終えた。甘ったるいクリームのはずなのに、なぜかずっと冷たい湖の水の味がしていた。
後片付けと掃除を終え、時刻は既に九時を回っていた。特に遅い時間ではないが、私はもう動きたくなかった。今日あの子に助からなければ、とっくに休めていたはずなのに。こんな家事をしなくてもよかったのに。
「自殺はダメ!命を大切に!」
そう思うと、目の前に白石の泣き顔がふと蘇った。
最悪な金髪ギャル、私の頭の中から消えてくれ。
まだ寝るつもりはなかったので、ベッドの傍らにある携帯ゲーム機を手に取り、気を紛らわせようとした。ストアに新作が登場していた。よく見ると、なんと金髪ギャルをメインヒロインにしたギャルゲーではないか。
ちょっとやりすぎだろ。
これではゲームをやる気も失せてしまい、私は埃を被ったホラー映画のDVDを引っ張り出し、鑑賞を始めることにした。最初はありきたりの展開だったが、見ているうちに、劣等感に苛まれた女性助演が金髪のヒロインに嫉妬してバカな行動を取り、自らを死に追いやってしまった。
もう見ていられない。
認めるよ、この女性助演に自分を重ねて見ているのはわかる。だが、自分と重なるキャラがここまで愚かだというのは受け入れがたい。たとえ彼女の最後が自分が望んでいた結末だったとしてもだ。
あれこれ考え尽くしたが、何をすればいいかわからない。やはり寝よう。
白石のせいだ。金髪ギャルのせいだ。
意識が暗闇に包まれる直前、私はそうぼやいた。




