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「27歳新人、同期の壁に挟まれて」──文官局、春の異動より

文官局の春は、どこか落ち着かない空気が流れる。


各課に新任が配属され、異動者がバタバタと書類を抱えて廊下を駆けていく季節──

なのだが、今日の第六記録課に現れた“新人”は、その空気とすこぶる合っていなかった。



「……おい、誰だ今の。軍属の視察か?」

「いや、名簿に名前あるぞ。第六記録課、配属先──新人扱いだとよ」



小声のさざめきの中、背筋を伸ばし、きっちり軍靴の音を響かせて入ってきたのは、明らかに“新人”の風格ではない男だった。


年齢、二十七。肩に力の入った軍式の敬礼。

だが手に持っているのは、文官局配属の辞令書──

その名も、「トール・バレック」。


クラウス=リースフェルトやエグバート=グランヴィルと同年齢。

しかし彼だけは、軍属として長く任官し、転属という形で“同期”に合流した“時差同期”である。



「では、案内します。第六記録課の主務官のところへ──」

「よろしくお願いします。私は、任務には忠実です」



無駄に背筋が伸びている。

声がやたら大きい。

視線が泳いでいる。


──だがそれも無理はない。


案内役の若手職員がちらりと後ろを見たとき、トールの額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいた。




◇◇◇




「……で、おまえ誰だ?」


第六記録課実務官、エグバート=グランヴィル。


噂通り、というより噂以上だった。

袖まくりのまま記録書類の山を処理していたその手は、見るからに鍛え上げられた“現場の手”。


視線は鋭く、口調も軽妙。

だが、絶対に逆らってはいけない雰囲気がある。



「本日付で転属となりました、トール・バレックです。以後、よろしく──」

「……バレック? あー、あのバレック家か。お前、オスカーって知ってるか?」

「従兄です」

「だよな。あの無駄に真面目なオスカーと同じ空気、すげぇする。ははっ」



笑っているのか、睨んでいるのか、よくわからない。

だが、少なくとも「歓迎ムード」ではない。



「文官局は初めてです。実務は、現場調査から戦後処理報告まで経験して──」

「うん。そういうのはあとで書類で出せ。……で、あれだ。

お前、同期らしいな。俺や、クラウスと」



ここでトールの背中に、第二波の冷や汗が伝う。



「そう……なります、ね。年齢的には」



──そう、年齢だけは同じ。

だが、現実には雲泥の差がある。



クラウス=リースフェルト。

第一記録課の調整官。芸術至上主義、様式美の鬼。


エグバート=グランヴィル。

第六記録課の主力実務官。現場の鬼。


そして、自分──

「同期」ではあるが、転属初日で、完全に“後輩の空気”を纏っている。




◇◇◇




「なあ、バレック」



初日の午前中、処理棚に書類を運んでいたトールを、エグバートがちらりと見た。



「軍属って、やっぱり書式には疎いよな?」

「……はっ。反論は、できません」

「だろ? だから書き直せ。三回目だ、これ」



机の上には、修正済みの記録文書。

横には、なぜか第一記録課のクラウスから送られてきた朱色の添削コメントが添えられていた。



──“書式を冒涜するとは、このようなことを指す”



赤い文字が躍っている。



「これ、クラウスの字ですか……?」

「おう。あいつは俺の同期でな。お前も同期だよな?」


「……はい」

「なら──“同期トリオ”だな!」



肩をバンッと叩かれた。


痛い。

だが、拒否できない。

“同期”のはずなのに、どうしてここまで差があるのだろう──

そんな思いが、ずしりと背中にのしかかった。




◇◇◇




昼休み、控室。

同僚らしき面々が、にこやかに微笑んで話しかけてくる。



「大変だねぇ、新人」

「うち、ほら、“二大巨頭”が揃ってるから」

「クラウス様式とエグバート実務主義が両立してるって、どうかしてるよね」

「どっちにも怒られた?」

「……はい」



しみじみと答えると、全員がうんうんと頷いた。



「わかる。僕らもそうだった」

「クラウスに“余白が多すぎる”って言われたことある」

「自分は、エグさんに“こんなもん、現場で使えねぇだろ!”って怒鳴られた」



──なんだ、みんな被害者じゃないか。

ふと、気が緩んだその瞬間──



「ま、潰されなかっただけ、マシじゃない?」



静かに、でも重くつぶやかれた一言に、全員の動きが止まった。



「……潰された人、いたんですか?」



誰も答えなかった。

ただ、静かにお茶をすする音だけが、控室に響いていた。




◇◇◇




春の異動でやってきた“27歳の新人”は──


今日もまた、クラウス様式の赤字と、

エグバートの現場チェックと、

古参同期たちの胃薬配布の狭間で、懸命に書類を書いている。


文官一年生としては年齢オーバーかもしれない。


だが──



「……生き残ってみせますよ、俺は」



そうつぶやくその横で、誰かがそっと薬湯のカップを置いていった。


それが、“ようこそ”の合図だと気づくには──

もう少しだけ、時間が必要かもしれない。




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