招待状千通、筆跡地獄──誰がこの責を負うのか?
── 舞踏会の招待状は、千通を超えた。
王都の政庁控室。
今、その床には羊皮紙の束が広がっている。
机の上には封蝋、印章、文官用の筆記具。
壁際には分類箱がぎっしりと積み上げられ、まるで“紙の戦場”と化していた。
「ちょっと、名前の字画が足りません!
“エルヴァンシア”の“ア”が、完全に潰れてます!」
「えっ、また?
七段階筆跡見本、どれ使ったの?」
「第五! ……筆がすべりました……」
文官のひとりが額を押さえてうずくまる。
その隣では、別の若手が招待客一覧とにらめっこしていた。
「この家の長男は確定として ……
弟は呼ぶのか?
留学中らしいが」
「成人していれば原則対象。
けど、去年の記録では“社交界未登録”扱い」
「つまり、グレーゾーンか。
で、母君は?」
「三番目の夫人 ……
だけど“現当主の実母”ではない。
これ、呼んでいいのか?」
静かに溜息が落ちる。
「いっそ、“○○家ご一同様”で一括送付しませんか ……?」
誰かがぽつりと呟いたその瞬間、全員の動きが止まる。
「それ、誰が粛清されるか賭ける?」
「全員、首だ。
いや、むしろ手首から先が先に飛ぶ」
どっと沈黙が落ち、ふたたび書き損じの山に視線が戻る。
「今朝だけで、三十枚が筆跡NG」
「“女王”って書かれてるものが混ざってたって聞いたけど……」
「うん。
“もし女王が即位していたら”っていう草案を、
間違えて清書した奴がいたらしくて ……」
その瞬間、空気が凍る。
「…… 誰だ、そんなの出したやつ ……!」
「完全無欠の王太子殿下がいるんだぞ!」
「ていうか、“もし女王が即位していたら”ってことは ──
王太子殿下を無視ってことになる」
静かな怒声が飛ぶ。
書式の間違いは、つまり ──
誰が“次の支配者”かを間違えたという意味になる。
「── で、署名欄だけどさ。
“王女殿下ご名代”って入れるんだよな?」
別の文官が恐る恐る声を上げた。
すると、その場にいた全員が同時に顔を上げた。
「……お前、それマジで言ってる?」
「いや、普通に考えれば、“王女殿下”が主催に近いし ……」
その声に場の温度が一気に氷点下に下がる。
「翠月十五日の舞踏会だぞ。
主催は王家に決まっている」
「……あっ……」
「それなのに、“ご名代”って入れたら ──」
「── 兄上が、睨む」
全員の声が揃った。
銀髪の王太子。
沈黙の圧で全てを封じる、あの殿下。
もしも“アリシア王女主導”とでも受け取れる文面が出回れば……
「…… どちらの印章を押すかで、たぶん“終わる”な」
「それに、“王女殿下主催”なんてのが出まわったら、それはそれで ──」
「“いつ、王女殿下が王家の頂点に?”
って五大家あたりから質問が飛ぶな」
そして、再び ── 書き直し。
「……なあ、これって……」
「“どんなに丁寧に書いても、正解がない地獄”だな」
文官たちは、疲れた笑いを漏らしながら、また筆を取った。
羊皮紙の山は減らず、封蝋の香りだけが濃くなる。
「まったく …… “誰のための舞踏会”だと思ってるんだか」
その言葉に、誰もが小さくうなずいた。
答えは分かっている。
けれど、それを言葉にした瞬間、誰かの首が飛ぶ。
──そういう国だ。