“今月の帳簿・褒め称え会”って、誰が始めたんですか!?
朝の控室は、いつも通りの静けさに包まれていた。
淡く香る紅茶、整然と並んだ備品リスト。
王女付き侍女としての一日が、今日も粛々と始まろうとしていた──
そのはずだった。
「完了しました。本月分、すべて帳簿と一致です」
ナターリエの静かな声が、その空気を破った。
「わぁ、すごい! ぴったり合ってる!」
目を輝かせたセリナが、帳簿を覗き込んで思わず感嘆の声を上げる。
書き上げられた出納帳は整然とまとめられ、どの欄にも誤字も修正跡も見当たらない。
王女宮の備品記録は、ナターリエの手で完璧に管理されていた。
「これで三か月連続の“誤差ゼロ”ですね」
イレーヌが紅茶を片手に、さらりと補足する。
その傍らではマティルダが手際よく茶菓子を準備していた。
「じゃあ、はい! 今月もやりましょう、“帳簿・褒め称え会”!」
唐突に立ち上がったセリナの声が、控室に響き渡る。
「──“帳簿・褒め称え会”って、誰が始めたんですか!?」
ナターリエが勢いよく振り返る。
「え? 姫様が“無駄がないって素晴らしいわ”っておっしゃってから、じゃなかった?」
と、イレーヌが記憶を辿るように言った。
「そうそう、それそれ! つまり姫様公認です!」
セリナが胸を張って断言する。
「……あれはただの雑談でしたわよね?」
「雑談じゃない! 公式発言よ、あれは!」
そう言い切るセリナに、ナターリエはぐぬぬ……と唸るしかない。
「お茶菓子、増やしておきますね」
マティルダが微笑みながら盆を持ってきた瞬間、“称え会”は既成事実となった。
***
「では、今月の帳簿MVP──ナターリエ嬢に、盛大な拍手を!」
セリナがぱちぱちと拍手を始め、イレーヌとマティルダもそれに倣う。
「やめて! 本気でやめてください、これ恥ずかしいやつですから!」
「伝票の一片に光を宿す、帳簿の妖精ナターリエ様!」
「やめてぇぇっ!」
顔を真っ赤にしたナターリエがクッションに顔を埋めるが、それすらも“萌えポイント”として語られ始める始末。
「では来月から“ナタ印”を公式確認印にしましょう。彼女が押したら、それが正義」
イレーヌの静かな追い討ちに、ナターリエは天を仰いだ。
「ちょうど朱印の在庫も更新時期ですし」
マティルダが微笑みを添えてトドメを刺す。
「お願い、まともに戻って!」
***
「では続いて、“備品整理の女神”マティルダ様を──」
「セリナ。お茶、冷めてます」
「……はい、すみません」
マティルダの冷静な一言で騒ぎが収束しかけたその時だった。
「……この空気、前にも……」
ナターリエが小さくつぶやく。
「思い出した! “書庫の整理記念・表彰式”のとき!」
「え、それって……」
「分類ミスを三時間で直したら、“姫様がほほえんだ”って盛り上がって……」
「私が即席で表彰状書きました!」
セリナが満面の笑みで手を挙げた。
「それです! その“悪ノリの始祖”はあなたです!」
そう叫んだナターリエに、控室が一瞬静まり返る──
「……それはそれとして、姫様が笑ってくださったのは事実ですから」
イレーヌが静かに締めた。
「……もういっそ、“王女宮私的表彰制度”って名前をつければいいんじゃ……」
「それ、正式名称になりかねないからやめてぇぇっ!」
***
控室の外、廊下を歩く二人の影。
「……朝から元気だな、あいつら」
エグバートが、軽く肩をすくめる。
「記録対象外で、いいですね?」
フロイが問いかけると、エグバートは無言で首を振った。
「むしろ書くな。なにが“帳簿・褒め称え会”だ……」
「では、これは“非公式の儀式”として処理します」
「やめろ、書類になるな……」
「このままいくと、来月あたり“紅茶香り大賞”とか始まりそうです」
「……胃薬、追加しとけよ」
「もう申請済みです」
***
控室の中では、すでに次の“称え会”の準備が始まっていた。
「次回は“お茶淹れマイスター・マティルダさん”を讃えましょう!」
「どうして、私に飛び火するのですか?」
マティルダが静かに眉をひそめる中、ナターリエは再び頭を抱える。
「だから、誰がこの会を始めたのかって聞いてるんです!」
その問いに、三人の侍女は顔を見合わせ──声を揃えて言った。
「姫様が“素敵ね”って言ってましたから」
「……その一言で、私の書類仕事が三倍に増えたんですけど!?」
控室は、今日も平和だった。




