花言葉 君言葉
「梅もすっかり満開だね」
民家の塀の上から覗く梅の花を足を止めて見上げ、悠里は呟いた。
平日は暗くてあまり見えない塾帰りの景色も、土曜日は夕方なのでまだ明るい。塀からはみ出るように伸びた枝に並ぶ淡いピンクの花がよく見えた。
「それ梅なんだ?」
隣を歩いていた隼人がさほど興味なさそうに返しながら、それでも悠里と同じように立ち止まって仰ぎ見る。
「桜と桃と梅ってどう違うかわかんね」
「興味ないとそうだよね」
潔く白状する隼人に笑い、悠里は再び歩き出した。
「梅の花言葉は高潔と……」
「白米サイコー」
花好きの悠里が花言葉を口にするのも、それを隼人が遮るのもいつものこと。
「……どうして」
「梅ってったら梅干しだろ?」
そして、隼人が主観的すぎる創作花言葉を繰り広げるのもいつものことだった。
通う塾が一緒であることから話すようになった悠里と隼人。
高校受験に向けての夏期講習で夏休み中も顔を合わせていたことから話す機会が増え、そのうちに同じ方向だからと隼人が悠里を帰りに送っていくようになった。
帰る時間は平日は夜でも土曜日は夕方。二月も過ぎれば六時を回っても暗くはないが、それでもこうして一緒に帰っていた。
受験が終われば塾も辞めることになり、志望校が違うのでこの先同じ高校に通うこともない。
こうして並んで帰るのも、もうあと僅かな間。
なんとなくそれを寂しく思う自分に、悠里は気付いていた。
恋というほどはっきりとした思いではなく。
しかしこうして一緒に話すのは楽しくて。
送ってくれるお礼だと言ってバレンタインにチョコレートを渡すと、隼人は普通にありがとうと受け取ってくれた。
義理ではなくお礼――。同じようで違うその理由に隼人が気付くわけもなく、特に反応はないままで。
変わらぬ関係に安堵する一方で、普段通りの隼人の様子にどこか落胆を覚える。
何かを変えたかったわけではない。
しかし、このままではただ終わるだけ。
刻一刻と近付く終わり。
それはわかっていても。
自分は一体どうしたいのか、悠里自身もまだわからずにいた。
「ありがとう」
「また月曜な」
いつものように礼を言ってくれる悠里にそう返し、隼人は自宅へ向かった。
途中目に止まった白い花に、これも梅かなと少し笑う。
悠里を送り始めてから、周りの花に気付くようになった。
花を見つけては嬉しそうに眺める悠里。自然と零れる花言葉からも彼女の花好きがよくわかる。
そんな彼女の話をいつの間にか自分も楽しみにしていた。
受験が終わると悠里と会えるのは学校だけになり、話す機会も大幅に減ってしまう。そして卒業してしまえば、もう会うことすらなくなってしまう。
悠里のことが好きなのかは、正直自分にもまだよくわからない。
しかしバレンタインにもらったチョコレートは、ただの義理チョコだとわかっていても嬉しくて。
この帰り道がいつまでも続けばいいなと思うくらい、悠里といる時間は楽しかった。
日々は忙しなく、互いに答えも出ぬままに。
やがて受験を終えたふたりは塾に行くこともなくなり、卒業式を迎えた。
「おはよう」
登校してきた悠里が、学校近くで隼人に気付いて声をかける。
「おはよ」
立ち止まって振り返った隼人。悠里が追いつくのを待ってから、自然と並んで歩き出した。
「卒業式だね」
「実感ないよな」
互いに話すのは今まで通り他愛もないこと。
これまでのこともこれからのことも口にしないまま、程なく学校へと到着する。
卒業式と書かれた立看板を横目で見ながら玄関ホールに入ると、いつもはない大きな花瓶が飾られていた。
支えるような緑の上に、淡い色合いの花々が広がる。ふわりと柔らかな印象のそれは、春の巣立ちを喜び、温かく見守るようだった。
「スイートピーだね」
生けられているフリルのような淡いピンクと紫の花を見て、悠里が立ち止まる。
「花言葉は門出。ぴったりだよね」
「まぁお寿司はお祝いに食うもんな」
うしろからスイートピーを見ていた隼人へと、驚きと呆れの混ざった顔で振り向く悠里。
「どうして急にお寿司が出てくるの?」
「ガリっぽいから」
波打つ花びらを見て屈託なく笑う隼人に、相変わらずだね、と悠里も笑みを浮かべた。
「佐竹」
ひとしきり笑い、歩き出そうとした悠里に隼人が声をかけた。
きょとんとした様子でどうしたのかと問う悠里へと、隼人は鞄の中から取り出した物を差し出す。
「下手だけど。あげる」
差し出されたのは絵手紙用のポストカード。
こちらを見るように五枚の花びらを開く、青紫色の花がいくつか描かれていた。
「長沢が描いたの?」
受け取った悠里が手描きであることに気付いて尋ねると、まぁ、と少し照れくさそうな声が返ってきた。
「本物用意できないから」
「本物って? 桔梗に似てるけど……」
「……ベルフラワー」
隼人の口から、悠里も聞いたことしかない花の名が出てくる。
「ベルフラワーの花言葉……知らないよ……」
じっと絵を見て呟いた悠里に、隼人はふっと笑った。
「俺にとっては餌付けだけど。佐竹はいつも通りそのまま取ればいいよ」
「餌付け?」
絵から隼人へと視線を移す悠里が、驚いたように瞠目する。
「雛がエサねだってるみたいだろ」
悠里に向けられていた和らいだ眼差しは、言葉とともにいつもの無邪気な笑みへと戻っていた。
自室に戻った隼人は、もう着ることのない制服を脱いでハンガーへと掛けた。
これでもう本当に卒業なのだと、今になってじわじわと実感が湧いてくる。
玄関ホールで話して以降、結局悠里とふたりで話す機会はないままだった。
バレンタインのお返しは学校には持っていけないので、少し早いが塾の最終日に渡しておいた。義理で渡されたチョコレートに意味のあるお返しをするわけにもいかず、そもそもまだ曖昧な己の気持ちに添う物もなく、結局は花モチーフのお菓子の詰め合わせを選んだ。
自分の中には悠里に伝えられるほどはっきりとした気持ちはない。しかしこのまま何も言わずに会えなくなってしまいたくなくて。
どうしようかと考えた末、花を贈ることにした。
悠里からたくさん教えてもらった花言葉。
ひとつの花にひとつの意味ではないからこそ、曖昧なこの気持ちを表してくれるかもしれないと。
そう願い、描いたベルフラワー。
届いているだろうか、と。吐息をついた。
その夜、悠里はじっと隼人にもらったポストカードを見ていた。
隣に置かれたタブレットには、青紫色で釣鐘型の小さな花が空に向かって咲く写真が映し出されている。
調べたベルフラワーの花言葉は「感謝」「誠実」「楽しいおしゃべり」「大切な人」――そのうちのどれが込められた意味かわからないが、あの帰り道を隼人も楽しいと感じていてくれたのだと思った。
暫く絵を眺めてから、タブレットを操作する。
この絵をもらい、その花言葉を知り、感じた気持ち。
一番強く浮かぶ気持ちを言葉に変え、花を探し。そうして見つけたのは雪華草。
次の日曜日、卒業記念にクラスの皆で集まる予定がある。自分も隼人のように絵を描いて、その時に渡せたらと考えていた。
何故かと理由を問われても、まだ自分の中に答えはない。それでも隼人に「また会いたい」と伝えたかった。
タブレットに映し出されている小さな白い花。
緑の中を雪片が舞うような。そんな花を描くのは少し難しそうだが頑張るしかない。
集まると雪の結晶のようにも白い花火のようにも見える雪華草。
隼人の目にはどう映り、どんな言葉になるのだろうか――。そう考えると笑みが零れた。
お読みくださりありがとうございます。
ご卒業を迎える皆様、おめでとうございます。
それぞれの門出が輝きに満ちたものとなりますように。