新人争奪戦ってあるんでしょうか?
王宮庁舎の東翼、記録課第4室は、朝の光がまだ柔らかい時間に開いた。
開け放たれた窓から、淡い空気が書類の匂いに混じって流れ込む。
「……おはようございます」
肩から書類袋を下げたフィアネス=ベイルが入室する。
奥ではすでに、主任代理のエグバート=グランヴィルが机に向かい、報告書に目を通していた。
「おはよう。今日は早いな」
「会議室の掃除当番なので……」
そう言って手帳を開きかけたとき──
「おはようございます」
軽やかな声とともに、廊下からひょいと顔を出したのは、第6記録室の三等書記官フロイライン=リースフェルト。
片手に書類束を抱え、穏やかな表情で室内を見渡す。
「……何の用だ、フロイ」
低い声に、フロイは肩をすくめた。
「今日の午後に予定されている、南棟の古台帳調査の件です。第4と第6から一人ずつ出す話になっていたと思います。そちらは誰が出るのか決まっていますか?」
「まだだ」
「そうなんですね。うちは私が出る予定ですので、そちらの新人くん──」
二コリと笑いながら、フィアネスを指す。
「お借りしてもいいですか?」
「えっ、僕ですか?」
「駄目だ」
エグバートが即答した。視線は冷ややかだが、どこか懐かしむ色も混じっている。
「お前にうちの補佐を貸す理由はない」
「理由がないはずはありませんよ。たしか、現場経験は早いうちにっていう主義だったのではないですか?」
「経験は俺の下で積ませる。第一、お前のやり方はガチガチすぎる」
「そんなことないと思いますけどね?」
ふっと笑うフロイ。
フィアネスはきょとんと二人を見比べた。
「……リースフェルト書記官?」
フィアネスがふと呼ぶ声にフロイは微笑みを返す。その表情にフィアネスは養成学校での噂を思い出していた。
「たしか、リースフェルト書記官の兄上って、儀礼局の方ですよね?
だから、ガチガチなんですか?」
「あいつとは一緒にしてやるな。でも、こいつが理詰めのガチなのは変わらんがな」
「お褒めの言葉としていただいておきますよ」
二人の間に、見えない火花が散る。
「え、あの……南棟ってどんな場所なんですか?」
「崩れかけの書庫だ。埃と虫食いだらけの台帳を写す。呼吸器の弱い奴はすぐやられる」
「そんなことはないです。半日で終わる仕事ですよ。途中で書庫番の方の昔話も聞けるという特権付き」
「寄り道だろう」
「文化交流です」
言い合いは止まらない。
時計の針は八つを回り、外の廊下がにわかに騒がしくなる。
「……で、どっちが決めるんです?」
フィアネスが口を挟むと、エグバートは平然と告げた。
「午後は宮内庁から王女宮関連の資料搬入立ち会いが来ている。お前に任せる」
「えっ!」
「そんな依頼、私は聞いてませんよ。それこそ、第6に回ってくる仕事でしょう」
「今決まった」
「本当ですか?」
フロイは呆れた顔で肩をすくめた。
「……そこまで言われるのなら、仕方がないですね。今回は別の相手を探します」
そう言うと、フロイは書類をまとめると部屋を出ていく。
静けさが戻った部屋の中で、フィアネスは恐る恐る問いかけていた。
「……搬入って、本当なんですか?」
「いや、ない」
「ええ……」
「だが、お前を埃まみれの現場に出す気もない。本当に行く気だったのか?」
「……ちょっと面白そうだなとは思いました」
エグバートは鼻を鳴らし、報告書に目を戻す。
外の廊下からは、フロイの笑い声が遠ざかっていった。
──その笑い声の向こうで、「兄上への嫌がらせに、第5室から引っ張るのもいいかもですね」という声も聞こえたような気がした。




