文官記録課の朝は早い──第四回
「主任代理──提出分、先ほど最終照合済ませました!」
「ありがとう、ユリアン。構文、第三条以降は改定後で確認した?」
「はい! ただ、その、現場側の実行書式と齟齬が出てまして……どう処理すべきか、ご判断を」
「うん、見せて」
椅子を引き、羊皮紙を手に取る。目を走らせること数秒──
「なるほどね。これ、法規上は不備なんだけど、現場的には“通すべき案件”だ」
「えっ、それって──」
「書式の文言を少し調整して、“判定回避構文”に差し替える。第二項の末尾に“準拠”を入れて。これで形式上は通る。中身は現場処理に委ねる形になるけど……」
「そ、そんな処理、法的にセーフなんですか!?」
新人ユリアンが、青ざめながら叫ぶ。フィアは、くすっと笑った。
「前の主任代理なら殴って通してましたよ」
「な、殴って……!? それ、比喩ですよね!? 比喩であってくださいよ!?」
「もちろん比喩だよ。ほぼ、ね」
◇◇◇
「……あの、すみません。主任代理って、以前は“第四の地獄を生き延びた男”って呼ばれてたって噂で」
「どこから仕入れてきたんだい、そのネタ」
「噂っていうか、調整課の資料室に“ヒューゴ・ラント報告書”って古いやつが残ってて──」
「……懐かしいな。最短記録の人か」
「本当にいたんですね、伝説の“午前中で心が折れた新人”!」
「いたよ。俺、その時まだ学生だったけど、あとで彼の“新人メモ”を引き継いだんだ」
「マジですか!?」
「うん。……それが、今の俺の机にある“地獄の書式補足メモ”の元になってる」
「伝統が重すぎます!!」
◇◇◇
「お、ベイル主任代理。ちゃんと燃えてる?」
「ほどほどに、です」
「いやぁ、昔を思い出すな。エグさんとトールさんが健在だった頃は、ここ入るだけで胃がキュってなったもんだ」
「俺も最初はキュってなってましたよ。トールさんの構文説明、意味わかんなくて泣きかけましたし」
「今の新人たちは恵まれてるよ。前は“トールが黙って資料を出す”から“主任代理が爆速で決裁をぶん投げる”。そして、“理解できないまま一日が終わる”の三連コンボだった」
「……言われてみれば、今が一番新人に優しい時代かもしれませんね」
「主任が“構文読めて、現場もわかってて、説明してくれる”なんて、レアすぎる」
二人の話を耳にしていたユリアンがポツリと呟いていた。
「でも、うらやましいです。エグバートさんも、トールさんも凄い人たちだったんですよね。やっぱり、直接指導受けたかったなって」
「……やめといた方がよかったと思うよ、たぶん」
冗談めかして言いながらも、フィアネスの声はどこか優しかった。
「エグバートさんは“なんで通らねぇか、書類の空気でわかれ”って真顔で言うし、トールさんは“構文ミスの本質は手触りでわかる”とか言い出すし」
「手触り……?」
「たぶんあの人たち、書類を読むんじゃなくて“嗅いでた”んだよ。俺が最初に言われたのも、“嗅げるか?”だったし」
「嗅覚で通す世界って、文官じゃないですよね、それ……」
「でもさ」
フィアは机に指をトンと置く。
「そういう“現場のやり方”も、俺の中に残ってる」
「え?」
「だってさ──今、君が持ってきたこの書類。“法的には不備だけど、現場的には通したい”って、そう判断したのは俺の嗅覚なんだよ」
「……じゃあ、主任も“嗅げる”んですね」
「いや、俺は“読んで”通してる。できるだけね」
フィアは微笑む。
「俺が嗅いだって言ったら、誰も止められなくなるでしょ?」
◇◇◇
──部屋の片隅にある書架には、今も古びた一冊の羊皮紙ファイルがある。
「新人用・地獄の備忘録」とだけ書かれたそのファイルは、
かつて潰れかけた新人が命がけで残し、後に主任代理となった男が改訂を重ねた、“第四記録室の魂”とも言える記録書。
その上に、今日もまた一枚──ユリアンの走り書きが、丁寧に追加されていく。




