ディスペアー
「...レイ?おーい、レイー?」
「...なに?」
「大丈夫―――な訳はないか。ともかく、正気を保つようにするんだぞ、レイヴン・ヴェルドリア。公爵に任命されると言う事は、多大な領地を持つことにもなるんだぞ。エミリアの心配もいいが、今は目の前の事に集中しろ」
「安心できませんよ!僕がいない間にどんな酷い目にあわされるか...!」
「...何か観点がずれている気もするが」
エミリアが連れ去られてから二日。
魔神と化してしまったガイオの事、彼がガリアン候を魔人へと誘った―――というより強制的に変化させられた―――事を誰かが報告したのか、面倒なことに侯爵に任命されることになった。
正直なことを言えば、この反応は少々オーバーに思えた。ただ、あの場所がレギュリア大陸一の麦の生産場と言う事を考えると、そしてガルゴン王国の収益の一角をその輸出が占めていることを考えると、当然には思えなくてもある程度の理解はできた。
ガリアン候の領地がそのまま僕の領地になるそうで、正直なことを言えばガリアン候に擦り付けたい。
しかし、「また私が世界を司っていた邪神へと堕ちた彼の神に乗っ取られぬとも限りませぬので」と言われてしまうと言葉に詰まってしまうのだった。
アリオスとひとしきり話していると、何故かグレアがこちらを見ている気がしてそちらを見やる。
「どうしましたか?」
「いや、ちょっといい事を考えてさ」
「なんですか!」
目を輝かせた僕から少し距離をとると、グレアは言う。
「...僕みたいに、<平行人体>を使ってそれにガリアン候の護衛を指せればいいじゃないか」
―――
「...あ」
...はっきりと言えば、一切頭になかった。グレアの目線の理由に気付いて悶えていると、グレアは少し笑っていた。
「...何笑ってるんですか」
「いや、ちょっとドジなのがレヴァスに似てるなって思ってね」
確か、母親の名前のはずだ。顔も見た事がないからどういう人かは分からないけど、ドジだと言うのは実際僕にもあるし、それに...。
「...そんなに怖い顔してどうしたのかな?」
「いや、何でもないです」
見慣れた人物の笑顔が頭に浮かんできて、僕はその考えを振り払う。
「...でもまあ、それをガリアン侯爵様に言ってきますよ。これで面倒臭い貴族の鎖から離れられそうだ」
「...間違っている気がしないでもないが...まあ、取り敢えずはお前の好きにさせてやろう」
「<平行人体>!」
鼻歌交じりに僕と同じ存在を創ると、僕たちはガリアン侯爵がいまだに居住しているソレイン侯爵邸に走っていくのだった。
「...貴様は誰だ?この先にいるのは―――」
「ガリアン元侯爵ですよねー!『創世』が来たって伝えてくださーい!」
「...何を言っているんだ?まあ、ともかく帰れ。子供が来るところではないぞ」
「むう...。こんな見た目でももう成人してますよ?」
「いや、だからと言って侯爵様にすぐに会えるわけでは...」
『おや、あちらにおわされるは...レイヴン様!?』
遠くからガリアン侯爵特有の、嗄れかけた声。
遠くに見えた、全くみすぼらしくない『老いた理想の貴族』を体現したようなその老人に「おーい!」と呼びかけながら手を振る。
老体にはつらいだろうに走ってきたガリアン候に「こんにちはー」と挨拶してから、僕は横にいた僕を紹介する。
「こちら、僕じゃない僕である...仮称、ディスペアー君です!」
「誰が絶望だコラ。ま、僕にしても何も考えつかないからディスペアーでいいが。一応は僕がこの地の正式な領主と言う形とはなるが、生憎と僕には領土的・金銭的な野心があるわけではない。それについて、ガイオの出現が無ければ今日もこの地の領主であったガリアン・ディア・ソレイン候、あなたにこの地の領主代理を務めていただきたい」
ディスペアーの丁寧な言葉に驚いたのだろう、ガリアン老人は「あ、ええ...」と煮え切らない返しをし、逆に門番は何が起きているのか分からないとばかりに僕たちをそれぞれ15秒ほどづつ見ていた。
「...それだと、私が変わらずこの地を治め、ディスペアー様、そしてレイヴン様には税収を上納すればよろしいでしょうか?」
素直な瞳が痛い。これが、『じゃあ、俺が全てを支配してやる!お前ら平民などはいらねえ!』などと言う横暴な貴族であれば素手で切り裂いていただろうけども、こんな様子だからちょっとだけ苦手だ。
「いや、何もいりませんよ。...あ、そうだ。全部が終わったら、どこかの街をください。温泉街があるなら、そことか」
「温泉街...というと、グロイスですか。確かにあの地の税収は現地の温泉組織に入る収益の15%もの高税率を上げていますが...。」
真剣な顔で思案し始めたガリアン老人に、慌てて僕は言う。
「い、いえ、お金が欲しいんではなくて、そのグロイスっていう所の自治権をガイオを倒した後に下さい。それで、世界一の温泉街にしますから」
その言葉にガリアン侯爵は困惑していた様だった。ただ頭の中で疑念と困惑と恩義を秤にかけて圧倒的に恩義が勝ったのか、「分かりました。それでは、彼の魔神の恐怖よりこの世が解放された暁には、ガルゴン王国一―――いや、レギュリア一と言っても過言ではない温泉街を上納いたします」と返してきた。改まられるのはくすぐったい感じだった。
...勿論、平和になった後でエミリアたちと―――そして、ガイオと一緒に温泉に浸かるという夢のために必要だった、なんていえはしないけれど。




