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推しがいるのはナイショです!  作者: 和泉 利依


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「えー? 聞いてませんよお」

 鏡をしまいながら、だるそうに高塚さんは答えた。まともにこちらを見ない態度にさすがに口調が強くなる。

「いいえ、確かに言ったわ。主任と一緒にあの時3人で確認しています。だから、聞いたら必ずメモを取っておきなさいって……」

「そうですよねー。メモをとっておけば、水無瀬さんが言ってないって証明できましたよねー」

「な……」

 怒りで頭が真っ白になった。でも今はもめている場合じゃない。

「なら、これすぐデータを直して。明日の会議で使うから」

「ええー? もう終業ですよお?」

 時間を見れば、あと30分で終業時間だ。

 主任がデータの確認した時に、できてます、と高塚さんは言っていた。その後二人で何やら資料を見ていたので、とっくにできているものだと思っていた。

「でも、これ明日の朝の取締役会議で使う資料なの。ありません、じゃ通用しないのよ。すぐやって」

 高塚さんはふてくされた顔で目も合わせない。

「資料、出来てないの?」

 そこに、五十嵐課長が騒ぎを聞きつけて覗き込んだ。とたんに、涙目になって高塚さんは唇を噛んだ。

「そうなんですう。私、ちゃんと確認してもらってえ、これでいいって言われてたのに、いまさらそんなこと言われてもぉ」

 変わり身の早さにあきれる。課長は、一通り書類を確認すると顔をあげた。

「せっかくだが、これでは資料として使えないな。田口さん、確認していなかったんですか?」

 課長に聞かれて、自席にいた主任が気まずそうに答えた。

「作り方の相談はされましたが、その後は確認していなかったので……」

「そうですよぉ、それでいいって、主任が言ったんですぅ。わかってたらちゃんとやってましたぁ」

「確認ミスだな。至急直しておいてくれ」

 資料を渡されそうになった高塚さんは、潤んだ目のまま五十嵐課長を上目遣いに見上げた。

「でもお、今日はどおしても祖母の病院に行かなくちゃならないんです。他の日だったら絶対にやるんですけどお、面会日が限られていて……おばあちゃん、私に会うのを楽しみにしていたのに……それに、水無瀬さんの方が仕事は早いじゃないですかぁ。これから作るならあ、絶対水無瀬さんの方が適任ですよぉ」

 よくもこう次から次へと……黙っているのは悔しいけれど、話をこじらせている時間が惜しい。主任と話しているのを見たからって、その資料を確認しなかったのは私のミスでもある。久遠のことで、そこまで集中力が散漫になっていたんだろうか。情けなくて理由にもならない。

 資料を作り直すとして、私ならそれほど手間のかかる作業じゃない。数時間もあれば終わるだろうけど、これを高塚さんにやらせたら明日の朝までになんて絶対に間に合わない。PCの練度は主任も高塚さんと同レベルだから、すぐにこれ作れるのは私くらいしかいない。

 だけど、今日は……

「だが……」

「いいです、課長。すぐに直します」

 高塚さんに言いかけた課長を止めて、私はすぐにパソコンに向かった。

「わあ、ありがとうございます。頼りになりますねえ。私、水無瀬さんが上司で本当によかったあ」

 さっきの涙はどこへやら、満面の笑みで高塚さんが言った。

「水無瀬さん、俺も手伝うよ。一緒にやろう」

 準備を始めようとした課長に、私は笑顔を向ける。

「大丈夫ですよ。それに課長だって、これから吉沢産業の重役と会議ですよね? 気にせずに行ってください」

 課長が眉をひそめる。そちらの会議もおろそかにできるものではない。しばらく迷ってから、課長は言った。

「……悪い。頼むよ。でも、君がやってくれるなら安心してまかせられる」

 課長に言われた私を、高塚さんが不満そうに睨んだ。

 睨むくらいならちゃんと資料作っとけばいいのに!

「ありがとうございます。ちゃっちゃと終わらせちゃいますね」

 その時、終業のチャイムが鳴った。仕事を終えた人はそれぞれ片づけをして帰り支度を始める。課長も、補佐と一緒に会議に向かった。運悪く今日はノー残業デーで、よほどのことがない限り残業は禁止されている。ごめんね、と言いながら留美も帰っていった。

 帰っていく人々の中に高塚さんの姿も見えた。別の課の女子と笑いながら、こちらを見もせずに。

 腹が立ったけど、怒鳴り散らしても資料はできない。とりあえず資料室にとんで必要な資料をかき集めると、すぐ資料作りにとりかかる。

 数が多いからめんどうだけど、難しい作業ではない。だから高塚さんでもできると思って任せておいたのに。

 一息ついて時計を見ると、ちょうど7時になるところだった。

(始まっちゃったな)

 ここからアリーナまでは1時間近くかかる。まだ仕事は終わらないから、資料を作り終えてから行ってもコンサートは終わってしまっているだろう。

 悔しくて悲しくて、涙が浮かんだ。


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