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文官記録課の朝は早い──第五回

 朝一番。机の上には、新しい政令に基づく書式が山のように積まれていた。


「……さて、この“確認印”の欄だが」

 

 第四記録室主任代理エグバートが、書類を指で叩く。


「違いますよ。これは“承認印”です」

 

 横で補佐のトールが淡々と訂正した。


「は? いや、どう見ても確認印だろう」

「いいえ、承認印です。昨年の改定でそう呼ぶことに統一されたはずです」


 言い合う二人の横で、フィアネスが首を傾げた。


「えっと……、この前、儀礼局の実務研修で習った時は“裁可印”って教わったんですが」


「「裁可!?」」

 二人の声が重なる。


「待て、裁可印ってのはもっと上の決裁用だろう」

「いや、承認印と裁可印は別物のはずです」

「でも確認印が承認印で、承認印が裁可印で……じゃあこれは一体なんなんだ!?」


 三人の視線が書類の一欄に集中する。

 机の上に積まれた政令の副本は、まだ一枚も処理されていない。ぽつんと空いた小さな四角は、朝日を受けて妙に白々しく光っていた。


「……とりあえず“仮印”って書いておきましょうか」


 フィアネスが恐る恐る口にすると、すぐに二人から声が飛んだ。


「いや、それだと後でまた揉める」

「誰がいつ“仮”から“本”にするんだ」


「じゃあ“未定印”に?」

「余計に混乱する!」

「そもそも“未定”って印を押した瞬間に“確定”じゃないか!」


 言い合いながら、エグバートは羽根ペンを机に叩きつけ、インク壺がカタリと音を立てた。


「いい加減にしろ! 確認だの承認だの裁可だの、名前ばっかり増やして仕事は進まん!」


 声が大きすぎて、窓辺にいた伝令用の小鳥が慌てて羽ばたく。


 トールは平然と小冊子をめくり続け、冷静に呟いた。


「エグバート、声を荒らげても呼称が変わるわけじゃないぞ」

「ぐっ……」


 エグバートは言葉に詰まり、額を押さえた。机の端では未整理の書類が今にも雪崩を起こしそうだった。


「確認印は、確認したやつが押す」

「ですね。そして、承認印は、承認した人が押します」

「となると、裁可印は……おい、これって、全部同じだろ!」


「主任代理、それを言っちゃったら身も蓋も……」

 

 そのうち三人は半ば真剣に「確認印」「承認印」「裁可印」をめぐって、用語集や過去の法令を引っ張り出して比較し始めた。

 朝から分厚い資料が机に積み上がる。


「主任代理、見つかりました!」


 フィアネスが手を挙げる。


「どうやら全部、同じ意味らしいです」


「「は?」」

「各部署で使ってる呼び方が違うだけで、役割は一緒。“内容を見ました”の証明だそうです」

「えっと……記録課の用語集では“いずれも同義”って書いてありますけど」


 朝の光の中、沈黙が降りる。


「……つまり、最初から全部同じってことか」

「だったら最初からそう書いておけよ……」


 エグバートとトールは一瞬、沈黙した。

 そのあと同時にため息をつく。


「……つまり、全部同じ印なんですね」


 フィアネスのあっけらかんとした一言で、記録課の朝はようやく通常業務に戻っていった。

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