“こっちの方が、可愛いですわよね?”──その一言で、書類仕事が倍になりました
「──こっちの方が、可愛いですわよね?」
その一言は、王女付き侍女たちの控室を凍りつかせた。
「……姫様。いま、なんと?」
最初に反応したのは、経理担当のナターリエである。
机の上には、調度品見本のカタログが数冊。
王女宮に納品予定の備品リストが、予備の見本とともに並べられている。
「この“ふわふわクッション”より、こっちの“きらきらピロー”のほうが、気分が上がりますのよ。
ねえ、ナターリエ?」
「……“ふわふわ”と“きらきら”ですか?」
「ええ。だって、“ふわふわ”は、こう……まるくて、ぬくもりがあって……でも、“きらきら”は、もっと心が弾む感じでしょ?」
アリシアは無邪気な笑顔でそう言った。
だが──それを聞いたナターリエの手が、ぴたりと止まる。
「……仕様変更、ですか?」
「いえ、ただの感想ですわ。でも、こっちのほうが素敵に思えて──」
その“感想”ひとつで、王女宮の備品分類体系が半壊したのは翌日のことである。
***
「────“きらきらピロー”!? 分類コード〈K2-B03〉って、今月新設されてたか!?」
記録課第六室。午前八時半。
フロイライン=リースフェルトは、机に山積みの備品伝票を前に、いつにも増して眼鏡の奥を光らせ
ていた。
「“きらきら”などという表現は、備品分類上、許可されていないはずです。これは明らかに記録外の──」
「──出ました。今回も、ナターリエ嬢の命名詩です」
静かに書類を置いたフロイの隣で、エグバート=グランヴィルが肩を竦める。
「“きらきら”はまだマシだ。“もふもふ”なんて、書類三枚に渡って出てくる。さすがに調整依頼出したぞ」
「記録に載せるための正式名称を、あの子は詩でつけてるんですよね?」
「おまけに姫様のお言葉がトリガーだ。“姫の感性を否定するのか”って、担当係が言い出して──」
フロイは書類を睨みながら、静かに薬草茶に手を伸ばした。
「……分類再編、三度目です。今年に入ってから」
「まあ、姫様のお気持ちを尊重するのは当然だが──」
「“ふわふわ”を“ぬくぬく”と統合するかどうかで、半日会議してました」
「……ほんと、王女宮って怖いよな」
***
一方、控室では。
「──セリナ、どうしてカートが動かないの!?」
「わ、わたしじゃないです! “ふわふわ”が“もふもふ”と統合されたって伝票がっ──もうどれがどれかっ!」
「ナターリエ、なんとかしなさい!」
「では、“ふわもふクッション”として、記録しても……?」
「やめてっっ!」
備品の整理カートは、すでに満載だった。
「ふわふわ」「もふもふ」「きらきら」が同一棚に詰め込まれ、しかも分類コードがすべて“手書き修正”されている。
「ナターリエ、あなた、帳簿まで書き直してたの!?」
「はい。ですが、“ふわもふ”には“ふわ”と“もふ”の両方の特性が──」
「だからそれ、詩なのよっ!」
セリナの悲鳴が響くなか、控室の片隅でマティルダがそっとクッションの山を抱え直す。
「……“ぬくぬく”と“ふわふわ”って、何が違うんだ?」
「“ぬくぬく”は、冬用のふかふか具合で、“ふわふわ”は通年対応の軽さです」
「……じゃあ、“もふもふ”は?」
「春と秋用、です」
「……ナターリエ、君の頭の中にしかない分類だよ、それ」
セリナがぐったりと項垂れた。
「もう、“ふわもふきらきら”でいいんじゃないかしら……」
「それは商品名ではありませんか?」
「もう何でもいい……そのまま納品してください……」
侍女カルテットの朝は、こうして静かに崩壊していった。
***
一方その頃、文官局第六記録課。
「──というわけで、備品分類の再整理、第五案を提出します」
フロイが静かに差し出した紙束には、こう記されていた。
分類コード再編案(王女宮備品・試案五)
第3項:「ふわもふ系」統合基準
→「ふわふわ」「もふもふ」「ぬくぬく」ならびに「きらきら」のうち、感性による重複が認められる項目をひとまとめに再構成する。
新設コード:【U-C01】──分類名:「詩的備品群」
備考:使用者の表現を優先し、定義は感情ベースで容認。
責任者:記録課第六室・フロイライン=リースフェルト(胃痛中)
「……“詩的備品群”?」
書類を受け取ったエグバートが、思わず絶句する。
「それ、分類なのか?」
「ええ。“詩”としてしか処理できませんでしたので」
「いや待て、詩って……」
「これ以上“ふわ”“もふ”“ぬく”“きら”を真面目に分け続けたら、記録課が滅びます」
「……まあ、正直、誰も突っ込まないとは思うけどさ」
そう言って、エグバートは最後のページを見た。
そこにはナターリエの走り書きが添えられていた。
【参考メモ】
“ふわもふきらきら”──今日も姫様のために
やわらかく、あたたかく、まばゆく。
これは、しあわせを包むまくら。
(ナターリエ・詩・未承認稿)
「……ほんとに、詩だった」
「──ええ」
フロイは薬草茶を一口飲み干すと、深く息を吐いた。
「これ以上、深く関わってはいけません。
我々が処理すべきなのは、“記録”であって、“感性”ではないのですから──」
「……それを処理してる時点で、もう手遅れじゃないか?」
「気づいたら負けです。どうか、忘れてください」




