『完璧すぎる報告書』──誰が“書いた”とは言っていない
午前八時ちょうど。
庶務課第四記録室の扉を開けたエグバート=グランヴィルは、自分の机に置かれた一枚の報告書を見て、即座に立ち止まった。
「……誰だ、この“神の業”をここに置いたのは」
添付資料三種、法的根拠の脚注つき。
誤字脱字ゼロ、句読点の打ち方も自然。
日付・時刻の書式統一済。
ついでに記入済欄外メモまで“役所的美しさ”を備えている。
そして左上、提出者の名──フィアネス=エルステッド。
「……お前か」
「はい」
ちょうど出勤してきた当の本人が、何の悪気もなさそうに答えた。
淡々としているのが余計に怖い。
「お前、昨日の時点で“だいたいの骨組みはできました”って言ってただろ。
“完成した”とは言ってなかったよな? それなのに、どうしてこれがある?」
「そうですね。“骨組み”から“提出用”への変換は……まあ、三時間ほどで」
「いやいやいや。待て。“提出用”じゃなくて“完成度MAX”だろ、これ……!
俺が本気出してもここまでやらんぞ?」
若干引きつった笑いを浮かべながら、エグバートは報告書を再確認する。
中身も正確、法的解釈も綿密。書式も綺麗。
──だが、完璧すぎる。
その完璧さが、逆に“既視感”として蘇ってくる。
(……なんだろう、この嫌な予感)
エグバートの脳裏に、過去の悪夢が蘇る。
──“法規集再編集案(仮)”
──“七条改訂に伴う運用指針・備考版”
──そして、“フロイ草稿・無印”。
「……まさか……」
彼は報告書の段落頭に目をやり、嫌な汗がにじむ。
その整然とした構成、法令番号の入れ方、論点の拾い方……
すべてが、“あいつ”だ。
「……なあ、フィアネス」
「はい」
「これ、本当にお前が書いたんだよな?」
「“私が提出した”のは事実です」
「いや、そうじゃなくてな……っくそ、確認してくる!」
◇◇◇
午前八時二〇分。
エグバートは“それ”を持って、文官局第六記録課の扉を叩いていた。
対応したのは、“紙の魔物”とも噂される第六記録室三等書記官──
フロイライン=リースフェルト、通称フロイ。
「……これ、見覚えないか?」
エグバートは無言で報告書を差し出す。
フロイは一瞥して、ほんの少しだけ目を細めた。
「……ああ。それは……私が昨日、“参考例として”渡した草稿だな」
「草稿!?」
「“一案として提出した”下書き。
フィアネス君から“解釈の相談”があったので、要点の組み方を例示した」
「例示って、そのまま出したのかあいつ!?」
「……要点の組み方は例示した。ただし、“これを清書にしてもいい”とは伝えなかった」
「これのどこが例示だよ! まるっきり、お前の文章だろうが!」
なんといっても、構成、言い回し、段落の取り方──
“フロイ印”としか言えない文体である。
「ちょ、おま……! それ、ほぼお前が書いたのと同じじゃねえか!」
「だが、“私が提出した”とは一言も言っていない」
正論すぎて殴れない。
◇◇◇
フィアネスも追いつき、第六記録課の前で合流する。
「これ、あくまで“内容の検討資料”として受け取りました。
私の提出物はその“完成形”です」
「いや、そうじゃなくてな、“自分でまとめた形跡”がないんだよ!」
「まとめましたよ。そのままではなく、全部書き直しました。
細かくて大変だったけど、勉強になりました」
「そういう意味じゃねえええぇぇ!」
「この構成にしてから、各段落の論理整合性が取りやすくなりました」
フィアネスは真顔で頷いている。
「文字数を均等に配すると、項目ごとの重みが偏らないので──
“書類の安心感”が出るんです」
「安心感じゃねえよ、怖えんだよ!」
「あと、語尾を“である”に揃えると、法的信頼性が増す気がして──」
「どこでそんな兵器みたいな知識を……!」
フロイはそのやりとりを静かに眺めていた。
彼の目は、どこか遠くを見ているようだった。
──彼もかつて、若く、融通が利かず、ひたすらに“正しさ”を求めていた頃があった。
その頃の自分に似た誰かが、今この場で同じようにやらかしている。
だが、彼は何も言わない。
今の彼は、そういう立場ではないし──そういう性格でもない。
「……あのな、フィアネス」
「はい」
「お前、今後も全部このテンションで出す気か?」
「クオリティを維持するのは大変なので、効率化の手段は模索しています」
「“効率化”って、フロイに書かせる気じゃねえだろうな?」
「まさか。あくまで“相談”と“参考提供”です。ねえ、フロイ先輩?」
「……私は、資料提供の範囲を超えていない」
淡々と答えたフロイの目に、ほんのわずかな皮肉と、そして──
静かな懐かしさが滲んでいた。
◇◇◇
報告書はそのまま回収され、修正もなく正式受理された。
その“完璧すぎる文体”が、後に「フロイ調」として内部に定着するのは、もう少し後の話である。
そして翌朝。
「主任、また“あれ”の方式で書いた方がいいですか?」
フィアネスが笑顔で報告書を提出に来た。
手には昨日と同じファイル──
いや、色が違う。今日は“青”。
「……それ、何色で揃えてるんだ?」
「昨日は“正義の赤”、今日は“冷静の青”です!」
「やめろォォ! テーマ性つけてくんなぁぁッ!」
エグバートの悲鳴が、朝の庶務課に響き渡った。




