──背中、預けていいか
「……おい、そこの新人。お前、俺の資料に赤線引いたか?」
「引きましたよ。様式第五号の構文違反だったんで」
「違反じゃねぇ、“現地対応の裁量”ってやつだ」
「第六課はそんな自己流が許されるんですか?」
「許してんじゃねぇ、通してるんだよ。俺がな」
◆
第六記録課、朝一番の内部検証会議。
羊皮紙の束をはさんで、エグバートとトールは火花を散らしていた。
「この報告、項番が連番じゃない。提出日も逆転してます」
「現地が混乱してた。書式より優先すべきは、実態の記録だ」
「でも、それをそのまま通すのは危険です。後で追えなくなります」
「それを“追える”ようにするのが、第六課の仕事だ」
「……っ、屁理屈だ」
「事実だ」
「──ほんっとに、お前ら朝から元気だな」
隅で羊皮紙をめくっていたベテラン職員が、苦笑混じりに呟いた。
「エグの相手ができるのなんて、お前ぐらいだよ、新人」
「“新人”扱い、いつまで続くんですかね……」
◆
その日、午後になって急報が入った。
「納品物の所在が不明です。王女宮の一部で備品の混乱が──」
「記録と現物が一致しない?」
「はい。しかも、“納品先が一階下”になってると……」
トールが眉をひそめた瞬間、エグが立ち上がる。
「よし、現場行くぞ。バレック、来い」
「え、俺ですか?」
「他に誰がいる。お前、報告書の照合得意だろ」
「……行きますけど」
(あれ、今ちょっと褒められた?)
◆
王女宮搬入口。
案内役の侍女が気まずそうに言う。
「実は、この鏡なんですけれど……」
「ああ、これか」
エグが指さしたのは、ひときわ装飾の凝った鏡だった。背面に刻まれた紋章。表面の光沢。装飾台座。
「──この鏡、納品書と一致しない」
「……そうですね」
トールは手元の記録羊皮紙をめくった。
「届け先、装飾意匠、重量。どれも少しずつズレてます。でも書類は“正規通過”になってる。ってことは、誰かが“通した”……」
「照合担当は第二課のはずだ」
「第二課の押印が薄い。転写かもしれません」
「裏捺印が抜けてる。つまり……」
「──偽物」
二人の声が重なる。
侍女が目を見開いた。
「す、すごい……」
「どっちが、ですか……?」
「いや、こう、なんか……ぴたりと噛み合ってる感じが……」
エグが肩をすくめる。
「書類オタクと構文屋が並ぶと、こうなるんだよ」
「失礼な言い方を」
「でも否定はしねぇんだな」
「……事実なんで」
◆
一連の照合作業を終えた帰り道。
沈黙の廊下を、靴音だけが鳴っていた。
「……お前さ」
「はい?」
「文官局、慣れてきたか?」
エグが前を歩いたまま言う。
「まぁ……“様式と運用のズレ”には、だいぶ鍛えられてます」
「お前、構文ばっか気にしてるようで、意外と動けるよな」
「元軍属ですから。現場は肌感覚で覚えるもんです」
「それで文官やれてるんだから、上出来だ」
「……今、また褒めました?」
「気のせいだ」
しばらく歩いたあと、トールがぽつりと呟いた。
「さっきの現場……誰が行っても、同じ結論出せたと思います?」
「無理だな。書式の仕込みに気づくには、現場と構文の両方を読めなきゃならん」
「俺一人だったら、見抜けなかったかもしれません。でもエグと一緒だったから──見えた」
「そういうもんだ」
「……背中、預けていいですか?」
「……あ?」
「いや、なんでも」
「いちいち言葉にすんな」
そう言いながら、エグの声はわずかに笑っていた。
◆
数日後、職員の誰かが呟いた。
「トールさんって、エグさんと並んでると、動きが自然ですよね」
「言いたいこと、先に書いてあるからな。あれで連携取れてんだ」
「最近、“二人まとめて呼べ”って言われる案件もあるって聞きましたよ」
「様式バカと実地屋の組み合わせ、案外いいのかもな」
──その日を境に、ふたりは「並べて動かせ」と指定されるようになった。
文官局にあって異質で、無骨で、
けれど確かに、現場で並び立てる“実務の盾”として──静かに信頼を集めていった。
それは、ただの上司と部下ではなく、
言葉より先に動ける相手として互いを認めた日だった。




