表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

55/84

新人は“なんとなく”を許されない──記録室、初日報告

──午前八時三十分。


王都中央庁舎・第三南棟。

まだ人通りの少ない廊下を、フィアネス=ベイルは緊張の面持ちで歩いていた。


庶務課第四記録室。

今日から彼の新たな職場となる場所──だが、まだどんな部署か実感はない。


(挨拶は丁寧に、指示は即応、気合いは見せすぎず……)


何度も頭の中でイメージトレーニングを繰り返しながら、扉をノックする。


「失礼します。本日付で配属されましたフィアネス=ベイルです!」


 


返事は、なかった。


薄暗い部屋。空気は少しこもっていて、書棚の隙間から朝日が差し込む。

積まれた紙の山。机の上の茶渋ついたマグ。

──そして、応接ソファに、寝袋の膨らみ。


まさか、と思った瞬間、寝袋がもぞりと動いた。


「……あー、今日からってのは、お前か」


現れたのは無精髭と寝癖が乱れた大男。

制服の前が半分開いたまま、眠そうに目をこする。


「……主任代理の、エグバート=グランヴィルだ」


「っ……!」


言葉が出ない。


文官学校の“主任像”は、完全に崩れた。


 


***


 


「まあ、そこ座れ。朝の分、ちょうど片付けたいのがある」


「はいっ」


半ば反射的に返事をしてしまった。

案内された机の前に置かれたのは、資料が十数件。

紙質も字体もまちまちで、どう見ても雑多な書類群だ。


「こいつらを分類して、保管用にまとめる。“地方報告系”な。午前中でいけるだろ」


「……承知しました」


とは言ったものの──何から手をつけていいのか、正直わからない。


報告書の一つには“山間部における道路損壊”とある。

もう一つには“地方徴税担当官の報告抜粋”とある。


(両方とも地方に関係してるけど……、同じ分類でいいのか?)


迷いながらも、「似ている」という理由で、同じラベルのトレイに仕分ける。

黙々と手を動かし、三件、四件と進めていった──そのとき。


 


「なあ、ベイル」


「はいっ!」


びくりと肩が跳ねる。


「その二つ、なんで同じ分類に入れた?」


「えっ……あっ……どちらも“地方報告”に該当するかと……」


「書いた部署は?」


「……一つは地方事務局、もう一つは王都の出張官です」


「つまり、“地方からの報告”と“地方に関する報告”だな」


「……っ」


目の前が軽く暗くなる。


「似てるようで、意味が違う。記録にとって、一番の敵は“なんとなく”だ」


主任の声は静かだったが、じんわりと刺さった。


 


***


 


「“似てるからまとめた”は、“後で誰かが困る”ってことだ」


エグバートは、机の角に腰をかけて、腕を組んだまま続ける。


「文官ってのはな、“違いを区別する仕事”なんだよ。似てても意味が違えば、それは別の情報だ」

「……はい」

「お前が仕分けたそれ、見た目は似てても──性質は全然違う。

後から検索かけるとき、“どこに入ってるかわからん”報告が一番厄介だ。わかるか?」


「……はい……っ」


どうにか声を絞り出す。


主任は、ひとつ深く息を吐いてから、少しだけ口元を緩めた。


「最初から完璧にできるとは思ってない。だが、考えないまま“それっぽく仕分ける”のは一番まずい」

「……はい」


「現場の紙ってのはな、字の並びより、書いたやつの“意図”を読むもんだ。

字だけ見て“だいたいこれっぽい”って仕分ける奴は、役に立たん」


その一言が、何よりも響いた。


 


***


 


午前が終わる頃には、書類の半分以上は“保留”トレイに移されていた。


なんといっても、読み返していくうちにどんどん怪しくなっていくのだ。

文官学校では教えてくれなかった。

字面の裏にある意図、背景、前提──そういうものが、いかに大事か。


「手は遅かったが、目は悪くない」


昼前、主任がぽつりと呟いた。


「やる気で突っ走って、まちがった仕分けを自信満々に提出されるよりマシだ。

新人が立ち止まって考えるなら、それは前に進んでるってことだ」


「……ありがとうございます」


自然と、背筋が伸びていた。


 


***


 


午後の始業直前。


主任は一冊の古い冊子を棚の奥から取り出してきた。


「貸しといてやる。“第4記録室・非公式手引書”だ」


「非公式、ですか……?」


「三代前の誰かが書いたって話だ。書いてあること全部が正しいとは限らん。だが、何かの足しにはなる」


「はい……」


「読んでわからなきゃ、それでいい。読みながら考えるのが大事だ。

文官は、“調べる前に諦める”奴から潰れていく」


その言葉に、フィアネスは無言で頷いた。


 


***


 


初日、夕方。


書類はまだ山積み。

主任はまだマグを片手に椅子を回している。

業務時間は終わっていないのに、なぜか“戦場の空気”だけは味わい尽くした気がした。


文官とは、紙を読み、違いを見抜き、線を引く職人である──

今日という一日が、それを教えてくれた。


 


新人文官、フィアネス=ベイル。

庶務課第四記録室での初日を、どうにか“終えた”。


そこに“明確な正解”などないと知るには、十分すぎる朝だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ