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文官記録課の朝は早い──第一回

王宮庁舎、庶務課第四記録室。

朝一番の静けさを打ち破るように、天井が揺れるほどの悲鳴が響いた。



「ぎゃあああああああっっ!?」



書類棚の端に積まれていた未処理文書の山が、一気に崩れた。

悲鳴の主は、庶務課第四記録室に配属されたばかりの新人文官──フィアネス。



「落ち着け。崩れたのは紙だ。死人は出てない」



コーヒー片手に現れたのは、主任代理・エグバート=グランヴィル。

冷ややかな声色ながら、足元の書類を一瞥する。



「……が、これは死人が出ていてもおかしくない案件だな」



崩れた山の最上部にあった一枚の文書を取り上げ、彼は苦々しい表情を浮かべた。



「様式、最新版じゃない。署名欄も──見当たらねぇ。

余白の取り方が……まるで絵画か何かか?」



フィアネスが手を伸ばして覗き込む。



「あれ? “提出課”の欄が“第六記録課”になってます」

「差出人名──クラウス=リースフェルト」

「えっ……リースフェルト!?」



固まるフィアネス。

その隣で、もうひとりの来訪者が書類をのぞき込んでいた。



「……申し訳ありません。兄の件でご迷惑をおかけしております」



丁寧に頭を下げたのは、第六記録課所属の記録官、フロイライン=リースフェルト。

通称、フロイ。


この朝、彼は臨時査閲協力のために庶務課第四記録室へと派遣されていた。

目的は、部署間で重複提出された報告書類の照合と内容精査。

だが、到着して最初に確認する羽目になったのが、兄の“問題作”だった。



「形式無視、署名欠落、余白多すぎ、添付図表のページが独立装丁……これ、処理できませんね」



エグバートが深いため息をついた。



「“記録は芸術”とか言ってたな、あの筆文字原理主義者……」



その時、ドアが音もなく開いた。



「お世話になっております。弟がいつもご迷惑をおかけして」



姿を現したのは、第一記録課調整官──クラウス=リースフェルト。

穏やかな笑みをたたえながら、文官制服を着こなし、整った筆箱を携えていた。



「お前か、これを回してきたのは」



エグバートの目が細まる。



「ええ。文としての構成美を追求した結果、多少“様式”とのズレが生じたことは認めます」

「多少どころじゃねぇんだよ!」



机を叩いたエグバートに、フィアネスがびくりと肩を震わせる。



「だいたい、なんで“提出者”の欄が筆耕文字で飾られてんだよ!?」

「そこに、署名の余韻を込めたかったんです」

「いらねぇよそんな余韻!」



クラウスはそれでも微笑を崩さない。



「とはいえ、行間のリズムと句読点の配置は、読み手に自然な呼吸を与える構成になっていたはずです」

「フィアネス、こいつ殴っていいぞ」

「え、無理です! あの、リースフェルト家、怖いです……」



フロイが一歩前に出る。



「兄上。これは……実務には向きません」

「わかっているよ、四男。だが、処理されるだけの文書に、感情は残せないじゃないか」

「“処理されるために提出される”のが、報告書です」



フロイの声音は静かだったが、その言葉には明確な意志があった。

クラウスは一瞬だけ言葉を飲み込み、それから肩を竦めた。



「残念だな、弟まで実務派に染まって……。でもまあ、それも時代か」



彼は手をひらひらと振って部屋を出ていく。



「“形式と実用”の戦いは、今日もつづく。美しい書式を求める者たちよ、あきらめるな──」



扉の閉まる音。



「……フィアネス、胃薬」

「もう飲みました……」



フロイがそっと残った書類を抱え、所定の様式へ転記し始める。



「俺も昔、ああだったよな……」



エグバートがぼそりと漏らす。



「今は主任代理として、ちゃんと怖いですよ」

「誉めてんのかそれ」



こうしてまた、文官たちの朝が始まった。


誰かが叫び、誰かが怒鳴り、誰かが胃を痛め──


それでも、記録と報告の歯車は回り続ける。



──ここは記録課、そして庶務課第四記録室。文官の静かなる戦場である。




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