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「……だから勝手に話しかけないでください、兄上」──鑑定中に割り込む困った実兄

王宮・記録局第六課・副観察室(臨時)


昼下がりの静かな一角で、若き文官フロイライン=リースフェルトは黙々と作業に打ち込んでいた。


──対象物、手鏡。

王女殿下の失踪事件において、もっとも“不可解な物品”として押収されたものだ。

破損はしているが、断片の一部には微弱な魔力反応が残っており、現在は魔術局の正式調査待ち。

だが、第六記録課の立場としては、それまでに“調査予備記録”としての整理が必要とされていた。


「……波形、異常なし。反応値は確かに下がってるけど、これでもまだ……」


光を反射させぬようにカバー付きの観測台に設置された鏡片に向かい、フロイは細かくメモを取り続ける。

観察対象と距離を取るように置かれた小型の感応石が、淡く脈打っている。


そこに──


「へぇ、やっぱり出てるんだな。これ、たぶん相転移系の痕跡だろう」


不意に背後から声がした。


フロイの手がぴたりと止まる。

視線を上げず、静かに問いかけた。


「……兄上。なぜ、ここに?」


「通りがかったら面白そうな気配がしたから」


まるで悪びれもせずに答えたのは、リースフェルト家の三男──庶務課・施策実装検証室所属、ヨアヒム=リースフェルト。


肩まで流れる銀髪に、緩く結んだ襟元のリボン。

文官らしい服装ではあるが、なぜか“そこだけ研究所の空気”を纏った男である。


「そもそも、魔術科の連中が真面目にやる前に、こういう初期観察って超重要なんだよなぁ」


「兄上、これは文官の管理下にある公式物件です。私的な見解はご遠慮ください」


「私的って言うなよ。これでも昔は魔術科志望だったんだから」


「その“昔”に家中が騒然となったこと、忘れたとは言わせません」


「……あれは父上が悪い。俺の才能が怖かっただけだろ」


フロイは黙って、感応石を一つだけ兄の方へ押しやった。


「でしたら、公式に記録されている“理論上の可能性”を提示してください。感応石の反応に沿った三分類、上から」


「へいへい。まずひとつ、魔力干渉による“認識乖離型の錯視現象”。

ふたつめ、“鏡面転送系の魔術による限定的な空間相互転移”。

みっつめ、“契約系魔術物品による選択転移”。つまり、自発的に選ばれた人物のみを対象とした跳躍ね」


「……それが、本職の魔術師から見た可能性の順序ですか?」


「いや? 俺の主観。

でもな、三番目が一番気味が悪い。

これ、完全に“鏡の側が選んだ”って感じがするんだよなぁ」


「……兄上、いま公式書類に載せられない発言をした自覚は?」


「あるある。だから口頭だけにしてる。書かないでね」


フロイは、机の上のメモをそっと閉じた。

どうにも筆が進まなくなってきた。


「──せめて、黙って横に立っていてくださいますか?」


「無理。黙ると死ぬ病なんだ、俺」


「いい加減にしてください。これは王女殿下に関わる重大事件です」


「わかってるって。でもさ、フロイ。

お前、書式上の“整合性”だけじゃ、この事件の全体は見えないぞ」


フロイは、不愉快そうに眉をひそめる。


「それが“兄上のような方”が庶務課に回された理由でしょう」


「ひどい! でもまあ、正論!」


ヨアヒムはへらりと笑い、しかしすぐに真面目な顔になる。


「……お前の書式は完璧だ。でも、完璧すぎて“隙”がない。

事件ってのは、隙から生まれるもんなんだぜ。

特に、こういう“説明不能な消失”なんてのはな」


「私たち文官は、隙のある文書を出せません」


「そう。だから、兄としては“隙そのもの”を拾ってくるのが仕事だってことさ」


フロイはため息をつき、ほんの少しだけトーンを落とした。


「……正直、この鏡を見ていると、ぞっとします。

転移痕跡がないのに、人が消えた。

しかも、王女殿下が──ただの子どもではない方が」


「お前、王女様に会ったことあるの?」


「遠巻きにだけ。ちらりとです」


「なるほど。……お前も“消えた子ども”の名前を記録する側に立ってしまったわけだ」


ヨアヒムの声が、ふっと静かになった。


「フロイ。記録は記録でも、“誰かの痕跡がゼロになる記録”は、覚悟がいる。

書いてる最中に泣いてもいいから、絶対に最後まで書けよ」


「泣きません。記録課の誇りにかけて」


そう答えたフロイの顔は、どこか頑固だった。

その様子を見て、兄は小さく笑う。


「お前、文官らしくなったなぁ」


「……兄上が言うと嫌味に聞こえます」


「照れなくていいのに」


「黙ってください」


「おう」


結局、兄はその場を離れず、黙って椅子に腰を下ろした。

やや距離を取った位置で、気配を殺すように。


──鏡は、何も語らない。

けれど、“黙っている何か”に向き合うのが、記録官という職業だ。


その沈黙に耐えながら、ふたりの兄弟はそれぞれの方法で、“見えない断片”と向き合い続けていた。





※本エピソードは、事件発生直後の調査記録の一場面です。

本職の魔術師による正式報告は、後日追って記録課に提出予定。

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