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この欄、なんで空白なんですか!?──婚姻届(貴族用)地獄

「……で、なんで回ってきたんですか、これ」



庶務課第四記録室、朝一番。

机上に置かれた一通の書状を前に、フィアネスが盛大に眉をひそめた。



「婚姻届──のはずなんだが、見ての通り」

「見ての通り“空欄だらけ”なんですけど!?」

「提出期限、今日まで。内容不備で再提出不可」

「地獄案件じゃないですか!」



どん、と机を叩いたフィアネスに、主任代理のエグバート=グランヴィルが淡々と続ける。



「貴族家同士の婚姻届。封蝋は正式、証人欄にも名がある。だが──」

「“家格同等証明”、空欄ですね」

「そこが問題だ」



この欄は、両家の家格差が大きい場合、上位側の当主が“婚姻を了承した”旨を示すために必要とされる。



「この提出主、伯爵家と子爵家です。……当然、差がありますよね」

「しかも、伯爵家側の保証人が“義兄”ってなってる」

「父親は!?」

「署名なし」



フィアネスは頭を抱えた。



「どう考えても“駆け落ちスレスレで書類だけ提出しました”案件じゃないですか……!」

「ちなみに、この伯爵家の名前──“ドラクロワ”だ」

「えっ、ドラクロワ? あのドラクロワ!?」



五大家の一つ、王の歯車とも呼ばれる家の名前が出た。

そのことでフィアネスの顔色が一気に青ざめる。



「安心しろ。これは、本家じゃない……“北方の分家筋”だな」

「そっちですか! それでも、本家に飛び火したら詰むやつじゃないですか!」



その悲鳴を背に、エグバートは淡々と机の引き出しから資料を取り出す。



「貴族間の婚姻は、“公式記録”として保管義務がある。受理すれば後戻りはできない」

「でも、こんな爆弾書類、押印できませんよ!?」

「だから俺たちが“爆発しないように解体”する」

「文官の仕事じゃない……!」



そこへ、ちょうど通りがかった若い使者が、控えめに声をかけた。



「……あの、先ほど提出した件について、お問い合わせが……」

「ああ、来た来た! ちょっとこちらへどうぞ!」



笑顔で迎えるフィアネスの背後に、なぜか書類の山がそびえ立っている。


──地雷処理班、発動。




◇◇◇


 


「ご足労いただき、恐縮です。で、これは──」



応接室でフィアネスが丁寧に問いかける。



「ご両家の婚姻届でございます」



堂々と答えるのは、ドラクロワ伯爵家付きの使者らしき青年。年の頃は二十代半ば、無駄に礼儀正しい。



「“家格同等証明”欄が、空白ですが……?」

「……あれ? そうでしたか?」

「はい。明確に、空白です」



フィアネスは書類を広げて見せる。



「これは、当主から“念のため空けて出せ”と──」

「“念のため”で火種持ってこないでください!!」



フィアネスが悲鳴をあげた横で、エグバートが腕を組む。



「お前、状況わかってんのか。家格に“差”があるのに、証明がないまま正式受理なんてしたら、後々“王宮が不備を黙認した”って話になる」

「でも、当主のご指示でして……」

「それが一番やばいって言ってんだよ!!」



 使者が小さく肩をすくめる。



「……実は、ドラクロワ伯の妹君が押し切った形でして。家中が“事後承諾”で黙認を……」

「やっぱり爆弾じゃねぇか……」



エグバートがそっと額を押さえる。



「しかも、保証人欄が”当主”じゃなくて“義兄”」

「えっと……ご当主がいらっしゃるのに、義兄が“保証人”ですか?」




もう、使者は何も言うことができない。

うつろな目で文官二人を見るだけ




◇◇◇




「主任代理、これって差し戻しですか?」

「“差し戻す”と角が立つ、“受理する”と責任が発生、“預かり”にして説明求めろ」


「中間処理! 一番面倒なやつですね!」

「一番無難なんだよ。事務方ってのはな、火種は持たない、起爆もさせないが基本だ」


「じゃあ、起爆しそうなこれは……」

「火薬庫に入れて蓋しとけ」

「やだそんな保管方法!」




◇◇◇




「ちなみに……この件、どこかに伝わってる可能性、ありますか?」



フィアネスの問いに、使者が苦笑い。



「ええ、実は……妹君の侍女が王女様のご祝福をいただければ、“社交界で話題になる”とか──」

「やめろォォォォ!」

「絶対に王女様を巻き込ませないでください! 何かあったら全部こっちの責任になりますから!」

「申し訳ありません!」



その時、扉がノックされた。



「失礼します。婚姻届の進捗を確認に参りました」



やってきたのは、宰相府第三部署の記録査定官。つまり──



「……上からの“確認”入りました、主任代理」

「うちの部署名、今朝から“火消し課”に変わったか?」

「実質そうでは?」



ふたりはうんざりしたように顔を見合わせた。




◇◇◇




【翌朝】


王城内・書記局速報連絡


件名:貴族間婚姻に関する手続き上の留意


本文:

貴族間の婚姻届提出に際し、以下の点を再確認されたし。


1.家格同等証明の記載がない場合、正式受理不可。

2.代理人による署名には、家内承認の記録を添付すること。

3.提出前に王女宮または他宮家に言及することは慎重を要する。


なお、本件対応にあたり庶務課第四記録室に多大な混乱が生じたことを付記する。



──今日もまた、文官たちの一日は、静かに火花を散らしながら始まる。




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