文官記録課の朝は早い──第六回
朝の第4記録室。
窓の外はようやく光が差し始めたばかりだというのに、室内の机はすでに紙で埋め尽くされている。
インクの匂いと書類の山。早朝からこれだけの量があるのは、昨夜の夜会に関する文書が一斉に回ってきたせいだった。
積み重なった紙束の前に立ち尽くし、フィアネスは悲鳴を上げた。
「主任代理、大変です! 印が押せません!」
「……また印章をなくしたのか?」
朝からの騒ぎに、エグバートが眉をひそめる。
「いえ、印章はここに! でも朱肉が……干からびてました!」
「はあ!?」
トールが横目でちらりと確認し、ぼそりとつぶやく。
「乾燥に弱い道具を記録課に置くのが悪い」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃありません! このままじゃ承認が止まります!」
「補充は?」
エグバートの問いに、フィアネスは胸を張って答えた。
「してません!」
「はっ!?」
エグバートが机を叩き、頭を抱える。
「昨日の夜に補充しとけって言っただろ!」
「まさかこんなに早く乾くとは……!」
「言い訳すんな!」
必死に机を探ったフィアネスが、ぱっと顔を輝かせた。
「だ、大丈夫です! 代用品ならあります!」
「ほう……?」
本当なのか、とエグバートの目が細くなる。主任代理の圧を避けるように、フィアネスは勢いで声をあげた。
「紅茶です!」
「……」
「いい色が出ますよ!」
「やめろ!」
エグバートとトールの声が同時に響いた。
「じゃ、じゃあ葡萄酒なら!」
「記録室を酒臭くする気か」
トールの冷徹な突き放しに、フィアネスはさらに焦って口走った。
「インクは!? 黒ですけど!」
「承認印が真っ黒でいいと思うのか」
「で、でも朱色じゃなくても……赤系なら」
「お前、血でも絞る気か」トールが呆れた声で返す。
「な、何か赤ければいいかと……!」
「いいわけあるか!」
エグバートが怒鳴りつけるや否や、室内にはぐったりとした沈黙が落ちた。
トールが呆れた視線を横に送ると、エグバートはこめかみを押さえ、大きく息を吐いた。
「……仕方ない。朝っぱらから朱肉職人を叩き起こすしかないな」
「えっ、今からですか!?」
フィアネスの絶叫が室内に響く。
「他に手があるなら言ってみろ!」
「…………ありません!」
三人分の深いため息が重なった、その瞬間──。
扉の向こうから、ぎしぎしと台車を押す音。さらに新しい書類の山がずるずると運び込まれてきた。
山の高さは、すでに机の積み重ねを越えている。
「……………………」
紙の重みで机がきしむ音だけが、記録室に響いた。
第4記録室に、第二の沈黙と絶望が訪れた。




