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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「目黒のさんま」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「目黒のさんま」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約30分


必要演者数:3~4人

      (0:0:3)

      (0:0:4)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって、性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


殿様:江戸幕府に仕えるとある国のお殿様。

   生まれながらにして泰平の世の中の殿様なため、世間一般とは

   少々ズレている。


三太夫:殿様の家臣その1。

    日々主君の無茶ぶりに振り回されている苦労人。


金弥:殿様の家臣その2。

   重役と言う発言が台詞にある事から、身分はそれほど高くないと

   思われる。

   三太夫と同じく主君のわがままに心労が絶えない苦労人。


百姓:さんま焼いてた目黒のお百姓さん。

   さんま焼いてたおかげで棚からぼたもち。


家来:殿様のご親類の大名の家臣。


包丁人:今でいう、各大名家に召し抱えられている専属シェフ。



●配役例:3人

殿様・百姓:

三太夫・包丁人・語り:

金弥・家来・枕:


●配役例:4人

殿様・百姓:

三太夫・包丁人:

金弥・家来:

枕・語り:



枕:江戸の昔、ある国の大名がおりました。

  大名と言うと、立派なお城に住んで毎日贅沢三昧まいにちぜいたくざんまいなどと思うかもしれ

  ませんが、意外にもしきたりに雁字搦がんじがらめの不自由な生活をしておられ

  た事が分かっております。

  現代の我々だって残ってる文献ぶんけん調べてやっと知りえるわけですから、

  当時の下々の者達がそういう事情を知らないのも無理はありません。

  これは上下関係を端的たんてきに漢字の成り立ちで知る事ができます。

  カタカナのトの字の上に一を引くと下、下に一を引くと上という字に

  なります。

  だから雲の上の方は下々の事は分からないし理解しない、

  下々の人々も、雲の上の方の事情なんぞ知ったこっちゃないわけで。

  また上と下の間にはちゅうの字が存在しますが、これは真ん中に一本芯棒いっぽんしんぼう

  が通ってますから、上の事も下の事も理解できるというのはそこら辺

  の事を言ったんでしょうな。

  昔の殿様は江戸幕府成立後に生まれた、いわば生まれながらの大名な

  わけですから、まぁモノを知らないにもほどがある。

  ですがむしろそれがいい、あまり賢くてあれこれ指図する殿様だと

  逆においえが乱れるんだとか。

  だからなるべくお殿様は周りがヨイショして育てるんですが、

  しかしながら時にはたしなめる事もあります。


殿様:三太夫さんだゆう三太夫さんだゆうはおるか!


三太夫:はっ、お呼びにございますか。


殿様:今宵こよいは晴天である。お月様はでておるか。


三太夫:殿、お月様と月におの字を付けるのは、下々の下賤げせんな言葉にござ

    います。

    殿は高貴にあられまするゆえ、月は月と呼び捨てになされませ。


殿様:ほう、さようか。

   しからば月は出たか?


三太夫:はっ、一点の雲無く、えわたりおりまする。


殿様:うむ、では三太夫さんだゆう、ちこう寄れ。


三太夫:ははっ。


    【二拍】


    殿、ご用をおおせ聞けくださりませ。


殿様:実はの、そちに重大なる相談事そうだんごとがある。

   がしかし、壁に耳あり障子しょうじに目ありゆえ、この場では申せぬ。

   品川沖しながわおきへ船を出せい。


三太夫:えっ、し、品川沖しながわおきにございますか?


殿様:そうじゃ、はよういたせ。


三太夫:は、ははっ、ただちに!


殿様:うむ、参るぞ!


語り:主君のつるの一言、いなとは申せぬのが家臣というものです。

   三太夫さんだゆう一艘いっそうの小舟に主君を乗せ、自らさおさして品川沖しながわおきまでやって

   参りました。


殿様:ずいぶん沖まで出たの。


三太夫:はっ。

    殿、この辺りならばぶねの影もなし、

    いかなる大声たいせいを発しましても、決して人に聞かれる気遣きづかいはござ

    いませぬ。


殿様:さようか。

   では三太夫さんだゆう、もそっとちこう寄れ。


三太夫:ははっ。


殿様:実はのう……屋敷の庭に、豆をこうと思うのだ。


三太夫:えっ、ま、豆…にございますか…!?


殿様:そうじゃ、豆じゃ。


三太夫:と、殿、そのような事はわざわざ船を出さずとも、

    屋敷で申されれば事足ことたりまする。


殿様:いや、さにあらず。

   …はとに聞かれてはまずかろうぞ。


三太夫:殿…さすがにはとに人の言葉は分からぬかと存じます。


殿様:むむ…言われてみればそうであるな。


三太夫:【つぶやくように】

    いや、普通に考えてくだされ、殿…。


殿様:よし、屋敷へ戻ろうかの。


語り:とまあ天然なのか大真面目おおまじめなのか、いささか分かりかねることもあ

   るかと思えば、意外に鋭いところもあったりするものです。

   それはとある日の朝餉あさげの風景、ぜんしょくした殿様が

   声高こわだかに家臣を呼び立てます。


殿様:三太夫さんだゆう! 三太夫さんだゆうはおるか!!


三太夫:ははっ、三太夫さんだゆうこれにひかえておりまする。


殿様:なんじゃこれは!

   昨日さくじつしょくしたる大層美味たいそうびみであったが、

   しかし今日のは味が劣るぞ!


三太夫:殿、お言葉を返し恐れ入りますが、

    昨日さくじつ殿のしょくされましたる、あれは俗に三河島菜みかわしまなと申しまし

    て、三河みかわの百姓が下肥しもごえを用いて作りたるものにございます。

    そのため一段と味わいがよろしゅうございます。

    しかしながら本日ほんじつ殿のしょくされましたるは、

    屋敷の庭におきまして魚の骨を肥料ひりょうと致しましたため、

    一段と味が劣るかと存じます。


殿様:ほう、さようか。

   しからばその、下肥しもごえとやらを用いたるものは味わいが良いと申すか

   。


三太夫:御意ぎょいにございます。


殿様:ならばくるしゅうない。

   これへいささかかけて参れ。


三太夫:と、殿、その、下肥しもごえと申すものはいわゆるこやしの事にて、

    直接かけるものではございませぬ。


殿様:なに、そうであったか。

   まあよい。

   しからば次は…たいを食そうかの。

   (いつ見てもあこうて身も乾いておるわい…)


   んむ。


   【咀嚼している】


   (しきたりとはいえ一箸ひとはししか付けられぬとは…

   丸まる一尾いちび食したいものよ…)

   美味じゃ、替わりを持てい。


三太夫:ははっ!

    (たい一尾いちびしか用意しておらなんだはず…ならば…!)


    殿、あれあの庭をご覧遊ばされませ。

    もみじの紅葉こうようが一段とうつくしゅうございます。


殿様:ほう…庭のもみじがの…


三太夫:(今じゃ! たい表裏おもてうらをひっくり返して…!!)


    殿、わりのたいを持参いたしましてございます。


殿様:なに、早かったのう。

   どれ…


   んむ。


   【咀嚼している】


   (ふふふ、の目はごまかされぬぞ…

   どれ、少しばかりからこうてやるかの。)


   美味じゃ、替わりを持てい。


三太夫:は、ははッ!

    (これはいかん、同じ手は使えぬ…

    ひっくり返せば先ほどしょくされた跡が…!)


殿様:何をいたしておる。

   早う持って参らぬか。


三太夫:あ、いや、その…。


殿様:(あまり困らせてもならぬの…。)

   ならばがもう一度、庭のもみじを見ていようかの?


三太夫:!あっ、では…!?

    …殿、おたわれが過ぎまする。


殿様:ははは、許せよ。

   ちと其方そのほうをからこうたのだ。


語り:とまあこんなもので、朝から家来衆けらいしゅうの困る顔を楽しんでいた殿様。

   しかしいくら高貴な大名だいみょうだからって屋敷の中にこもりっきりですと

   身体がなまってびつこうというものです。

   刀と一緒ですな。


殿様:これ金弥きんや金弥きんやはおるか!


金弥:はっ、お呼びでございますか。


殿様:見よ、実に良い天気であるな。


金弥:御意ぎょい、見事な日本晴にほんばれにございまする。


殿様:かような晴天のおり、屋敷にこもっておるのは無聊ぶりょうにすぎる。

   どうじゃ、遊山ゆさんなどに参ろうか?


金弥:殿、同じ事なれば、武芸鍛錬ぶげいたんれんのために野駆のが遠乗とおのりなど結構かと

   存じます。


殿様:うむ、良い所に気が付いた。

   久しくせぬが、どのあたりまで参ればよいかの。


金弥:されば、下屋敷しもやしきから程遠ほどとおくない、目黒などいかがでございましょう

   や?


殿様:おぉ目黒か。

   の地は川あり谷あり、紅葉こうようも美しい。

   しばらく行っておらぬの。

   あい分かった、では遠乗とおのりいたすとしよう。

   馬を引けぃ!


金弥:ははっ!

   馬をこれへ!


三太夫:殿、こちらへ!


殿様:うむ、用意がととのうたな。

   者どもに続け! はいやーっ!!


金弥:と、殿!?

   い、いかん、すぐに後を追わねば!


三太夫:えっ、では我らの馬は?


金弥:今からうまやへ行っている暇はない!

   走るのだ! それ駆けろおおおお!


三太夫:殿ぉー、お待ちくだされぇぇ!!


殿様:はいや、はいやーッ!


語り:馬に一鞭ひとむちくれて駆け出したお殿様、慌てる家来たちを尻目しりめ

   一人いい心持ちで馬を走らせます。

   ところが昔の馬のくらは木製なもんですから、長い事揺られていると

   尻が痛いのなんの。

   ついに目黒を目前にして耐え切れなくなり、馬から飛び降りて尻を

   さすります。


殿様:あたた…久方ひさかたぶりに馬に乗ったら尻が…。

   それにしても家来けらいどもはいかがしたのだ?


金弥:はあはあ、殿――ッッ!


三太夫:と、殿、はあはあ…ち、遅参ちさん、ご容赦ごようしゃくださいませ。


殿様:遅いッ!

   そのほうども、これがもし戦場いくさばなら、一騎駆いっきがけしたは敵に討たれて

   いるやもしれぬぞ!


金弥:殿…恐れながら申し上げます。

   殿は馬、馬は四つ足我らは二本足、所詮しょせんかなうところではございま

   せぬ。


殿様:黙れっ!

   その方どもはなんと柔弱にゅうじゃくな事を申すか!

   伝え聞くいにしえの太閤たいこう豊臣秀吉公とよとみひでよしこう若年じゃくねんの折、

   主君しゅくん織田信長公おだのぶながこうの馬のくつわを取り、遅れず田楽狭間でんがくはざまけ通したと

   いうではないか。

   いにしえの方々はみな健脚けんきゃくぞ!


金弥:昔は昔、今は今、そこまでおおせられるならば、

   あれに見ゆる小高い岡の赤松まで、け比べなぞいたしましょう。


殿様:なに、け比べじゃと?

   ははは、け比べといえど、はそのほうらに引けは取らん!


三太夫:さような高言こうげんは勝った後におおせられませ。

    参りますぞ!


金弥:それえええーーッッ!!


殿様:!んなっ!?

   そ、その方、どこにそんな力が残っておったのだ!?


   【走りながら】

 

   はあ、はあ、これ、待たぬか!!

   ええい、家来けらい分際ぶんざいよりも先を駆けるとは…!

   もうやめじゃ!


三太夫:あぁいかん、殿はあきらめて座り込みそうだし、

    金弥きんや殿もムキになられて止まりそうにない。

    このままでは…よし、ここは一つ…。

    ふんんッ!


殿様:お? おお?

   これは追いかぜじゃな! 神仏しんぶつに味方しておる!

   前を走る金弥きんやの背中も近づいてきたわ!


語り:いくら主君の申しぶんに腹が立ったからって先にたどり着いたら、

   下手すりゃあ切腹せっぷくものです。

   後ろから押してもらってようやく前を走る家来に追いついた殿様。

   その頃には先を駆けてた家来けらいの方も頭が冷えてるもんですから、

   わざと速度を落として主君が抜きやすくする。

   身体半身からだはんみの差で殿様が一着いっちゃく、江戸の昔なので写真判定無し。


殿様:そのほうら、やはりにはかなわんの。


金弥:恐れ入りました。

   我ら、何事なにごとも殿にはかないませぬ。


殿様:うむ、わかればよい。

   …だいぶ空腹を覚えたな。

   弁当をこれへ持って参れ。


三太夫:べ、弁当でございますか?


金弥:殿…恐れながら申し上げます。

   あまりに火急かきゅうの事のため、弁当は持参いたしておりませぬ。


殿様:な、なに、弁当が……ない?

   たわけ…は、ここで、死ぬぞ…?


三太夫:も、申し訳ございませぬ…。


殿様:…三太夫さんだゆう、空が…抜けるように青いのう…。


三太夫:御意ぎょい…。


殿様:金弥きんや…、赤とんぼが空を飛んでおるのう…。


金弥:はっ…とんぼどもも、今がさかりの時期でございますゆえ。


殿様:さかり…そうか、つまりしゅんということであるな。

   よしくるしゅうない、あの赤とんぼをこれへ持て。

   腹のしにはなろうぞ。


金弥:恐れながら殿、赤とんぼは虫ゆえ食べられませぬぞ。


殿様:何を申すか。

   俳句はいくにもあるぞ。

   赤とんぼ 羽を取ったら とんがらし と。


金弥:殿…それはもののたとえにございます。

   赤とんぼが食べられるのをんだものではありませぬゆえ。


殿様:そうか…ならばこの空腹、いかにしたものであろうか…。


   【匂いを嗅ぐ】


   むむ? これ金弥きんや、このなるにおいはなんじゃ?


金弥:におい、でございますか?


   【匂いを嗅ぐ】


   あ、これは、さんまにございます。


殿様:さんま…耳慣みみなれぬ名前よの。

   さんまとはいかなるけだものであるか?


三太夫:殿、けだものではございませぬ。

    うおにございます。


金弥:このにおいはおそらく、さんまを焼いておるものと心得ます。


殿様:ほう、うおであったか。

   ではしょくしてみるかの。


金弥:殿、さんまは下々の者がしょく下魚げうおでございます。

   高貴な殿が口にされてはなりませぬ。


殿様:たわけめ、武士が食べ物の好き嫌いを申すべきではない!

   何より腹が減っておってはいくさはできぬぞ!

   そのさんまとやらをこれへ持て!

   目通めどおりを許す!


三太夫:は、ははぁーッ!


金弥:し、しばしお待ちを!


   【二拍】


   まったく殿も無茶をおおせられる。

   さんまを食べさせたなどと重役じゅうやくに知れたら、それこそ我らはめを

   わねばならぬぞ。


三太夫:だが殿の命令にそむくもまた不忠ふちゅう

    つらいところだ…お、あれではござらぬか?


金弥:うむ、そのようだ。

   あ~これこれ。


百姓:へ、へい、これはお武家ぶけ様。

   あっしに何か、御用ごようでございますか?


三太夫:実はな、我らが主君がさんまを所望しょもうされておる。

    今焼いておるのをそっくりゆずってはくれぬか?


百姓:さ、さんまでございますか?

   へへーっ、お安い御用ごようでございます。


金弥:おぉすまぬな。

   これはさんまの代金じゃ。


百姓:へっ、こ、小判こばん!?

   こ、こんな大枚たいまいをいただいても、よろしいんで!?


三太夫:うむ、取っておけ。


百姓:あ、ありがとうごぜえますだ!

   もうしばらくお待ちくだせえ、すぐに焼きあがりますんで!


語り:ほどなくしてふちの欠けたお皿に、焼きあがったばかりのプシュプシ

   ュおとを立ててるさんまを10乗せ、脇には大根おろしに醤油しょうゆ

   たらし、殿様の前に運ばれました。


金弥:殿、ご所望しょもうのさんまにございます。


殿様:おお、待ちかねたぞ!

   !!? こ、これがさんまであるか?


三太夫:はっ、さようでございます。


殿様:むむぅ…今までうおというものは色赤いろあかく、ひらべったく、

   かえっておるものばかりと思うておったが…、

   これなるさんまは色黒いろくろく、長細ながほそく、横っぱらおぼしき所には、

   赤々と消しずみがついておる…!

   たぎっておるのは…油か?

   いや、このようなものがうおであろうはずがない!

   金弥きんや、これは爆弾ではないのか!?


金弥:さにあらず。

   見かけはわるうございますが、しょくすれば美味なるうおにございます。


殿様:さ、さようか…しょくしても、大事無だいじないのだな?


三太夫:はい、大事だいじございませぬ。

    殿、その醤油しょうゆのかかった大根おろしと共にしょくするのが良いと聞き

    およんでおります。


殿様:ほう…どれどれ…。

   んむ。


   【咀嚼している】


   んむ!? むむむ!?

   こ、これは……美味である!!


   【次から次へと口へ運んで食べている】


金弥:…夢中でし上がっておられる…。


三太夫:さもあらん。

    いくらたいとは言え、いつもお毒見どくみの手をてから出される、

    めての乾いたものばかりだでのう。

    野駆のがけにて適度な運動をなされて空腹の所にしゅんの、

    それも焼きたてのさんまは格別かくべつであろうの。


殿様:んん~~美味、美味じゃ!!

   これ、わりを持てぃ!

   あいや待て、裏がまだじゃ。それっ。

   【一拍】

   うむうむ、これほどの美味なるうお、しっかと味わわねばの。

   んむ、さんまと申すか! うむ、まっこと美味じゃ! うむ!


三太夫:…金弥きんや殿。


金弥:それ以上言われるな。

   おぬしと気持ちは同じじゃ。


殿様:ふう…美味であった! 美味であったぞ!

   頭と尻尾しっぽと骨が残った。

   そのほうたちにげつかわす!


三太夫:…。


金弥:あ、ありがたきしあわせに存じます。


殿様:しかし、世の中に斯様かような美味なるものがあるとはの。

   なぜに知らせなんだ。


三太夫:殿、恐れながら申し上げます。

    目黒においてさんまをしょくされましたるだん、何とぞご内密ないみつに願いま

    す。


殿様:む、がさんまをしょくすと、何かまずいのか?


金弥:御意ぎょい

   もしご重臣じゅうしんの耳に入りますと、我ら一同の不徳ふとくにて後で切腹せっぷく

   ということに相成あいなります。


殿様:ふうむ、さようか。

   しからばは口が裂けても、目黒においてさんまをしょくしたとは申さ

   ぬ。

   そちらの迷惑になるようなことはせぬゆえ、安堵あんどいたせ。


三太夫:ははっ!ありがたき幸せ!


殿様:では屋敷へ戻ろうぞ!


語り:すっかりご機嫌きげんうるわしく、お屋敷へ帰って参りました殿様。

   しかし夕餉ゆうげぜんにつきますと、いつものようにまた出てくる例の

   赤くて、ひらべったくて、めた赤いの。

   それを見た殿様、溜息ためいきと共に昼間食ひるましょくしたさんまの味を思い出します

   。


殿様:またこのうおか…。

   (ああ…昼間のさんまは美味であったのう…。)


金弥:殿、いかがなされました?

   はしがお進み遊ばされておらぬようですが…。


殿様:見よ、このたいを。

   毒々しい赤色じゃ。

   大きな目でにらみつけおる。

   可愛かわいげのないうおだの。


三太夫:【以下、声を落として】

    金弥きんや殿…。


金弥:昼間の一件であろうなあ…。


三太夫:いかにも…、よほどお気にされたようであったしなあ…。


金弥:しかし屋敷でお出しするわけにもいかぬでな…。


三太夫:うむ…。


殿様:それにひき比べ、目黒で出会でおうた、さんま…。

   あの黒々とした凛々しき姿、すらりとした体躯たいく、そしてあの悩まし

   げな眼差まなざし…さんまにいたいのう…。


語り:一度味わったさんまの魅力に、すっかりとりこになってしまった殿様。

   世の中は天下泰平たんかたいへいなもんですから、他に考えることもない。

   寝ても覚めてもさんま、さんま…夜明よあかししてもさんま、さんま…

   。そのうち思いあまってさんまが人間の形をとるんじゃないかってく

   らい、恋焦こいこがれてしまう。

   がれるあまりに恋わずらい、顔色がすぐれなかったりしてきます。


殿様:あぁこれ金弥きんや、また目黒などに参りたいのう。


金弥:はっははっ、目黒は風光明媚ふうこうめいびな場所につきましてーー


殿様:【↑の語尾に被せて】

   風光ふうこうなどはどうでもよい。

   そのおりしょくせし…何と申したかの、は忘れてしもうた。

   あのながやかなる…くろやかなる…、あの美味なる…


金弥:【↑の語尾に被せて】

   殿、との、何とぞその話はご内密ないみつに…


殿様:たわけめ、分かっておるわ!

   は目黒とは申した。

   目黒とは申したが、さんまとは申しておらぬぞ!


金弥:【声を落として】

   (いや、はっきり申されてますぞ、殿おお…!)   


語り:もういつ殿様が重役じゅうやくの前で口をすべらすのではないかと、

   ご家来けらいも身のほそる日々です。

   さんまの味を知った日から数日、殿様がご親類の大名だいみょうの屋敷に招か

   れることになりました。いわゆる園遊会えんゆうかいですな。

   大名だいみょうというものは普段食べたいものを食べられるわけではありませ

   ん。

   しかしこういうお招きされた時だけは、好きな献立こんだてを注文できると

   いうならわしがありました。

   さあ殿様、ここで言わなきゃいつ言うんだ、今でしょとばかり、

   声高こえたからかに宣言しました。


殿様:うむ、はさんまを所望しょもうするぞ!


家来:あ、按摩あんまでございますか?


殿様:何を申しておる。

   按摩あんまが食えるか。

   さんまじゃ、さんま!


家来:し、承知つかまつりました!


   【二拍】


   はあ、はあ…これ、包丁人ほうちょうにん


包丁人:はっ、ご親類のお殿様は何とご所望しょもうされました?


家来:う、うむ、それがな…、さんま、と申された。


包丁人:えっ、さ、さんま!?

    下魚げうおの?


家来:そうじゃ。


包丁人:いやいやまさか。

    あれ程のご大身たいしんのお殿様が、さんまなどをご存じのはずはありま

    すまい。

    今一度いまいちど聞き直された方がよろしいかと。


家来:た、確かに。

   すぐ聞いて参る。


   【二拍】


   殿様、恐れ入りますが今一度いまいちど、ご所望しょもうの料理をおおせ聞けくださりま

   せ。


殿様:なに、今一度?

   だからさんまと申しておるではないか!

   くろやかなる、ながやかなるうおである。

   よいか!


家来:は、ははぁーッ!


   【二拍】


   き、聞いて参った!

   やはり、さんまであった。


包丁人:ま、まことですか…。

    しかし、さんまのごとき下魚げうおは用意しておりませぬゆえ、

    急ぎ日本橋にほんばし魚河岸うおがしまで行かねばなりませぬ。


家来:わ、わかった、行って参る!


語り:さぁもう間違いない、それ急げとばかり親類のご家来衆けらいしゅうは馬を飛ば

   して日本橋にほんばしまで来ると、房総半島ぼうそうはんとうで取れたさんまをりすぐって

   帰って参りました。


家来:はあ、はあ…今戻った!

   さんまを手に入れて参ったぞ…これじゃ!


包丁人:ご苦労様にございます。

    しかし…さんまは油の強いうおじゃ。

    万一まんいち油にあたっては一大事いちだいじ、どう調理したものか…。

    !そうじゃ、まずはし器にて油をそっくり落とすのじゃ!


家来:お、おぉ…見事なまでにパッサパサだ…。


包丁人:よし…これで油はのぞいた。

    だがさんまは小骨こぼねの多いうお

    万一喉まんいちのどに刺さっては一大事いちだいじみな毛抜けぬきを持て!

    骨と言う骨を取り除くのじゃ!


家来:むむ…骨は全て取りけたが…身がもうクッタクタだ…。


包丁人:…。

    よし、残った身を丸めて団子だんごにし、お吸い物としてお出しするの

    じゃ!


家来:も、もはや原型げんけいをとどめておらぬ…。


語り:さんまというものは、炭火すみびで焼いて醤油しょうゆと大根おろしでいただくの

   が美味うまい、包丁人ほうちょうにんだってそれは分かっている。

   しかし油が強くて骨の多いものをそのまま出し、万一まんいちの事があった

   ら打ち首か切腹せっぷくか、包丁人ほうちょうにんもそればかり恐れて調理したもんですか

   ら、さんまはもう見る影もない。


家来:お待たせいたしました。

   ご所望しょもうのさんまにございます。


殿様:おお、待っておったぞ……む?

   これ、さんまを所望しょもうしたのだぞ。

   さんまと申すものはな、すべからくふちの欠けた皿に乗っておるもの

   だぞ。

   しかし、いちおう中身をあらためる。


   …!! このにおいはまぎれもなくさんまじゃ…!

   会いたかったぞ…そちも堅固けんごでなにより。

   どれ…んむ。


   【二拍】


   (ま、不味まずい…なんじゃこれは…!)


殿様:これ、直答じきとうを許す。

   このさんまはいずれにて仕入れた?


家来:はっ、日本橋にほんばし魚河岸うおがしにて、房州ぼうしゅうより取れたての本場ほんばのさんま、

   仕入れましてございます。


殿様:なに、日本橋にほんばし? それはいかん。

   さんまは目黒に限る。



終劇





・参考にした落語口演の演者様(敬称略)

三遊亭圓楽(五代目)

三遊亭圓楽(六代目)

春風亭一朝




「次はどの落語を台本に書き起こそうかなあー、他の人が書いてないのを優先で―。」


と思いつつあれこれ探した結果、4作目は目黒のさんまに決まった次第です。


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