第4記録室の怪
その朝、第4記録室の扉は――開いていた。
鍵を差し込むつもりで手を伸ばしたフィアネスは、拍子抜けして一瞬固まった。
「……あれ?」
昨日の退勤時、自分が最後に施錠したはずだ。
まさか鍵の閉め忘れ? いや、そんなはずは――と考えながら、恐る恐る扉を押し開けた。
中は、妙に整っていた。
妙に、である。書類棚はきっちり揃えられ、昨日まで横倒しになっていたファイルも直立している。床もやけにきれいだ。
「……誰か、掃除でも?」
「おはよう。……何だこの清潔感は」
低い声とともに入ってきたのは、エグバートだった。
視線を一巡させてから、眉を上げる。
「フィアネス、お前がやったのか?」
「いえ、むしろ驚いてます。昨日の夕方は絶対こんな状態じゃなかったです」
「じゃあ、誰が……」
二人して顔を見合わせる。
朝の第4記録室にしては妙に静かだ。いや、いつも静かだが、今日はさらに空気が違う。
「……主任代理、これ、夜中に誰か入ってきたんでしょうか」
「侵入者、か。だが書類は無事だな。金目の物も……そもそもないが」
エグバートは書棚をざっと見回し、腕を組む。
フィアネスは胸の奥にじわじわと不安が広がるのを感じた。
「じゃあ、掃除目的の泥棒?」
「泥棒が掃除して帰るか」
「……たしかに。じゃあ、もしかして――」
フィアネスは声を潜めた。
「幽霊、じゃないですか?」
「は?」
「ほら、この記録室って、昔の第七記録課の備品をそのまま使ってるじゃないですか。棚の奥とか、異動の時に亡くなった先輩の……」
「やめろ。朝からそういう話をするな」
「でも説明つかないじゃないですか。施錠されてたはずの部屋が開いてて、書類がきれいに整ってるなんて」
「幽霊が整理整頓……」
エグバートは苦い顔で天井を見上げたが、その口元はわずかに引きつっている。
半分は笑っているのだ。
「じゃあ何だ、夜な夜な亡くなった文官がファイルを揃えてくれると?」
「そうです。しかも几帳面な人だったんでしょう。背表紙の向きまで揃ってますし」
「……もし本当にそうなら、むしろ歓迎だな」
「歓迎って!」
「仕事が減るだろう」
「いやいやいや……」
くだらないやり取りをしているうちに、少しだけ不安は和らいだ。
だがやはり、謎は謎のままだ。
「他に心当たりはないのか?」
「うーん……もしかして、昨日残業してた誰かが?」
「なら扉は閉まっていただろう」
ちょうどその時、廊下の方から足音が近づいた。
庶務課の若い書類持ちが顔を出す。
「あ、すみません、第4記録室ってこれ置くとこで合ってます?」
「合ってる。……そういえば、お前、昨日の夜勤だったな」
「はい。あの、帰る前に暇だったんで、ここの棚、ちょっと片付けたんです。なんかぐちゃぐちゃしてたんで」
その言葉にエグバートとフィアネスは思わず顔を見合わせる。
「……つまり」
「つまり、幽霊じゃなくて、お前がやったのか」
「はい? あ、ああ……はい。幽霊……?」
庶務課の青年はきょとんとした顔で書類を置き、去っていった。
残された二人の間に、妙な沈黙が流れる。
「……幽霊、消えましたね」
「いや、むしろ残ってほしかったな」
「え?」
「夜中に勝手に整理してくれるなら、定期的に来てほしいくらいだ」
「……それ、不謹慎ですよ」
「そうか?」
エグバートは机に腰掛け、書類を開きながら肩をすくめる。
「次はあいつが夜勤の日を狙って、わざと散らかしておくか」
「主任代理!」
朝の第4記録室には、ほんのりとした笑いと、整理整頓された棚が今日も鎮座していた。




