29 Jan. 14032「恋い焦がれて」
サティは丘まで来ていた。一年ほど前に、月へと向かうジルゼのシャトルを見送ったあの丘だ。
ここは薄暗いから、気持ちを落ち着かせたい時に訪れる。自分の家からは距離があって、少し長い散歩になるが、今の気分だと家でじっとしていられないから、体を動かせてちょうど良い。
緑色と黄褐色が混在する芝生の上に寝転んで、コロニーの外をボーッと眺めていた。
もしかしたら、コロニーの外で働いているお兄ちゃんが見えるかもしれないという淡い期待を持って。
何度もここを訪れているが、流れ星をバイクさんのライトと見間違えたくらいで、それらしき姿はまだ見たことがない。
「あれ、サティか? こんな所で珍しい」
声を掛けてきた男の子は、ランニングシャツにスポーツシューズ、いかにも走っていますという格好をしていた。
彼は水族館でサティに告白してきた時より、顔が精悍になり、体つきもがっしりしてきた。
この丘は起伏に富んでいるから、そんな体を鍛えるにはピッタリの場所だ。
「あなたこそ、こんな所で何してるのよ」
何をしてるかなんて、見たらすぐ分かるけれど。
私はジト目で彼を見る。
「走ってたんだ。サティは?」
彼は軽く息を切らしながら、タオルで汗を拭う。
一月は冬の設定気温だから、結構寒い。これだけ汗をかいているということは、相当な距離を走ってきたのだろう。
「お散歩の休憩中よ」
嘘ではない。
休憩中に外を見ていただけ。
「最近、元気ないらしいじゃん」
彼は私の隣に腰掛け、持っていたドリンクを一気に飲み干す。
「そう? ここまで散歩する元気あるけど」
これは強がりだ。
元気がないのは本当。
それはお兄ちゃんのせいだ。全然会えない。
パパは「お仕事が忙しいんだろう」と言うけど、少しぐらい顔を出してくれてもいいのに。
頭に付けた蝶の髪留めに手を伸ばす。
最後に話したのは、この髪留めをもらった時。あれから、お兄ちゃんへの想いはどんどん募っていく。
「悩み? 相談には乗るよ」
彼の優しいセリフ。
告白を断って一年半。彼とは、ずっと友達として接してきた。
彼にはまだその気持ちがあるのかも知れない。それでも、その優しさが嬉しい。
「ありがと。でも大丈夫」
「ほんとに?」
「ええ、そうね。うーん……、コロニーの外に出てみたいんだけど、どうにかできそう?」
彼は目を点にした。
「あ……。ごめん、オレには無理だ」
「でしょ」
外に出られたら、お兄ちゃんに会いに行けるのに。
会って話したい。話したいことがいっぱいある。
でも、外は極寒の死の世界。全ては凍りついて、空気はマイクロプラスチックで汚染されている。調査隊でないと外には出られない。
彼が徐に立ち上がる。
「あのさ。オレ、スクール卒業したら、このコロニーを出るつもりなんだ」
「外に?」
「違うよ。東京コロニーへ行くつもり。やりたいことがあるんだ」
東京コロニーは、私たちのニライカナイコロニーから千五百キロ離れた所にある隣のコロニーで、世界で十本の指に入る巨大都市。
「サティはスクール卒業したら、どうするの?」
「そこまで考えたことなかったわ」
だって、今はお兄ちゃんのことで頭がいっぱいなんだもん。
昇り始めたばかりの月が光っている。ジルゼさんにお願いしたら、外に行けるのかな。でもどうやって?
「サティも走ってみたら? ちょっとした悩みなら吹き飛ぶよ」
彼の突然の提案に笑ってしまう。この悩みは、ちょっとしたものでも、吹き飛ばしたいものでもないんだけれど。
でも、じっとしているのは性分じゃない。
「良いわ。走りましょ」
私は立ち上がって走り出した。
置いて行かれた彼は、苦笑しながら追いかける。
「なんだ元気じゃん」




