お願いですから、今日だけはお部屋に来ないでください──侍女控室の裏事情
「……あの、お茶、淹れ直しましょうか?」
「……いえ、大丈夫ですわ」
硬直した笑顔でそう答えながら、セリナはゆっくりと椅子に腰を下ろした。
動きがどこか機械的で、ぎこちない。
控室にいた他の侍女たちが、気まずそうに視線を交わす。
「……セリナさん、顔、真っ白よ?」
「う、ううん……あの、その……」
小刻みに震える手をそっと膝に置いたまま、セリナは吐息をこぼした。
「……来たのよ。あの方が、また……」
「え、“あの方”って……まさか──」
「王太子殿下」
その言葉が落ちた瞬間、控室の空気が一段階、冷え込んだ。
「うわ……そりゃ、震えるわ」
「そもそも、なんで王太子が姫様の部屋に……?」
「知りませんわよ! わたくしだって知りたいくらいです!」
セリナは突然、机を両手で掴んで立ち上がった。
「なんで、王族同士の会話に、庶民出身の私が居合わせなきゃいけないんですのよおおおお……っ!」
「お、落ち着いて! お菓子食べます?」
「今は甘味の気分じゃないですの……!」
ぎゅっと拳を握りしめたまま、セリナはぽつりと呟く。
「目が合った瞬間、死を覚悟しましたの……
視線だけで、心臓が止まりそうで……」
「それ、“よくある症状”ですわよ」
「フローレットさんなんて、廊下ですれ違っただけで三日寝込みましたわ」
「わたくしなんて、背中に視線感じただけで謝ってましたわ。何もしてないのに」
「ていうか、王太子殿下って……普通に歩いてるだけで、周囲に無言の圧が……」
「その無言の圧、控室じゃ“歩く粛清”って呼ばれてるんですのよ」
「──わたくしも、そう思いますわ」
控室に、笑いとも溜息ともつかない空気が流れる。
セリナは、ぐったりと椅子に沈みながらつぶやいた。
「でも……アリシア様は、平然とお茶を出しておられるんですのよ……」
「え、マジで?!」
「すごすぎる……!」
「まさに、真の王女」
「……でも、わたくしにはわかります。
あれは“平然に見せてるだけ”ですわ」
セリナは静かにカップを取り、そっと口に運ぶ。
「たぶん、心臓ばくばくですわ。
紅茶の香りで誤魔化してますの」
「それ、姫様もつらいのね……」
「おふたりの間にある空気、ちょっと触れたら割れそうですわ」
「ていうか、“そういう関係”ってことなんじゃ……?」
ふと、誰かがぽつりと呟いた。
「……婚約者って、噂もありますし」
瞬間、控室が静まり返った。
全員の視線がセリナに集まる。
彼女はカップを置き、深く深く息を吐いた。
「それはないですわ(真顔)」
「「「ですよね~!!」」」
大合唱である。
「姫様には、ちゃんとした婚約者がおられるはずですし」
「だいたい、王太子殿下って妹しか見てないじゃない」
「逆に言えば、それが怖いんですけどね……」
「お願いだから、今日はもう来ないでほしいですわ……」
「こっちは命懸けで紅茶出してるんですのよ……」
「庶民に王族対応は重すぎる……」
「ふふ……でも、それが“姫様付き”の栄誉、なんでしょ?」
誰かの皮肉まじりの一言に、控室がふたたび重たい笑いに包まれる。
──今日も控室は、恐怖と茶菓子と噂話で満ちている。