「……で、報告書、出せと?」──文官は今日も胃痛と戦っております。
「……で、報告書、出せと?」
書簡の山に埋もれた机の向こうで、若き文官──
フロイライン三等書記官は、盛大にため息をついた。
「“お姫様が攫われた”件に関して、
本日中に初動の報告をまとめろ、だとさ」
「“攫われた”って、書いていいんですか?」
「よくないから困ってるんだよ」
隣の机で羊皮紙を数えていた後輩が、目を丸くする。
「じゃあ、どうするんです?」
「“不明”にするか、“所在確認中”にするか、
“一時的な離席”にするか……」
「え、最後のはダメでしょう!?」
「知ってる。
けど、公式文書ってやつは、
“見なかったことにしたい現実”と折り合いをつけるために存在するんだ」
ぐぅ、とフロイの胃が鳴った。
薬草茶を三杯も飲んだのに、まだ痛む。
──今日一日、もつ気がしない。
「それでいて、報告は“簡潔かつ事実に基づき”って条件つき」
「その“事実”が見えてないから困ってるんですってば……」
二人の会話の向こうで、別の班の係長が叫んだ。
「“紅玉の瞳をした黒衣の男”って、ほんとに出たのか!?」
「第一発見者の近衛がそう言ってます!」
「じゃあ、その“第一発見者”を文書室に連れてこい!
直筆で記録を残させる!」
「無理です!
今、王命で召集かかって地下作戦室の方に──」
「──地獄か」
フロイが静かに呟いた。
現実逃避したくて、書簡を一枚めくる。
そこには、先の舞踏会の予定表があった。
「……これ、姫様の“婚約発表”の予定だったんだよな」
「ですね……」
「そりゃあ陛下が機嫌悪いわけだ……」
「あの近衛隊長が、あんなに必死に頭下げるなんて、
初めて見ましたもん……」
空気が沈む。
けれど、次の瞬間──
「“魔王”って、本当に実在するんですかね」
「はい、出ました」
別の机の若手が、うんうんと頷く。
「オレ、子どものころに読んだんですよ。“紅玉の魔王”って絵本」
「おい、やめろって。
そんなの書簡に書いたら笑われ──」
「いや、近衛の証言、完全に一致してるらしいですよ。
“黒衣・紅玉の瞳”──そして、名前も」
「本人が名乗ったのか!?」
「……違います。第一発見者が叫んだそうです。
“レオナルト=アルセイン”って」
「それ、確定じゃないじゃん!!」
数人が同時に震え上がった。
「……マジか。
絵本の通りじゃねぇか」
「だから言ったでしょ」
「ってか、“なんでそいつが王城の中に”って話だろ!!」
「それが書けないから報告書が進まないんですよぉ!」
文官室に、叫び声が響き渡った。
「王城の警備、どうなってるんですか!?
護衛とか!?」
「その護衛ごと吹き飛ばされたって聞きました!」
「それ、どうやって書くの!?
“吹き飛ばされた”って!!」
「婉曲表現で、“排除された可能性がある”とか?」
「胃が……胃がぁ……」
フロイが机に突っ伏す。
それでもペンを握り直すのが、文官という職業である。
不条理と混乱の中でも、記録を遺さなければ、未来に何も残せないから。
「……とりあえず、
“所在不明の報告”として、仮提出しよう」
「あとで絶対、上から怒られますよ?」
「知ってる。
でも、今はこれが限界」
彼らの“戦場”は、いつだって紙とインクの海の中だった。