文官、火消しに走る──現場暴走対策会議
「──で、これは“誰の”指示だ?」
朝八時の庁舎に、怒鳴るでもなく、ただしっかり通る声が響いた。
第一応接室の中央、丸机の端に腕を組んで座っていたのは、
第四文官局主任代理、エグバート=グランヴィル。
その前には、手元の資料をめくる若手文官──
配属半年の庶務課文官、フィアネス=エルステッド。
「……現場の運用判断、とのことです」
「“判断”って、どこまでだ?」
「新規手順案の文面を、“拡大解釈”したものと見られます」
エグバートは眉間を押さえた。
「またかよ……だから言っただろ、文言は“曖昧にするな”って」
「でも、文言どおりには運用しづらいって、当時の意見書にも──」
「……書いたの、俺じゃねぇからな? “あの時”の件だろ? こっちのせいにすんなよ……」
ガン、と机を叩いた音に、空気が一瞬止まる。
だがフィアネスは慣れた様子で、隣に積んだ書類を一枚めくった。
「では、“どこがどう拡大されたのか”の比較表です」
「……マジか、お前これ一晩で作ったの?」
「昨日のうちに“絶対こうなる”と思って用意してました」
「予言者か、お前」
ぼそりと呟いたエグバートの向こう、
応接室の出入り口に、なぜか気まずそうな軍人姿の男が数名。
「なあ、あれ……関係者か?」
「はい、今回“現場運用”された部隊の一部だそうです」
その中の一人が、ひそひそと呟く。
「いや、文言通りにやったつもりなんですけど……」
「“柔軟に”って書いてあったんで……その……」
「なんで覗いてんだ、入ってこいって……いや、やっぱ来るな、ややこしくなる」
軍人たちが、そそくさと視線を外す。
その姿に、エグバートがため息をついた。
「……だから“柔軟”って言葉は禁止にしろって言ったのによ……」
「現場では“柔軟”=“好きにしていい”と同義語らしいですよ」
「誰に聞いた、それ」
「主任代理が“柔軟に頼む”って言ってたと、皆が──」
フィアネスの言葉にエグバートは頭をかきむしる。
だが、今はそのことを追求する時ではない。気を取り直して、今回の問題に向き合い直している。
「……で、“原案”はどこにあんだ?」
「記録課から取り寄せました」
フィアが手渡したのは、朱色の押印がいくつも入った原案控え。
そこに書かれていた一文を、エグバートが読み上げる。
「“当該状況に応じ、現場裁量のもと柔軟な対応を妨げないものとする”──……柔軟って、どこまでが柔軟なんだよ」
その瞬間、応接室の扉がノックもなく開いた。
「──そこが“制度の地獄”ってやつですよ」
ひょいと顔を出したのは、第六文官局三等書記官、フロイライン=リースフェルト──
つまり、フロイ。
「おまえかよ……人の話を盗み聞きするな」
「記録課から書類を届けに来ただけです」
「で、なんで手ぶらだ」
「届け終えました」
エグバートがぐいっと顔をしかめる。
「制度の文言、そこまで曲解できるか普通……!?」
「むしろ“現場に優しい”と称賛されてますね」
フィアネスの一言に、他の2人が揃って黙った。
──その日、第四と第六の会議室には夜まで明かりが灯り、
誰が悪いとも言えぬまま、書類の文言だけが静かに修正された。
翌朝、完成版の冒頭にはこう記されていたという。
“必要に応じ、適切な判断をもって運用せよ”──
……だが、“適切”とは何か──どこにも書かれてはいなかった。




