前編
さほど大きくない店は、見事なほど周りの景色に溶け込んでおり、パっと見た外観は和菓子屋のような雰囲気だ。
店内はショーケースに数点の美術品が並んでおり、価値のある物なのか無いのか分からないまま、小鳥遊加奈子は、もふっとした大き目な猫じゃらしで棚の掃除をした。
窓ガラスに映る日本人形、いや、呪われた人形のようにも見えるおかっぱ頭の自分を見て、イメチェンでも図ろうかと考えていると、店先で新聞を読んでいる人物が、「ねぇ、加奈子ちゃん、この飲み物、何?」と、聞いて来る。
先ほど加奈子が差し出した物体を訝し気に見つめている男に、仕方なく飲み物の説明をした。
「牛乳のエナジー割ですね」
「……凄いの開発したねぇ……」
ぐびぐびと飲み続ける松原拓馬を眺め、自分で作っておいて何だけど、よく飲めるな……、と冷めた視線を送りつつ、ああ、やっと冷蔵庫の中が整理出来て良かったと加奈子は思う。
実は我が家で冷蔵庫に永遠と眠るエナジードリンクの消費方法を考えた結果、ここへ持参した。
そのまま松原美術商店にこっそり置いて帰ろうと思ったのだが、そろそろ賞味期限が迫っている牛乳を見つけてしまい、運よく出来上がった飲み物だった。
もちろん、味見はしてないので、後に後遺症(腹痛)が出る可能性もあるが、松原なら大丈夫だろう、と妙な安心感を抱いていた。
彼が牛乳のエナジー割を全部飲み終えると、スポーツ新聞を畳みながら顔をこちらへ向ける。
「ハア……、暇だねぇ」
「ですねぇ、もう、待っているだけでは駄目な時代なのでは無いでしょうか?」
「ん~、言うのは簡単だけどさ……、お宝が眠ってる家なんて稀なんだよ」
この松原美術商店は彼の曽祖父の代から受け継がれているらしく、現在の店主は、その孫である松原拓馬と言う男、今年32歳、独身、ボサボサの髪に、無精髭を生やし、不潔と言うよりは〝だらしない〟という言葉がピッタリ当てはまる。
とても、お宝を判別できる目利きを持っているとは思えない風貌だが、本物を見分ける目は確かなようだった――。
加奈子がこの美術商店を手伝うことになった経緯は、松原の目利きのせいでもあった。
この辺り一帯は、加奈子の父親が所有する貸家や、賃貸マンションなど多数の物件が点在しており、所謂、大家と呼ばれる部類の人間。
一般的に大家と言えば、寝ていても金が入って来ると思われがちだが、実際は家賃が払えず逃げ出す輩がいたり、高齢者の一人住まいで、身寄りがいなくて孤独死をしてしまうなど、結構な頻度でトラブルが起きる。
しかも高齢者の場合、価値も知らず国宝を持っていることもあった。
松原を知るきっかけになったのは、この近所にあるアパート物件で80歳を超えた高齢者が無くなった時のことだ。
家財の処分を親族から引き受け、それを処分する際、通りすがりの松原が『それ古文書ですよ、捨てるんですか?』と声をかけられ、調べたら国の文化遺産級の代物だったことが判明した。
それがきっかけで加奈子の父親は、家財処分する際、今後は立ち合いをお願いしたいと松原に申し出た。
「あー、俺、そういうのはちょっと……」
「それが駄目なら、うちの娘に鑑定のコツ見たいなのを伝授してやってくれ」
「はあ、コツと言われましても……」
「とにかく、頼んだよ」
後日、松原美術商店に顔を出した加奈子に、松原はげんなりした顔を見せ、「有無も言わせず承諾させられた」と面倒臭そうに言われた。
加奈子だって同じだった。
突然「将来のことを考えて、あの男の所へ弟子入りしろ」と言われ、今までの人生で聞いたことの無い『弟子入り』と言う言葉を理解するのに悩んだ。
当然のように断固反対したが、時給1200円だと言われ、色々考えた結果、受けることにした。
加奈子はぼんやり松原を眺め、この店よく潰れないな、と心の底から感心する。
なぜなら、ガラス張りの店内から、ぼーっと外を眺め、近所の子供達へ手を振る松原からは、商売で儲けようという気配がまったく感じられない。
取りあえず加奈子は、「松原さん、暇なら目利きを教えて下さい」と申し出たが、それを聞いた松原は、嫌そうな顔をして口元を緩める。
「目利きという物は……」
「はい」
「騙されてからがスタートだ」
「……」
それは、つまり詐欺に遭えと言いたいのだろうか? 得意気に『騙されろ』と言う男を眺め、本当にこの人から学ぶことがあるのかと自問自答した。
松原は座っていた場所から立ち上がり、店内の品物を1点手に取ると「これ」と加奈子に渡す。
「何ですか、これ」
「唐物と言ってね元時代の中国製品なんだけど、本物に見えるか?」
「はい、と言うか偽物を店内に置いてあるわけ無いじゃないですか」
「そうだろうな、そのセット20万だが、特別に5万で譲ってやると言われたらどうする?」
え? と加奈子は目を瞬く。
15万得をするわけだから、5万で買うのはお得なのに、何故か買うのを躊躇する自分がいることに気が付く。本物だと松原が言っているのに、それを疑っている理由が見つけられず、しばらく考え込んでいると。
「加奈子ちゃんは、今、5万損をするのか、15万得をするのかの狭間にいる」
「はい、そうです」
「しかも、店に展示してあるのに偽物の筈がないと思っているのに、本来20万もする品だと前置きをされて、それを5万で譲ってもらえることに違和感と疑問が湧き、偽物なのかも? と疑っている。それを払拭するには目利きが必要だ」
松原は口角を上げ、唐物の茶入を裏返した。
「はい、ですから、教えて欲しいんですよ」
「だから、騙されろ、と言ってるんだよ」
まったく意味が分からないのですが? と加奈子は小首を傾げる。松原は品物を元の位置へ戻しながら、目利きになるには、いかに騙されないかが重要で、裏を返せば、騙されて初めて真剣に目を肥やそうと奮闘するのだと言う。
人から得られる知識も重要だが、自分で真剣に美術品に向き合う姿勢が無いのに教えても仕方ないと言われ、確かにそれもそうだと納得した。
「それに加奈子ちゃん、骨董品や美術に興味ないでしょ」
「その通りです」
「目利きになるって言うのは才能じゃないんだよ。どれだけ本物を見てきただよ」
つくづく、と言った松原の口振りを見て、なるほどと思う。
「教えるにしても、少しは美術品に興味が持てるようになってからだ」
「はあ……、興味ですか」
「まあ、別に何だって良いんじゃないか? 君らの世代で価値のある物でもいい」
言いたいことを言い終えた松原は、んーっ、と背を伸ばしながら「ちょっと煙草吸ってくる」と言い、出て行こうとする。
だが、滅多に来ることの無い客人が店の外に立っているのが目に留まり、眉を歪めながら彼は後ずさった。
客に対して、その反応はどうなんだろうと加奈子は思うが、松原の様子から知り合いなのだと察する。逃げようとする松原に気が付いた相手が、慌てて店に入って来ると「おい、何処行く」と割と強めの口調で松原を制止した。
「別に……」
「せっかく仕事を持って来てやったのに」
「お前が持って来る仕事って、ろくな物じゃないんだよ……」
話し方で友人なのは分かるが、意外な友人に加奈子は目を瞠る。なぜなら松原には不似合いなエリート感漂う良い男だったからだ。
仕事の依頼で来たと言う友人を見て、仕方ないなと松原は嘆息し、店先にある談話スペースの応接セットへ腰かけると、松原の友人らしき人物もそこへ移動した――。
加奈子は二人分のお茶を淹れると応接セットへ向い、お互い睨み合ったまま動かないでいるハシビロコウのような二人に、お茶を差し出した。
ハァ、と大きな溜息を零した松原は、目の前に座る男を加奈子に紹介する。
「こちらの親切そうに見える男は、熊谷裕、大学の同級生だ」
大学からの友人である彼、熊谷は大手弁護士事務所に籍を置いており、事務所内でも、なかなか優秀な人物だと松原から紹介された。
加奈子は爽やかなイケメン弁護士から、さり気なく名刺をもらう。名刺に五十嵐弁護士事務所と書いてあるのを見て、「ああ、五十嵐さんの……」と呟いた。
「加奈子ちゃん知ってるの?」
松原が驚いた声を上げた。
「ええ、うちの父がお世話になってる弁護士事務所です」
「世間は狭いねぇ……」
まったくその通りですね、という意味を込めて加奈子は頷いた。
熊谷の方は加奈子が弁護士事務所のことを知っていることより、この美術商店に手伝いがいることに驚いたようで、こちらへと視線を向け口を開く。
「大丈夫? 給料が払えるような店じゃないと思うけど、もらえなかったらいつでも相談してくれていいからね」
「ありがとうございます」
とても親切な言葉に、加奈子は満面の笑みを返した。
実際は自分の父親から給料が払われるという、謎の雇用体制なのだが、わざわざ説明するのも面倒なので省いた。
それにしても、五十嵐弁護士事務所からの仕事なら、それなりに大きな仕事なのかも知れないと思うが、弁護士事務所と美術商店の繋がりが今一つピンとこない。
外注の仕事があるなら、それをメインにした方が、お金になりそうなのに、と二人のやりとりを少し離れた場所から見つめた。
「で? 仕事って何だ」
「まあ、そんなにがっ付くな」
「ガッ付いてない! お前からの話は面倒臭そうなんだよ。だから、さっさと用件を言え、時間の無駄だろ?」
熊谷は小さく肩を竦めると「どうせ暇なくせに、何が時間の無駄だよ」と煽った。
本当のことを言われ、ぐうの音も出ない松原が、身体を大きく仰け反らせ椅子へ背中を預ける。
熊谷は軽くククっと肩を揺らしたあと、口元を和らげながら、「見てもらいたい物があるんだ」と書類を机の上に置いた。
訝し気に机の書類を眺めた松原は、気になるのに手が出せないようで、口をへの字に曲げたままだった。
いつまでも書類を睨んだままの松原の様子に加奈子の方が気になり、「私が見てもいいですか?」と声をかけた。
「どうぞ、どうぞ」
「では失礼します」
クリアファイルに挟まれた書類を引っ張り出せば、数点の写真と、つらつらとよく分からない説明書のような物がまとめられていた。写真を手に取った加奈子は見たままの感想を口にした。
「花瓶?」
「ああ、それ10億の花瓶なんだ」
「げ……」
いくら、お金に不自由したことのない加奈子でも、規格外の金額に驚き、握力が無くなった手からヒラヒラと写真が零れ落ちる。
落ちた写真を松原が拾い上げ、眉を歪ませると、「如意ひょうたん扁瓶か?」と目を見開き、話を続けた。
「これって、この間オークションで落札されたばかりの品だろ?」
「そうそう、それがさ――」
熊谷が言い終える前に松原は加奈子からクリファイルの書類を奪い取ると、目を見開き、無心に内容を読んでいる。
そんな姿を見れば、本当に美術品が好きなのだと思うが、次の瞬間、持っていた書類の紙がぶるぶると震え出し、「なっ……、割れただと?」と松原は声を荒げた。
「ああ、実はコレクションルームへ運んでいる最中に落としたらしい」
「信じられない! どこの馬鹿が運んだんだ!」
怒鳴り散らす松原を、まあまあ、と熊谷が宥め、所有者である資産家の真田治人の秘書が運んだと説明するが、浮かない顔をしたまま熊谷は口を動かす。
「秘書の茂野明久氏は罪の重さから自殺をした」
「はあ……? いくら10億とは言え、人の命には値しないだろ」
「同感だ」
熊谷が受けた仕事は、その死亡した秘書の親族からの依頼で、民事訴訟を起こしている最中らしい。
花瓶の購入者である真田が自殺に追い込んだと言う話だが、普通に考えて、たかが花瓶が割れただけで罪の重さを感じて自殺をするだろうか? そもそも、価値のある花瓶なら保険に入ってるだろうし、秘書の茂野は真田がかけた保険分を賠償すればいいだけの話だ。
「それで? 花瓶の修復は?」
「今、専門家がやっている。会社はここだ」
「トリック株式会社……、ここは家具とかが専門じゃなかったか?」
松原が疑問の声をあげるのを聞き、熊谷は納得がいかないとでも言いたげに、「そうなんだ」と答えた。
何やら只ならぬ空気が二人の間に流れ始めている。松原は、じっと花瓶の写真を見ながら口を窄めて、「うーん?」と頭を傾げるのを見て、加奈子は疑問を口にした。
「あのー、何か変なところがあるんですか?」
「陶器、いや大概、物が破損した場合、修復は実績のある業者に頼むが普通なんだ」
「ああ、なるほど、つまり実績がないんですね、その業者」
加奈子の言葉に松原は、「そうなんだ」とうなずく。
家具に関しての実績はあるらしく、有名なアンティーク品などを数点手掛けたこともある大手会社なのは間違いないらしい。
だが、今回は国宝級の花瓶を直すのだから、それ相応の業者に修復を頼むはずなのに変だと、納得のいかない顔を松原は見せた。
その様子を見ながら熊谷は、「そこで君の出番だ」と何処かの教授のような科白を吐いた。
「何の出番だ?」
「お前だって、妙だと思うだろう? 10億の価値は無くなったが、修復してさらに何十年か経てば、それすらも価値に変わるかも知れない品物を陶器に詳しくもない業者に頼むなんてさ」
熱弁する熊谷は、「とにかく俺の代理で花瓶のこと調べて来てくれ」と松原に言う。
「はあ? 調べるって、修復作業に入ってるのに、何をどう調べるんだよ?」
「実は書類に不備があったことにして、割れた箇所の写真のデータが足りないと報告してあるんだ」
「それを俺に行って来いと?」
「頼む……、お前しかいないんだ……」
深く頭を下げる熊谷を見つめた松原は、「割れる前なら見たかったが割れた花瓶を見に行って何が楽しいんだ」と膨れっ面を披露する。
何となく、二人の大学時代もこんな感じだったのでは? と想像がつく様子を見ながら加奈子は、ふと思ったことを口にした。
「あ、もしかすると、その花瓶、偽物の可能性があるとか?」
ピクリと眉根を寄せた熊谷は驚いた顔を見せた。
「へぇ、驚いた……、君、鋭いなぁ……」
「え、本当に……?」
「ああ、その可能性があるんだ」
松原は、はっとした顔を見せて加奈子を見ると、「そういうことか」と、また写真へ視線を戻した。
加奈子としては思ったことを口にしただけで、まさか、それが核心に触れるような発言だったとは思いもしなかった。
熊谷は骨董に詳しい業者に偽物だと指摘されるのを恐れて、畑の違う業者に復元を頼んだのではないかと疑っていると言う。
「じゃあ、本物は……?」
加奈子は当たり前の疑問を口にした。
「それなんだよ、本物が何処かに隠されている気がするんだ」
「え、でも、それ意味ないですよね? 割れたことは大々的に披露しちゃっているのに、実は割れてなかったとか、今さら発表出来ませんよ?」
熊谷は長い睫毛を動かし、加奈子の指摘に大きくうなずいた。
「ああ、加奈子ちゃんの言う通りだ。ただね、どちらにしても、割れた〝如意ひょうたん扁瓶〟が本物か偽物か調べる必要はある」
もしその花瓶が偽物なら、責任を感じて自殺した秘書の茂野明久氏は無駄死にということになる。そもそも偽物の花瓶が割れたからと言って、それを責めるのは変な話なのだ。
けれど、加奈子としては、そもそも、たかが花瓶が割れただけで死ぬこと自体がおかしなことだと思う。
「本当に自殺だったのでしょうか?」
加奈子の発言でピキっと空気が固まった。
「すいません……、私、変なこと言いましたね」
「いや……、そうか、そうかもしれないな?」
「え……?」
まさか他殺の可能性? と加奈子は自分の発言が怖くなる。けれど、そう考えるのが自然な気がした。
偽物の花瓶が割れたことを責めるのは変だし、それを苦にして自殺するのも変だ。秘書の茂野は偽物だと知っていたのか、それとも知らなかったのか、どちらにせよ、何か重大な秘密を知って殺されたのでは? と今、この場にいる三人の思考は、ほぼ同じことを考えている気がした。
「そういえば死因は何ですか?」
加奈子の問に熊谷は表情を変えることなく、「飛び下り自殺だよ」と淡々と答えてくれた。
「そうですか、けど、それなら、ますます怪しい気がします」
飛び下り自殺なんて、一番事故に見せかけることが出来そうな気がするし、殺すには手っ取り早い。素人の安易な考えを両断するかのように、熊谷は苦笑いを浮かべて、「争った形跡がないんだ」と言った。
「……つまり、他殺と言うよりは自殺の線が濃厚なんですね?」
「そうなんだ」
誰だって、他人の手で死にたくはないだろうし、ましてや飛び下りるなんて自分の意思じゃないなら、抵抗するのが人として当然のような気がした。
飛び下りた場所は商業ビルの屋上であり、地上四十メートルの場所から飛び降りたとなると、保護柵を越えなくてはいけないと聞かされ、それなら自分の意思で保護柵を越えて飛び降りたと考えるのが妥当だった。
「よし、花瓶を見に行って見るか……」
「え?」
スっと立ち上がる松原を見て、あんなに嫌がってたのに……、と加奈子は呆れたように微笑した――――。