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「……で、これを“どう書け”ってんだ!?」──誘拐報告書、地獄の第一稿

第六記録課・記録室。



「……ッッ、王女宮から“忽然と消えた”だと?」



怒鳴るような声と共に、机の上にあった紙束が宙を舞った。

記録課の中で“地雷原専門”と恐れられる主任代理、エグバート=グランヴィルが、顔をしかめて唸っている。



「しかも、第一目撃者の侍女が“逃げた”って、どういう状況だよ!」

「そ、それが……主任、現場の証言によれば──」



傍らで縮こまっているのは、配属されてまだ三ヶ月の新人文官、フロイライン=リースフェルト。

冷や汗をかきながら、手元のメモを見て続けた。



「……本日正午過ぎ、王女殿下が王女宮内の小部屋──亡き王妃殿下の私室として使われていた部屋に入室。

 後に侍女が悲鳴を上げて出てきて、“姫様が消えた”と叫び、手鏡を持ってそのまま逃走。

 現在、その侍女は近衛により拘束、事情聴取中です……」


「魔術師が調べてんだろう。王女宮の管理術式は?」

「異常なし。転移痕跡ゼロ。部屋の鍵も損壊なし、物理的破壊も皆無。

 ……本当に、“ただ消えた”としか言いようがないんです」

「──冗談じゃねえぞッ!」



エグバートが、報告書の下書きを握り潰した。

消えたのは、王女アリシア殿下。

場所は、王宮の中でももっとも防御が厳重な“王女宮”。

そのうえ、第一目撃者の侍女は混乱の末に現場から逃走し、“現場の鍵”ともなりうる手鏡を抱えていたという。



「で、“その場から消えた”って?」

「はい。あくまで侍女の証言ですが……殿下が部屋に置いてあった手鏡を手にした次の瞬間、姿が見えなかった、と……」


「なら、その鏡を調べろっつってんだよッ!」

「現在、解析中ですが、逃走時に強くぶつけたらしく、一部が破損しておりまして……」

「ッッッッッ!!」



エグバートは机をドンと叩いて立ち上がった。

頭をかきむしり、唸る。



「……王女が昼間の宮中で、姿を消えた。

 それでいて、誰一人“その原因”を突き止められていない。──こんなもん、どうやって報告書にまとめろってんだ」



フロイは一冊の記録台帳を開きながら、慎重に言葉を選んだ。



「主任……いま我々に求められているのは、“起きた事実”を記録することであって、“理由”を断定することではないと思われます」

「……“殿下が消えた”。その五文字がすべてだろ。

 理由も原因も特定不能。目撃者は逃走、転移痕跡ゼロ。……オカルトかよ」


「“科学的説明不可能な現象に類似する異常事例”として記述し、“調査継続中”の文言で濁すのが妥当かと」

「濁すのが妥当ってなぁ……フロイ、お前なぁ」



怒鳴りかけて、エグバートはぐっと言葉を止めた。

新人に八つ当たりするのは、違う。

だが──



「俺たち、文官だぞ? “なかったこと”を書くのは一番やっちゃいけねぇ行為だ。

 なのに、“あったけど原因がわからない”ってだけで、全部“事象不明”で押し切るのかよ。

 ──殿下は人間だ。実在する。記録の中にもいる。

 その存在が“文章で扱えない”って、どういう地獄だ」



フロイは、ぎゅっとペンを握りしめた。



「……ですが、それでも記録は残さねばなりません。

 “鏡を持って逃げた侍女”が最初の報告者である以上、“主観証言”であっても、我々は公式文書としての整理を迫られる」



エグバートは目を閉じた。

頭の中で、王女の顔がよぎる。

いつか控えの場でちらりと見かけた、兄王太子と並んで歩いていたあの後ろ姿。



(あの兄貴が、どれだけ……)



小さく、深く息を吐いた。



「──いい。書くぞ。書けるところまで、全部書いてやる。

 だが、お前、途中で投げ出すなよ。これ、地獄だぞ?」

「はい。地獄でも、書きます」



ふたりは顔を見合わせて、静かに頷いた。



◇◇◇



『王女行方不明に関する第一報告書(草案)』


第一章:事件概要

・発生日時:炎月五日 正午過ぎ

・現場:王女宮内 書見室(小部屋)

・第一発見者:侍女エルマ(現在拘束・事情聴取中)

・現場状況:部屋の鍵、異常なし。物理的破損・転移痕跡なし

・王女殿下は、小部屋にあった手鏡を手にした直後に姿を消失

・同侍女は直後に「殿下が消えた」と叫び、鏡を抱えて逃走


第二章:物理的・魔術的痕跡

・扉・窓:破損・異常なし

・内鍵の施錠状態:通常通り確認済

・転移・召喚痕跡:ゼロ

・魔術反応:微弱反応あり(鏡に残留反応、詳細解析中)


第三章:人的情報

・王女の行動履歴:朝食後に王女宮へ戻り、以後接触者なし

・侍女の証言:「鏡の前で姿が消えた」「音も気配もなかった」

・王女の体調・精神状態:特記事項なし、通常通りとの複数証言あり


第四章:異常性の整理

・閉ざされた空間の中で、物理的・魔術的に痕跡なく人間一名が消失

・事象を示す明確な原因・手段・目撃証言なし

・“誰も入らず、誰も出なかった部屋”における“実在する人物の不在”は、常識的解釈を超える


結章:暫定結論

・当該事象は既知の記録例に照合不可

・今後、鏡を含む物品・侍女の証言解析を優先し、各分野と連携の上、再検討を実施予定

・本報告書は、現時点の情報と証言に基づく第一草案とする



◇◇◇



報告書が完成したとき、ふたりは同時に大きく息を吐いた。

エグは椅子にもたれて、しばし天井を見つめた。



「……これ、通ると思うか?」

「通らせます。文官ですから」



そう答えたフロイの目は、まだ少し青いけれど、どこか強かった。

エグは、小さく笑って言った。



「いいぞ、助手」




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