新人は“なんとなく”を許されない──記録室、初日報告
──午前八時三十分。
王都中央庁舎・第三南棟。
まだ人通りの少ない廊下を、フィアネス=ベイルは緊張の面持ちで歩いていた。
庶務課第四記録室。
今日から彼の新たな職場となる場所──だが、まだどんな部署か実感はない。
(挨拶は丁寧に、指示は即応、気合いは見せすぎず……)
何度も頭の中でイメージトレーニングを繰り返しながら、扉をノックする。
「失礼します。本日付で配属されましたフィアネス=ベイルです!」
返事は、なかった。
薄暗い部屋。空気は少しこもっていて、書棚の隙間から朝日が差し込む。
積まれた紙の山。机の上の茶渋ついたマグ。
──そして、応接ソファに、寝袋の膨らみ。
まさか、と思った瞬間、寝袋がもぞりと動いた。
「……あー、今日からってのは、お前か」
現れたのは無精髭と寝癖が乱れた大男。
制服の前が半分開いたまま、眠そうに目をこする。
「……主任代理の、エグバート=グランヴィルだ」
「っ……!」
言葉が出ない。
文官学校の“主任像”は、完全に崩れた。
***
「まあ、そこ座れ。朝の分、ちょうど片付けたいのがある」
「はいっ」
半ば反射的に返事をしてしまった。
案内された机の前に置かれたのは、資料が十数件。
紙質も字体もまちまちで、どう見ても雑多な書類群だ。
「こいつらを分類して、保管用にまとめる。“地方報告系”な。午前中でいけるだろ」
「……承知しました」
とは言ったものの──何から手をつけていいのか、正直わからない。
報告書の一つには“山間部における道路損壊”とある。
もう一つには“地方徴税担当官の報告抜粋”とある。
(両方とも地方に関係してるけど……、同じ分類でいいのか?)
迷いながらも、「似ている」という理由で、同じラベルのトレイに仕分ける。
黙々と手を動かし、三件、四件と進めていった──そのとき。
「なあ、ベイル」
「はいっ!」
びくりと肩が跳ねる。
「その二つ、なんで同じ分類に入れた?」
「えっ……あっ……どちらも“地方報告”に該当するかと……」
「書いた部署は?」
「……一つは地方事務局、もう一つは王都の出張官です」
「つまり、“地方からの報告”と“地方に関する報告”だな」
「……っ」
目の前が軽く暗くなる。
「似てるようで、意味が違う。記録にとって、一番の敵は“なんとなく”だ」
主任の声は静かだったが、じんわりと刺さった。
***
「“似てるからまとめた”は、“後で誰かが困る”ってことだ」
エグバートは、机の角に腰をかけて、腕を組んだまま続ける。
「文官ってのはな、“違いを区別する仕事”なんだよ。似てても意味が違えば、それは別の情報だ」
「……はい」
「お前が仕分けたそれ、見た目は似てても──性質は全然違う。
後から検索かけるとき、“どこに入ってるかわからん”報告が一番厄介だ。わかるか?」
「……はい……っ」
どうにか声を絞り出す。
主任は、ひとつ深く息を吐いてから、少しだけ口元を緩めた。
「最初から完璧にできるとは思ってない。だが、考えないまま“それっぽく仕分ける”のは一番まずい」
「……はい」
「現場の紙ってのはな、字の並びより、書いたやつの“意図”を読むもんだ。
字だけ見て“だいたいこれっぽい”って仕分ける奴は、役に立たん」
その一言が、何よりも響いた。
***
午前が終わる頃には、書類の半分以上は“保留”トレイに移されていた。
なんといっても、読み返していくうちにどんどん怪しくなっていくのだ。
文官学校では教えてくれなかった。
字面の裏にある意図、背景、前提──そういうものが、いかに大事か。
「手は遅かったが、目は悪くない」
昼前、主任がぽつりと呟いた。
「やる気で突っ走って、まちがった仕分けを自信満々に提出されるよりマシだ。
新人が立ち止まって考えるなら、それは前に進んでるってことだ」
「……ありがとうございます」
自然と、背筋が伸びていた。
***
午後の始業直前。
主任は一冊の古い冊子を棚の奥から取り出してきた。
「貸しといてやる。“第4記録室・非公式手引書”だ」
「非公式、ですか……?」
「三代前の誰かが書いたって話だ。書いてあること全部が正しいとは限らん。だが、何かの足しにはなる」
「はい……」
「読んでわからなきゃ、それでいい。読みながら考えるのが大事だ。
文官は、“調べる前に諦める”奴から潰れていく」
その言葉に、フィアネスは無言で頷いた。
***
初日、夕方。
書類はまだ山積み。
主任はまだマグを片手に椅子を回している。
業務時間は終わっていないのに、なぜか“戦場の空気”だけは味わい尽くした気がした。
文官とは、紙を読み、違いを見抜き、線を引く職人である──
今日という一日が、それを教えてくれた。
新人文官、フィアネス=ベイル。
庶務課第四記録室での初日を、どうにか“終えた”。
そこに“明確な正解”などないと知るには、十分すぎる朝だった。




