「もう私、帳簿を見るだけで涙が出るんですけど!?」──経理代打、後遺症編
「……ナターリエ、ほんとに復活したんですか?」
朝の控室。
セリナはソファにぐったりと倒れ込みながら、壁を見つめていた。
ナターリエの代わりに三日間、経理をやっていたセリナ。
細かい計算は未経験だったためか、疲労感が半端ない。
「はいぃ。すっかり元気ですぅ」
反対に、ナターリエは完全復活の笑顔。
自分のお茶を注ぎながら、
セリナのために、もう一つカップをそっとテーブルに置く。
「じゃあ、じゃあ……あの帳簿は……!?」
セリナが震える指先を帳簿に向ける。
「わたしの分ですよぅ。
今日からまた、経理係に戻りますぅ」
「あああああ……よかった……ッ!」
崩れ落ちるセリナに、イレーヌがさらりと紅茶を差し出す。
「この三日間、ずっと“金貨”って寝言言ってたものね」
「言ってました!?」
「『苺のタルト四十台』って叫んでたわ」
「トラウマすぎる……!」
マティルダが帳簿をめくりながら、穏やかに言った。
「でも、セリナ、よく頑張ったわよ。
文官局って、ちょっとでも変だったら“再提出”ですからね……」
「たしかに……あの時の記録室、まるで雪崩が起きたみたいで……」
「そうね、セリナ。実際雪崩起きてましたよね……書類の。
あの紙の海で、よく泳ぎきったわよ」
「ほめられても……うれしくないです……」
「じゃあこれは?」
そう言ったマティルダの手には、もう一冊の帳簿が……
「ひいいいっ! 追加ですか!?」
「いえ、ナターリエの在庫記録がちょっと
……独創的で」
「えええ!?」
ナターリエが、おっとりと首を傾げる。
「“お月さまの光”って記録してみたんですけどぉ……?」
「それ色じゃないですぅ!
在庫にならないですぅ!」
セリナがまたソファに倒れ込む。
「もう……帳簿って言葉を聞くだけで、涙が出るんですけど……」
「やっぱり適性あるんじゃない?」
イレーヌが笑う。
「数字の恐怖を覚えた人の方が、正確になるのよ」
「やめてぇ、地味に説得力あるやつ!」
「でもセリナちゃん、帳簿しっかりつけてくれて、すごく助かりましたぁ」
ナターリエが、そっと包み込むような声で言う。
「“タルトの乱”も、“白金の茶葉事件”も、ちゃんと整理されてて……」
「それだけ聞くと歴史の教科書ですよ!?」
一同がくすりと笑った。
「……まぁ、無駄じゃなかったと思うことにします……」
セリナがぼそりと呟くと、マティルダが一枚の紙を差し出した。
「じゃあこれ、提出お願いね」
「えっ」
「帳簿、提出先に届けるだけ。
内容はいじらないから」
「届けるだけなら……いいですよ……」
帳簿を抱えて立ち上がるセリナ。
──そして。
「えっ、なんで二冊あるんですか!?」
「“春の装花”分も合わせて、って言われたの」
「地獄は続くんですか!?」
控室の扉が、哀しみとともに閉まった。
──こうして今日もまた、ひとりの侍女が笑顔の裏で帳簿と戦っている。
控室の空気は、静かに、そしてほんのり金貨の香りがした。




