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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「目黒のさんま」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/05/16


落語声劇「目黒のさんま」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約30分


必要演者数:3~4人

      (0:0:3)

      (3:0:0)【性別準拠人数比率】

      (2:1:0)

      (1:2:0)

      (0:3:0)

      (0:0:4)

      (4:0:0)【性別準拠人数比率】

      (3:1:0)

      (2:2:0)

      (1:3:0)

      (0:4:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって、性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


殿様:江戸幕府に仕えるとある国のお殿様。

   生まれながらにして泰平の世の中の殿様なため、世間一般とは

   少々ズレている。


三太夫:殿様の家臣その1。

    日々主君の無茶ぶりに振り回されている苦労人。


金弥:殿様の家臣その2。

   重役と言う発言が台詞にある事から、身分はそれほど高くないと

   思われる。

   三太夫と同じく主君のわがままに心労が絶えない苦労人。


百姓:さんま焼いてた目黒のお百姓さん。

   さんま焼いてたおかげで棚からぼたもち。


家来:殿様のご親類の大名の家臣。


包丁人:今でいう、各大名家に召し抱えられている専属シェフ。



●配役例:3人

殿様・百姓:

三太夫・包丁人・語り:

金弥・家来・枕:


●配役例:4人

殿様・百姓:

三太夫・包丁人:

金弥・家来:

枕・語り:




枕:江戸の昔、ある国の大名がおりました。

  大名と言うと、立派なお城に住んで毎日贅沢三昧(まいにちぜいたくざんまい)などと思うかもしれ

  ませんが、意外にもしきたりに雁字搦(がんじがら)めの不自由な生活をしておられ

  た事が分かっております。

  現代の我々だって残ってる文献(ぶんけん)調べてやっと知りえるわけですから、

  当時の下々の者達がそういう事情を知らないのも無理はありません。

  これは上下関係を端的(たんてき)に漢字の成り立ちで知る事ができます。

  カタカナのトの字の上に一を引くと下、下に一を引くと上という字に

  なります。

  だから雲の上の方は下々の事は分からないし理解しない、

  下々の人々も、雲の上の方の事情なんぞ知ったこっちゃないわけで。

  また上と下の間には中(ちゅう)の字が存在しますが、これは真ん中に一本芯棒(いっぽんしんぼう)

  が通ってますから、上の事も下の事も理解できるというのはそこら辺

  の事を言ったんでしょうな。

  昔の殿様は江戸幕府成立後に生まれた、いわば生まれながらの大名な

  わけですから、まぁモノを知らないにもほどがある。

  ですがむしろそれがいい、あまり賢くてあれこれ指図する殿様だと

  逆にお家(いえ)が乱れるんだとか。

  だからなるべくお殿様は周りがヨイショして育てるんですが、

  しかしながら時にはたしなめる事もあります。


殿様:三太夫(さんだゆう)、三太夫(さんだゆう)はおるか!


三太夫:はっ、お呼びにございますか。


殿様:今宵(こよい)は晴天である。お月様はでておるか。


三太夫:殿、お月様と月におの字を付けるのは、下々の下賤(げせん)な言葉にござ

    います。

    殿は高貴にあられまするゆえ、月は月と呼び捨てになされませ。


殿様:ほう、さようか。

   しからば月は出たか?


三太夫:はっ、一点の雲無く、冴(さ)えわたりおりまする。


殿様:うむ、では三太夫(さんだゆう)、ちこう寄れ。


三太夫:ははっ。


    【二拍】


    殿、ご用をおおせ聞けくださりませ。


殿様:実はの、そちに重大なる相談事(そうだんごと)がある。

   がしかし、壁に耳あり障子(しょうじ)に目ありゆえ、この場では申せぬ。

   品川沖(しながわおき)へ船を出せい。


三太夫:えっ、し、品川沖(しながわおき)にございますか?


殿様:そうじゃ、はよう致(いた)せ。


三太夫:は、ははっ、ただちに!


殿様:うむ、参るぞ!


語り:主君の鶴(つる)の一言、否(いな)とは申せぬのが家臣というものです。

   三太夫(さんだゆう)は一艘(いっそう)の小舟に主君を乗せ、自ら棹(さお)さして品川沖(しながわおき)までやって

   参りました。


殿様:ずいぶん沖まで出たの。


三太夫:はっ。

    殿、この辺りならば釣(つ)り船(ぶね)の影もなし、

    いかなる大声(たいせい)を発しましても、決して人に聞かれる気遣(きづか)いはござ

    いませぬ。


殿様:さようか。

   では三太夫(さんだゆう)、もそっとちこう寄れ。


三太夫:ははっ。


殿様:実はのう……屋敷の庭に、豆を蒔(ま)こうと思うのだ。


三太夫:えっ、ま、豆…にございますか…!?


殿様:そうじゃ、豆じゃ。


三太夫:と、殿、そのような事はわざわざ船を出さずとも、

    屋敷で申されれば事足(ことた)りまする。


殿様:いや、さにあらず。

   …鳩(はと)に聞かれてはまずかろうぞ。


三太夫:殿…さすがに鳩(はと)に人の言葉は分からぬかと存じます。


殿様:むむ…言われてみればそうであるな。


三太夫:【つぶやくように】

    いや、普通に考えてくだされ、殿…。


殿様:よし、屋敷へ戻ろうかの。


語り:とまあ天然なのか大真面目(おおまじめ)なのか、いささか分かりかねることもあ

   るかと思えば、意外に鋭いところもあったりするものです。

   それはとある日の朝餉(あさげ)の風景、膳(ぜん)の菜(な)っ葉(ぱ)を食(しょく)した殿様が

   声高(こわだか)に家臣を呼び立てます。


殿様:三太夫(さんだゆう)! 三太夫(さんだゆう)はおるか!!


三太夫:ははっ、三太夫(さんだゆう)これに控(ひか)えておりまする。


殿様:なんじゃこれは!

   昨日(さくじつ)食(しょく)したる菜(な)っ葉(ぱ)は大層美味(たいそうびみ)であったが、

   しかし今日のは味が劣るぞ!


三太夫:殿、お言葉を返し恐れ入りますが、

    昨日(さくじつ)殿の食(しょく)されましたる菜(な)っ葉(ぱ)、あれは俗に三河島菜(みかわしまな)と申しまし

    て、三河(みかわ)の百姓が下肥(しもごえ)を用いて作りたるものにございます。

    そのため一段と味わいがよろしゅうございます。

    しかしながら本日(ほんじつ)殿の食(しょく)されましたる菜(な)っ葉(ぱ)は、

    屋敷の庭におきまして魚の骨を肥料(ひりょう)と致しましたため、

    一段と味が劣るかと存じます。


殿様:ほう、さようか。

   しからばその、下肥(しもごえ)とやらを用いたるものは味わいが良いと申すか

   。


三太夫:御意(ぎょい)にございます。


殿様:ならば苦(くる)しゅうない。

   これへ些(いささ)かかけて参れ。


三太夫:と、殿、その、下肥(しもごえ)と申すものはいわゆる肥(こや)しの事にて、

    直接かけるものではございませぬ。


殿様:なに、そうであったか。

   まあよい。

   しからば次は…鯛(たい)を食そうかの。

   (いつ見ても赤(あこ)うて身も乾いておるわい…)


   んむ。


   【咀嚼している】


   (しきたりとはいえ一箸(ひとはし)しか付けられぬとは…

   丸まる一尾(いちび)食したいものよ…)

   美味じゃ、替わりを持てい。


三太夫:ははっ!

    (鯛(たい)は一尾(いちび)しか用意しておらなんだはず…ならば…!)


    殿、あれあの庭をご覧遊ばされませ。

    もみじの紅葉(こうよう)が一段と美(うつく)しゅうございます。


殿様:ほう…庭のもみじがの…


三太夫:(今じゃ! 鯛(たい)の表裏(おもてうら)をひっくり返して…!!)


    殿、替(か)わりの鯛(たい)を持参いたしましてございます。


殿様:なに、早かったのう。

   どれ…


   んむ。


   【咀嚼している】


   (ふふふ、余(よ)の目はごまかされぬぞ…

   どれ、少しばかりからこうてやるかの。)


   美味じゃ、替わりを持てい。


三太夫:は、ははッ!

    (これはいかん、同じ手は使えぬ…

    ひっくり返せば先ほど食(しょく)された跡が…!)


殿様:何をいたしておる。

   早う持って参らぬか。


三太夫:あ、いや、その…。


殿様:(あまり困らせてもならぬの…。)

   ならば余(よ)がもう一度、庭のもみじを見ていようかの?


三太夫:!あっ、では…!?

    …殿、お戯(たわ)れが過ぎまする。


殿様:ははは、許せよ。

   ちと其方(そのほう)をからこうたのだ。


語り:とまあこんなもので、朝から家来衆(けらいしゅう)の困る顔を楽しんでいた殿様。

   しかしいくら高貴な大名(だいみょう)だからって屋敷の中に篭(こも)りっきりですと

   身体がなまって錆(さ)びつこうというものです。

   刀と一緒ですな。


殿様:これ金弥(きんや)、金弥(きんや)はおるか!


金弥:はっ、お呼びでございますか。


殿様:見よ、実に良い天気であるな。


金弥:御意(ぎょい)、見事な日本晴(にほんばれ)にございまする。


殿様:かような晴天のおり、屋敷に篭(こも)っておるのは無聊(ぶりょう)にすぎる。

   どうじゃ、遊山(ゆさん)などに参ろうか?


金弥:殿、同じ事なれば、武芸鍛錬(ぶげいたんれん)のために野駆(のが)け遠乗(とおの)りなど結構かと

   存じます。


殿様:うむ、良い所に気が付いた。

   久しくせぬが、どのあたりまで参ればよいかの。


金弥:されば、下屋敷(しもやしき)から程遠(ほどとお)くない、目黒などいかがでございましょう

   や?


殿様:おぉ目黒か。

   彼(か)の地は川あり谷あり、紅葉(こうよう)も美しい。

   しばらく行っておらぬの。

   あい分かった、では遠乗(とおの)りいたすとしよう。

   馬を引けぃ!


金弥:ははっ!

   馬をこれへ!


三太夫:殿、こちらへ!


殿様:うむ、用意が整(ととの)うたな。

   者ども余(よ)に続け! はいやーっ!!


金弥:と、殿!?

   い、いかん、すぐに後を追わねば!


三太夫:えっ、では我らの馬は?


金弥:今から厩(うまや)へ行っている暇はない!

   走るのだ! それ駆けろおおおお!


三太夫:殿ぉー、お待ちくだされぇぇ!!


殿様:はいや、はいやーッ!


語り:馬に一鞭(ひとむち)くれて駆け出したお殿様、慌てる家来たちを尻目(しりめ)に

   一人いい心持ちで馬を走らせます。

   ところが昔の馬の鞍(くら)は木製なもんですから、長い事揺られていると

   尻が痛いのなんの。

   ついに目黒を目前にして耐え切れなくなり、馬から飛び降りて尻を

   さすります。


殿様:あたた…久方(ひさかた)ぶりに馬に乗ったら尻が…。

   それにしても家来(けらい)どもはいかがしたのだ?


金弥:はあはあ、殿――ッッ!


三太夫:と、殿、はあはあ…ち、遅参(ちさん)、ご容赦(ごようしゃ)くださいませ。


殿様:遅いッ!

   その方(ほう)ども、これがもし戦場(いくさば)なら、一騎駆(いっきが)けした余(よ)は敵に討たれて

   いるやもしれぬぞ!


金弥:殿…恐れながら申し上げます。

   殿は馬、馬は四つ足我らは二本足、所詮(しょせん)かなうところではございま

   せぬ。


殿様:黙れっ!

   その方どもはなんと柔弱(にゅうじゃく)な事を申すか!

   伝え聞くいにしえの太閤(たいこう)、豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう)が若年(じゃくねん)の折、

   主君(しゅくん)織田信長公(おだのぶながこう)の馬の轡(くつわ)を取り、遅れず田楽狭間(でんがくはざま)へ駆(か)け通したと

   いうではないか。

   いにしえの方々はみな健脚(けんきゃく)ぞ!


金弥:昔は昔、今は今、そこまでおおせられるならば、

   あれに見ゆる小高い岡の赤松まで、駆(か)け比べなぞいたしましょう。


殿様:なに、駆(か)け比べじゃと?

   ははは、駆(か)け比べといえど、余(よ)はその方(ほう)らに引けは取らん!


三太夫:さような高言(こうげん)は勝った後におおせられませ。

    参りますぞ!


金弥:それえええーーッッ!!


殿様:!んなっ!?

   そ、その方、どこにそんな力が残っておったのだ!?


   【走りながら】

 

   はあ、はあ、これ、待たぬか!!

   ええい、家来(けらい)の分際(ぶんざい)で余(よ)よりも先を駆けるとは…!

   もうやめじゃ!


三太夫:あぁいかん、殿はあきらめて座り込みそうだし、

    金弥(きんや)殿もムキになられて止まりそうにない。

    このままでは…よし、ここは一つ…。

    ふんんッ!


殿様:お? おお?

   これは追い風(かぜ)じゃな! 神仏(しんぶつ)は余(よ)に味方しておる!

   前を走る金弥(きんや)の背中も近づいてきたわ!


語り:いくら主君の申し分(ぶん)に腹が立ったからって先にたどり着いたら、

   下手すりゃあ切腹(せっぷく)ものです。

   後ろから押してもらってようやく前を走る家来に追いついた殿様。

   その頃には先を駆けてた家来(けらい)の方も頭が冷えてるもんですから、

   わざと速度を落として主君が抜きやすくする。

   身体半身(からだはんみ)の差で殿様が一着(いっちゃく)、江戸の昔なので写真判定無し。


殿様:その方(ほう)ら、やはり余(よ)にはかなわんの。


金弥:恐れ入りました。

   我ら、何事(なにごと)も殿にはかないませぬ。


殿様:うむ、わかればよい。

   …だいぶ空腹を覚えたな。

   弁当をこれへ持って参れ。


三太夫:べ、弁当でございますか?


金弥:殿…恐れながら申し上げます。

   あまりに火急(かきゅう)の事のため、弁当は持参いたしておりませぬ。


殿様:な、なに、弁当が……ない?

   たわけ…余(よ)は、ここで、死ぬぞ…?


三太夫:も、申し訳ございませぬ…。


殿様:…三太夫(さんだゆう)、空が…抜けるように青いのう…。


三太夫:御意(ぎょい)…。


殿様:金弥(きんや)…、赤とんぼが空を飛んでおるのう…。


金弥:はっ…とんぼどもも、今が盛(さか)りの時期でございますゆえ。


殿様:盛(さか)り…そうか、つまり旬(しゅん)ということであるな。

   よし苦(くる)しゅうない、あの赤とんぼをこれへ持て。

   腹の足(た)しにはなろうぞ。


金弥:恐れながら殿、赤とんぼは虫ゆえ食べられませぬぞ。


殿様:何を申すか。

   俳句(はいく)にもあるぞ。

   赤とんぼ 羽を取ったら とんがらし と。


金弥:殿…それはもののたとえにございます。

   赤とんぼが食べられるのを詠(よ)んだものではありませぬゆえ。


殿様:そうか…ならばこの空腹、いかにしたものであろうか…。


   【匂いを嗅ぐ】


   むむ? これ金弥(きんや)、この異(い)なる匂(にお)いはなんじゃ?


金弥:匂(にお)い、でございますか?


   【匂いを嗅ぐ】


   あ、これは、さんまにございます。


殿様:さんま…耳慣(みみな)れぬ名前よの。

   さんまとはいかなる獣(けだもの)であるか?


三太夫:殿、獣(けだもの)ではございませぬ。

    魚(うお)にございます。


金弥:この匂(にお)いはおそらく、さんまを焼いておるものと心得ます。


殿様:ほう、魚(うお)であったか。

   では食(しょく)してみるかの。


金弥:殿、さんまは下々の者が食(しょく)す下魚(げうお)でございます。

   高貴な殿が口にされてはなりませぬ。


殿様:たわけめ、武士が食べ物の好き嫌いを申すべきではない!

   何より腹が減っておっては戦(いくさ)はできぬぞ!

   そのさんまとやらをこれへ持て!

   目通(めどお)りを許す!


三太夫:は、ははぁーッ!


金弥:し、しばしお待ちを!


   【二拍】


   まったく殿も無茶をおおせられる。

   さんまを食べさせたなどと重役(じゅうやく)に知れたら、それこそ我らは責(せ)めを

   負(お)わねばならぬぞ。


三太夫:だが殿の命令に背(そむ)くもまた不忠(ふちゅう)。

    辛(つら)いところだ…お、あれではござらぬか?


金弥:うむ、そのようだ。

   あ~これこれ。


百姓:へ、へい、これはお武家(ぶけ)様。

   あっしに何か、御用(ごよう)でございますか?


三太夫:実はな、我らが主君がさんまを所望(しょもう)されておる。

    今焼いておるのをそっくり譲(ゆず)ってはくれぬか?


百姓:さ、さんまでございますか?

   へへーっ、お安い御用(ごよう)でございます。


金弥:おぉすまぬな。

   これはさんまの代金じゃ。


百姓:へっ、こ、小判(こばん)!?

   こ、こんな大枚(たいまい)をいただいても、よろしいんで!?


三太夫:うむ、取っておけ。


百姓:あ、ありがとうごぜえますだ!

   もうしばらくお待ちくだせえ、すぐに焼きあがりますんで!


語り:ほどなくして縁(ふち)の欠けたお皿に、焼きあがったばかりのプシュプシ

   ュ音(おと)を立ててるさんまを10尾(び)乗せ、脇には大根おろしに醤油(しょうゆ)を

   たらし、殿様の前に運ばれました。


金弥:殿、ご所望(しょもう)のさんまにございます。


殿様:おお、待ちかねたぞ!

   !!? こ、これがさんまであるか?


三太夫:はっ、さようでございます。


殿様:むむぅ…今まで魚(うお)というものは色赤(いろあか)く、平(ひら)べったく、

   反(そ)り返(かえ)っておるものばかりと思うておったが…、

   これなるさんまは色黒(いろくろ)く、長細(ながほそ)く、横っ腹(ぱら)と思(おぼ)しき所には、

   赤々と消し炭(ずみ)がついておる…!

   たぎっておるのは…油か?

   いや、このようなものが魚(うお)であろうはずがない!

   金弥(きんや)、これは爆弾ではないのか!?


金弥:さにあらず。

   見かけは悪(わる)うございますが、食(しょく)すれば美味なる魚(うお)にございます。


殿様:さ、さようか…食(しょく)しても、大事無(だいじな)いのだな?


三太夫:はい、大事(だいじ)ございませぬ。

    殿、その醤油(しょうゆ)のかかった大根おろしと共に食(しょく)するのが良いと聞き

    及(およ)んでおります。


殿様:ほう…どれどれ…。

   んむ。


   【咀嚼している】


   んむ!? むむむ!?

   こ、これは……美味である!!


   【次から次へと口へ運んで食べている】


金弥:…夢中で召(め)し上がっておられる…。


三太夫:さもあらん。

    いくら鯛(たい)とは言え、いつもお毒見(どくみ)の手を経(へ)てから出される、

    冷(さ)めて身(み)の乾いたものばかりだでのう。

    野駆(のが)けにて適度な運動をなされて空腹の所に旬(しゅん)の、

    それも焼きたてのさんまは格別(かくべつ)であろうの。


殿様:んん~~美味、美味じゃ!!

   これ、替(か)わりを持てぃ!

   あいや待て、裏がまだじゃ。それっ。

   【一拍】

   うむうむ、これほどの美味なる魚(うお)、しっかと味わわねばの。

   んむ、さんまと申すか! うむ、まっこと美味じゃ! うむ!


三太夫:…金弥(きんや)殿。


金弥:それ以上言われるな。

   お主(ぬし)と気持ちは同じじゃ。


殿様:ふう…美味であった! 美味であったぞ!

   頭と尻尾(しっぽ)と骨が残った。

   その方(ほう)たちに下(さ)げつかわす!


三太夫:…。


金弥:あ、ありがたきしあわせに存じます。


殿様:しかし、世の中に斯様(かよう)な美味なるものがあるとはの。

   なぜ余(よ)に知らせなんだ。


三太夫:殿、恐れながら申し上げます。

    目黒においてさんまを食(しょく)されましたる段(だん)、何とぞご内密(ないみつ)に願いま

    す。


殿様:む、余(よ)がさんまを食(しょく)すと、何かまずいのか?


金弥:御意(ぎょい)。

   もしご重臣(じゅうしん)の耳に入りますと、我ら一同の不徳(ふとく)にて後で切腹(せっぷく)…

   ということに相成(あいな)ります。


殿様:ふうむ、さようか。

   しからば余(よ)は口が裂けても、目黒においてさんまを食(しょく)したとは申さ

   ぬ。

   そちらの迷惑になるようなことはせぬゆえ、安堵(あんど)いたせ。


三太夫:ははっ!ありがたき幸せ!


殿様:では屋敷へ戻ろうぞ!


語り:すっかりご機嫌(きげん)うるわしく、お屋敷へ帰って参りました殿様。

   しかし夕餉(ゆうげ)の膳(ぜん)につきますと、いつものようにまた出てくる例の

   赤くて、平(ひら)べったくて、冷(さ)めた赤いの。

   それを見た殿様、溜息(ためいき)と共に昼間食(ひるましょく)したさんまの味を思い出します

   。


殿様:またこの魚(うお)か…。

   (ああ…昼間のさんまは美味であったのう…。)


金弥:殿、いかがなされました?

   箸(はし)がお進み遊ばされておらぬようですが…。


殿様:見よ、この鯛(たい)を。

   毒々しい赤色じゃ。

   大きな目で余(よ)を睨(にら)みつけおる。

   可愛(かわい)げのない魚(うお)だの。


三太夫:【以下、声を落として】

    金弥(きんや)殿…。


金弥:昼間の一件であろうなあ…。


三太夫:いかにも…、よほどお気に召(め)されたようであったしなあ…。


金弥:しかし屋敷でお出しするわけにもいかぬでな…。


三太夫:うむ…。


殿様:それにひき比べ、目黒で出会(でお)うた、さんま…。

   あの黒々とした凛々しき姿、すらりとした体躯(たいく)、そしてあの悩まし

   げな眼差(まなざ)し…さんまに逢(あ)いたいのう…。


語り:一度味わったさんまの魅力に、すっかり虜(とりこ)になってしまった殿様。

   世の中は天下泰平(たんかたいへい)なもんですから、他に考えることもない。

   寝ても覚めてもさんま、さんま…夜明(よあ)かししてもさんま、さんま…

   。そのうち思い余(あま)ってさんまが人間の形をとるんじゃないかってく

   らい、恋焦(こいこ)がれてしまう。

   焦(こ)がれるあまりに恋わずらい、顔色が優(すぐ)れなかったりしてきます。


殿様:あぁこれ金弥(きんや)、また目黒などに参りたいのう。


金弥:はっははっ、目黒は風光明媚(ふうこうめいび)な場所につきましてーー


殿様:【↑の語尾に被せて】

   風光(ふうこう)などはどうでもよい。

   その折(おり)に食(しょく)せし…何と申したかの、余(よ)は忘れてしもうた。

   あの長(なが)やかなる…黒(くろ)やかなる…、あの美味なる…


金弥:【↑の語尾に被せて】

   殿、との、何とぞその話はご内密(ないみつ)に…


殿様:たわけめ、分かっておるわ!

   余(よ)は目黒とは申した。

   目黒とは申したが、さんまとは申しておらぬぞ!


金弥:【声を落として】

   (いや、はっきり申されてますぞ、殿おお…!)   


語り:もういつ殿様が重役(じゅうやく)の前で口を滑(すべ)らすのではないかと、

   ご家来(けらい)も身の細(ほそ)る日々です。

   さんまの味を知った日から数日、殿様がご親類の大名(だいみょう)の屋敷に招か

   れることになりました。いわゆる園遊会(えんゆうかい)ですな。

   大名(だいみょう)というものは普段食べたいものを食べられるわけではありませ

   ん。

   しかしこういうお招きされた時だけは、好きな献立(こんだて)を注文できると

   いう習(なら)わしがありました。

   さあ殿様、ここで言わなきゃいつ言うんだ、今でしょとばかり、

   声高(こえたか)らかに宣言しました。


殿様:うむ、余(よ)はさんまを所望(しょもう)するぞ!


家来:あ、按摩(あんま)でございますか?


殿様:何を申しておる。

   按摩(あんま)が食えるか。

   さんまじゃ、さんま!


家来:し、承知つかまつりました!


   【二拍】


   はあ、はあ…これ、包丁人(ほうちょうにん)!


包丁人:はっ、ご親類のお殿様は何とご所望(しょもう)されました?


家来:う、うむ、それがな…、さんま、と申された。


包丁人:えっ、さ、さんま!?

    下魚(げうお)の?


家来:そうじゃ。


包丁人:いやいやまさか。

    あれ程のご大身(たいしん)のお殿様が、さんまなどをご存じのはずはありま

    すまい。

    今一度(いまいちど)聞き直された方がよろしいかと。


家来:た、確かに。

   すぐ聞いて参る。


   【二拍】


   殿様、恐れ入りますが今一度(いまいちど)、ご所望(しょもう)の料理をおおせ聞けくださりま

   せ。


殿様:なに、今一度?

   だからさんまと申しておるではないか!

   黒(くろ)やかなる、長(なが)やかなる魚(うお)である。

   よいか!


家来:は、ははぁーッ!


   【二拍】


   き、聞いて参った!

   やはり、さんまであった。


包丁人:ま、まことですか…。

    しかし、さんまのごとき下魚(げうお)は用意しておりませぬゆえ、

    急ぎ日本橋(にほんばし)の魚河岸(うおがし)まで行かねばなりませぬ。


家来:わ、わかった、行って参る!


語り:さぁもう間違いない、それ急げとばかり親類のご家来衆(けらいしゅう)は馬を飛ば

   して日本橋(にほんばし)まで来ると、房総半島(ぼうそうはんとう)で取れたさんまを選(え)りすぐって

   帰って参りました。


家来:はあ、はあ…今戻った!

   さんまを手に入れて参ったぞ…これじゃ!


包丁人:ご苦労様にございます。

    しかし…さんまは油の強い魚(うお)じゃ。

    万一(まんいち)油にあたっては一大事(いちだいじ)、どう調理したものか…。

    !そうじゃ、まずは蒸(む)し器にて油をそっくり落とすのじゃ!


家来:お、おぉ…見事なまでにパッサパサだ…。


包丁人:よし…これで油は除(のぞ)いた。

    だがさんまは小骨(こぼね)の多い魚(うお)。

    万一喉(まんいちのど)に刺さっては一大事(いちだいじ)…皆(みな)、毛抜(けぬ)きを持て!

    骨と言う骨を取り除くのじゃ!


家来:むむ…骨は全て取り除(の)けたが…身がもうクッタクタだ…。


包丁人:…。

    よし、残った身を丸めて団子(だんご)にし、お吸い物としてお出しするの

    じゃ!


家来:も、もはや原型(げんけい)をとどめておらぬ…。


語り:さんまというものは、炭火(すみび)で焼いて醤油(しょうゆ)と大根おろしでいただくの

   が美味(うま)い、包丁人(ほうちょうにん)だってそれは分かっている。

   しかし油が強くて骨の多いものをそのまま出し、万一(まんいち)の事があった

   ら打ち首か切腹(せっぷく)か、包丁人(ほうちょうにん)もそればかり恐れて調理したもんですか

   ら、さんまはもう見る影もない。


家来:お待たせいたしました。

   ご所望(しょもう)のさんまにございます。


殿様:おお、待っておったぞ……む?

   これ、さんまを所望(しょもう)したのだぞ。

   さんまと申すものはな、すべからく縁(ふち)の欠けた皿に乗っておるもの

   だぞ。

   しかし、いちおう中身をあらためる。


   …!! この匂(にお)いは紛(まぎ)れもなくさんまじゃ…!

   会いたかったぞ…そちも堅固(けんご)でなにより。

   どれ…んむ。


   【二拍】


   (ま、不味(まず)い…なんじゃこれは…!)


殿様:これ、直答(じきとう)を許す。

   このさんまはいずれにて仕入れた?


家来:はっ、日本橋(にほんばし)の魚河岸(うおがし)にて、房州(ぼうしゅう)より取れたての本場(ほんば)のさんま、

   仕入れましてございます。


殿様:なに、日本橋(にほんばし)? それはいかん。

   さんまは目黒に限る。



終劇





・参考にした落語口演の演者様(敬称略)

三遊亭圓楽(五代目)

三遊亭圓楽(六代目)

春風亭一朝




「次はどの落語を台本に書き起こそうかなあー、他の人が書いてないのを優先で―。」


と思いつつあれこれ探した結果、4作目は目黒のさんまに決まった次第です。


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