本日の議事録、担当者は……じゃんけんで決めます
「──では、本日の議事録係を」
「じゃんけんで決めましょう」
その言葉を聞いた瞬間、文官たちは一斉に固まった。
会議室の主催は、儀礼局。参加者は補佐官クラスを中心とした各部署の中堅層。
そして現在、議題はまだ始まっていない。議事録係の選出すら終わっていないからだ。
「……え、正式に、ですか?」
恐る恐る問いかけたのは、第四記録室所属のフィアネス=ベイル。主任代理の「経験」の一言で押し込まれた新人脱出一歩手前文官。
「そうです。公平を期すため、儀礼局案として“じゃんけんによる決定”を推奨しております」
「推奨っていうか、それ決定事項じゃないですか!?」
「公平ですから」
儀礼局の補佐官が微笑むが、その裏にある黒い意図は言うまでもない。
「つまり、“誰もやりたくない会議だ”って自覚があるってことですよね……?」
フィアネスの呟きに、周囲の文官が無言でうなずいた。
◇◇◇
「……で、負けたのが君なわけだ」
「はい」
第4記録室。会議後の疲労感を背に、フィアネスは自席に座っていた。肩を落とし、机に突っ伏す姿が切ない。
向かいでは、主任代理のエグバート=グランヴィルがコーヒーを啜っている。
「負けた瞬間、儀礼局の人が“お願いしますね?”って満面の笑みで書式を渡してきたんです……!」
「どんな地雷だった?」
「議題が、“次期宮廷楽長候補の選定に関する非公開協議”です」
「地雷だな」
「しかも、前任者の解任理由が“王女殿下の前で咳払いを三回した”っていう噂が先行していて……!」
額を押さえるフィアネス。その横で、黙って一冊の書類をめくる男がいた。
「つまり、“どこを記録して、どこを記録しないか”の取捨選択が重要になる会議だった、と」
トール=バレック。第四記録室主任代理付き補佐。沈着冷静、冷淡に見えて時々人情がある、記録課の精密機械。
「議事録は提出済み?」
「いえ……まだ、下書きしか……。というか、“これ、記録に残すと死人が出る”レベルの発言が多すぎて……」
「たとえば?」
「“あの方は、音程は正しいが人格に難がある”とか、“王太子殿下が特定の演奏家に好感を持っている気配がある”とか……!」
トールは頷いた。
「それは記録してはいけないな」
「ですよね!?」
「だが、議事録には“何が話題になったか”を最低限残す必要がある」
「もう、どうしたら……」
フィアネスが叫びそうになるのを、コーヒーを置いたエグバートが止めた。
「とりあえず、第一案を見せてくれ」
「……はい。これです」
◇◇◇
【非公開協議:次期宮廷楽長候補に関する意見交換(仮)】
・候補者Aに関しては“技術力の高さ”を評価する声あり。
・候補者Bについては“過去の実績”と“人柄”に言及する発言が散見された。
・また、演奏者個人に対する“上層部の嗜好性”を示唆する発言あり。詳細は別紙(非公開)。
※上記発言のうち、人格批判・王族関連の言及については削除処理。
「……これ、ぎりぎりだな」
エグバートが苦笑する。
「“詳細は別紙(非公開)”って、その別紙が一番危険なんじゃないですか!?」
フィアネスがツッコミを入れる横で、トールがメモ用紙を一枚差し出した。
「では、こうしてはどうか?」
【協議概要案(修正版)】
・次期候補について、技術・経歴・人物像の観点から複数の発言があり。
・王族の公式行事にふさわしい品格・表現力を重視する方向で一致。
・発言の一部は私的意見にとどまるため、非公式記録として処理済。
……沈黙。フィアネスが呟いた。
「これなら……通るかもしれない」
「ギリギリのラインだが、記録としての体裁は維持している。政治的爆弾は外しつつ、何が行われたかは残している」
「さすが、“記録課の外科医”と呼ばれるだけありますね……」
「いや、呼ばれてない」
そっと訂正されるも、フィアネスの目には涙が浮かんでいた。
◇◇◇
昼過ぎ。提出書類の束を手に、フィアネスは政務棟へと向かっていた。
提出先は儀礼局──件の会議の主催だ。
「失礼します。本日の議事録、提出にまいりました」
「おお、お疲れさまです。拝見しますね……」
儀礼局補佐官はパラパラと目を通す。徐々に表情が変わっていくのを、フィアネスは固唾を飲んで見守った。
「……ふむ」
「……?」
「いや、てっきり“表現の自由”に走った書きっぷりで来るかと思いましたが、案外まともですね」
「(最初はそうなりかけました……)」
「“非公式記録として処理済”って表現、なかなかうまいですね。王族関連の記録ではよく使う言い回しです」
「(……業界用語!?)」
「これ、今後の議事録雛形として保管させてもらっていいですか?」
「えっ、はいっ!?」
思わぬ形で“汎用議事録雛形”として採用されたことで、フィアネスは後ずさった。
◇◇◇
「で、無事通ったのか?」
「はい……なんか、“議事録雛形として保管”って言われました……」
記録室に戻ったフィアネスが力なく答えると、エグバートは楽しそうに笑った。
「よかったな。じゃんけん、勝ったみたいじゃないか」
「……二度とやりたくありません……」
そう言って、机に突っ伏すフィアネス。その背に、トールが無言で一筆書いた紙を置いていく。
紙の端には、こう記されていた。
──『記録とは、残すことではない。“残すべき形”で残すことだ』──
「トールさん……」
見上げた視線の先で、主任代理付き補佐が静かに頷いた。
「次も、頼むぞ」
「次!?」
記録課の“地雷回避能力”は、また一つレベルを上げたのだった。




