存在しない日付──三十一日の亡霊
朝の第4記録室。
差し込んできた書類束を一瞥したフィアネスが、眉をひそめた。
「……主任代理、これ……」
「また数字がずれてるのか?」
エグバートが渋面を向けるのに、フィアネスは神妙な顔でこたえる。
「いえ、日付です。“芽月三十一日”とあります」
「はあ?」
声が低く響き、トールも横から手を伸ばす。
書類を受け取り、一目でため息。
「そんな日は存在しない」
「やっぱり……ですよね」
書類を手にしたフィアネスが青ざめる。
「おいおい、誰がこんなもん通した」
エグバートの問いに、周囲の文官が顔を見合わせた。
視線の先で、新人補佐官が小さく肩をすくめる。
「……あの、指示があったんです。“末日扱いだから三十一日と書け”と」
「誰のだ」
「直属の……上司、です」
沈黙。
エグバートが、机をゆっくり叩いた。
「……なるほど。期限を一日延ばしたいってわけか」
「そ、そんなつもりじゃ!」
やばいことになってしまったと感じたのだろう。新人は必死に手を振る。
「書けと言われただけで! 私だって暦法は三十日までって知ってます!」
「なら書くな!」
怒号が室内に落ちた。
トールが静かに書類を置き、冷淡な声を重ねる。
「存在しない日付で承認したら、制度そのものが崩壊する」
「存在しない日に会議したことになるんですよ!」
「じゃあ何だ。昨日の夜は、国全体が存在してなかったことになるのか!?」
「……それは困ります」
トールの声に、新人が泣きそうな顔をする。
「困るのはこっちだ!」
ドンとエグバートが机を叩く。問題の書類がひらひらと部屋の中を舞っていく。
「今、この一枚で全体の決裁が止まってるんだぞ!」
「で、でも……〆切が三十日じゃ間に合わなかったって」
「だからって三十一日を作るな!」
怒鳴り声に、新人は縮こまる。
フィアネスが慌てて口を挟んだ。
「し、主任代理、まずは修正を……!」
「できるか!」
「えっ!?」
「ここに記された“芽月三十一日”を消した瞬間、この書類は虚偽文書になる!」
「で、でも、このままじゃ!」
「だから最初から書くなって言ってんだ!!」
罵声とため息が交錯し、室内は完全に凍りついた。
***
「──つまり、わざわざ存在しない日付を使って、帳尻を合わせたってことだな」
トールの冷静な言葉に、空気が重く沈む。
「そんな勝手を認めていたら、来月は三十二日が現れるぞ」
「や、やめてください! そんなの処理しきれません!」
残業地獄が見えてきたのだろうか。フィアネスが悲鳴をあげる。
「存在しない日に残業させられる未来が見える……!」
「そんな未来はご免だ」
エグバートは額を押さえ、吐き捨てる。
「……暦院に報告だな」
「えっ!? そ、それは……!」
エグバートの宣告に新人が真っ青になる。
「暦法違反は重大だ。例外は認められん」
「で、でも、上司に言われて!」
「だからといって許されるか!」
「主任代理……落ち着いて……!これ以上大きくしたら、儀礼課まで巻き込みます!」
「もう巻き込まれてんだよ!」
エグバートの声が爆ぜた瞬間、扉が開いた。
「失礼します──追加で引継ぎ書類が届きました」
「またか!」
運ばれてきた束を開いたフィアネスの顔が青ざめる。
「し、主任代理……これも全部“芽月三十一日”です!」
「何だと!?」
トールが素早く確認し、冷ややかに呟く。
「こちらは“氷月三十一日”……いや、三十二日か」
「三十二日!?」
「暦にない日付を二日も創造したわけだ」
「創造するなああああああ!!」
エグバートの怒声が轟き、室内の空気がひび割れる。
***
混乱の渦の中、誰かが小声で呟いた。
「……存在しない日付に書類を乗せれば、期限は永遠に延ばせるってことか?」
「なるほど、それで……」
あ、これってありじゃない?と別の者が頷いた瞬間、エグバートの拳が机に落ちた。
「試すな! 二度とそんなこと考えるな! 記録課をなめるな!」
静まり返った室内。フィアネスは必死に紙束を抱え、うめくように言った。
「主任代理……これ、どう処理すれば……」
「決まってる」
エグバートはゆっくりと顔を上げ、全員を睨み回した。
「──全部書き直しだ」
誰もが声を失った。
山のように積まれた存在しない日付の書類が、机の上で不気味に光を返している。
「……」
次の瞬間、遠くの扉がきしむ音がした。
新しい台車が、さらに大きな山を押して入ってくる。
「追加分です!」
「……………………」
その場にいた全員の心に、同じ言葉が響いた。
──地獄は、まだ続く。




