そのドレス、狙ってましたよね?
「──ねえ、セリナ。昨夜、見てたでしょう?」
「は……はい。お側で、拝見しておりました」
「ふふっ、やっぱり。あの一瞬、見逃してないわよね?」
控室の片隅。朝の支度を終えた令嬢が、にこりと笑いながらこちらを見つめてくる。
「というか、なんなのあれ? “非公式夜会”よ? 若手だけの、気軽な集まりだったはずじゃなくて?」
「ええ……わたくしも、最初はそう伺っておりましたが……」
「なのに、突然。空気が変わった。ぴしっと。そう、まるで誰かが絵の構図を変えたみたいに」
「──姫様が、いらっしゃった時ですね」
「そう! ほんの数分だけよ? “顔見せ程度”って話だったのに、あれ、もう舞台の主役じゃない」
「……水色のドレス、とてもお似合いでした」
「“似合ってる”とか、そういう次元じゃなかったの。あれ、“勝ちにきた”ドレスよ」
「勝ち……ですか?」
「そうよ。“非公式”の夜会で、全員ゆるっと楽しもうとしてた中、あれだけ空気を持っていったのよ? もう、戦だわ」
「戦……っ」
わたしは慌てて声を噤む。こんな大胆なこと、口が裂けても言えない。
「しかも──隣に立ってたの、誰だったと思う?」
「……グラナート公爵家の、ゼノ様です」
「そう。“たまたま”じゃないの。あれ、“合わせてきた”の。ドレスの色味と、立ち位置と、歩幅と」
「確かに、ぴたりと……」
「ぴたりすぎて、逆に怖い。あれ、何回練習したのかしら?」
「れ、練習などは……」
「ないとは言い切れないんでしょう?」
「…………」
令嬢の視線がきらきらしている。というより、ちょっと黒い。
「しかもその後よ。空気が最高潮に盛り上がったところで──来たのよ。“あの方”が」
「……王太子殿下」
「そう。歩く粛清、爆誕。気温、三度は下がったわ」
「確かに、控えの回廊にいた衣装係の子が“ぞわっとした”と……」
「でもさ、あの場で唯一、まったく動じてなかった人、誰だったと思う?」
「……姫様」
「そう。ふつう、あんなふうに“兄”、いえ──殿下が突然現れたら、場の空気、凍るでしょう? でも、姫様はにこっと微笑んだまま」
「ほんの少し、表情が……凍ったようにも、見えましたが」
「見えてた? さすが。庶民上がりとは思えない観察眼」
「そ、そんな……」
「それでね、セリナ。わたし、思ったの。あの夜会で、“一番強かった”のは誰だと思う?」
「……姫様、でしょうか?」
「正解。ゼノ様でも、殿下でもなく、あの空間を制したのは──王女、アリシア様」
令嬢は深く頷いた。
「笑ってただけなのに。立ってただけなのに。何も言ってないのに」
「でも、誰も逆らえなかった」
「そう。怖いくらいに、堂々としていて。──だから、ちょっと、嫉妬しちゃうわけよ」
「嫉妬……?」
「うん。こんなに完璧に、場を持っていける人がいたら……そりゃ、他の令嬢、どうすればいいのよって話」
「……たしかに」
「で、最後にもう一度言っておくわ。セリナ、あなたもちゃんと覚えておきなさい」
「は、はい」
「姫様のあのドレス──“狙って出してきた”わよ」
ぴしっと指を立てて、令嬢は真顔で言い放った。
「──わたくしたちが浮かれる夜会を、完璧に、塗り替えるために」
「…………っ」
「え、なに? いま、背筋ぞわってした?」
「……はい。なんだか、まるで──戦場の話を聞いているようで」
「ふふっ。いいのよ、セリナ。王宮の夜会って、だいたい“戦場”なんだから」
この笑顔もまた、姫様に負けず劣らず“したたか”なのかもしれない──
そんなことを思いながら、わたしはそっと頭を垂れた。