あらゆる報告書が「概ね良好」──安全圏の魔法言葉
「……“概ね良好”って、何割?」
エグバート=グランヴィル主任代理の、いつになく静かな声に、
フィアネスは反射的に背筋を伸ばした。
目の前の机には、彼が前夜に仕上げた進行報告書が置かれている。
しかも──一枚ではない。三枚とも、だ。
「えっと……だいたい、七、八割以上……?」
「じゃあ、良好じゃない二、三割はどこにあるのか説明してくれるか」
「えっ……?」
***
「“大丈夫そうです”“多分問題ないと思います”“概ね良好です”──」
エグは書類を指さしながら、穏やかに毒をまぶした声を重ねた。
「これらすべて、“責任を取りたくない人が使う安全圏表現”だ」
「……っ、ええっ!?」
「“思います”は推測、“多分”は逃げ、“概ね”は曖昧。“良好”は主観。
全部揃ったら、もはやそれは“報告”じゃなくて“願望”だ」
「が、願望扱い……!?」
机に突っ伏したくなるのを必死でこらえながら、
フィアネスはペンを握りしめた。
文字は整っていても、書いてる本人の心は今、ぐちゃぐちゃである。
「でも……その、あまりにも断言口調だと、角が立ちませんか?」
「立てていい。事実を記録する仕事に、角の丸めようは不要だ」
「け、けど……“すべて良好でした”って書いたあとで、何か問題が見つかったら──」
「その時は、記録を改めて正す。逃げるための表現は、信頼を損ねる」
***
“概ね良好”──その言葉は、使いやすかった。
現場で多少ゴタついても、“概ね”と言えば全体の空気が良さそうに見える。
問題があっても、“良好”がつけば責任は和らぐ。
“魔法のクッション語”だった。
だが、それは──主任代理には通じない。
「報告とは、情報の写しであって、作文ではない」
「……作文してるつもりは、ないんですけど……」
「してる。“多分”“〜と思われます”“大丈夫そうです”
──全部、書き手の感情を混ぜ込んでいる」
「……そういうつもりじゃなかったんですけど」
「書いた以上、“つもりじゃなかった”は通じない。文官なら、言葉を明確に使え」
フィアネスの指先がじんわりと汗ばんでいく。
ふだんは優しいのに、文体指導になるとエグ主任は容赦がない。
穏やかに、静かに、確実に刺してくる。
「じゃあ……“完全に良好”と書けばよかったんですか?」
「それもお勧めしない」
「なんでですか!?」
「“完全に良好”と主張するからには、すべての手順、担当、確認記録に問題がないと保証しなければならない」
「つまり、それはそれで地雷……!?」
「報告に感情や脚色を入れるから、地雷になる。事実だけを淡々と書けばいい」
***
──たとえば、とエグが静かに例を挙げる。
“○月×日午前、資料提出を受領。所定フォーマットに準拠、誤記なし。確認済み。”
“午後、関連書類の照合。提出順に差異あり、別途再調整を要す”
「……無味乾燥ですけど、内容は一発でわかりますね」
「それでいい。報告とは“状況を再現可能な形で記録すること”だ」
「再現可能……なるほど」
妙に納得してしまいそうなところで、エグはふと表情を和らげた。
「君が“概ね良好”と書いたのは、きっと丁寧でありたかったからだろう」
「え……」
「柔らかくして相手の心証をよくしたかった。失礼がないようにしたかった。
でも、それは“報告”ではなく“配慮”だ。報告と配慮は別物だよ、フィアネス」
その言葉に、フィアネスはようやく、胸に突き刺さっていた何かがすっと抜けるような気がした。
「……わかりました。次からは“願望”じゃなくて“記録”を書きます」
「うん、いい返事だ」
***
──昼前。
訂正された報告書が机に並んだ。
どれも淡々と、けれど正確に、数字と事実を積み上げていた。
エグが目を通しながら、ふと顔を上げる。
「“進行状況、整然。予定通り進行中”──いい書き方だ」
「ほんとうですか!?」
「概ね、良好だ」
「えっ」
「……あ」
「今、“概ね”って言いませんでした!?」
「使いどころを間違えなければ、便利な言葉だ」
「ずるいです……」
報告書の最後に、“笑い声が交じっていた”とは誰も書かなかったが、
記録課の午前は、今日も“ほぼ良好”だった。




