しろい
爪先に何かがぶつかる感覚で、物語の世界から意識を取り戻した。活字から顔を上げれば、僕の足先には顔くらいの大きさのボールが転がっていた。もう少し顔を上げると、こちらに駆け寄ってくる男の子が見えた。
ボールを拾うべきか。どうせ、このまま放っておいても彼はここまで来て拾っていくだろう。話しかけられたくない。でも、ボールを無視して立ち去るのは流石に感じが悪い気もする。
瞬時にそれだけのことが頭をよぎり、両手は勝手に本をわきに置いてボールに伸びていた。
「…………」
靴の痕と砂で汚れたボールだ。また本を持つ前に、一度手を洗いたい。そんなことを考えながら立ち上がろうと姿勢を変えると、すぐ目の前に手が差し伸べられた。
「ボール、拾ってくれてありがとう」
陽の光を背中に浴びた小さな影が、僕を見下ろしている。コロコロと可愛げのある声は呼吸と共に少し弾んでいて、今は見えていないけど、きっと友人たちと今の今まで楽しく遊んでいたのだろう。
ボールについていた芝を簡単に払い落として、目の前のその手にボールを返そうと腕を持ち上げる。どういたしましても言えないのか、と自分の人見知りにはほとほと呆れる。せめて何か一言、とも思うが、なんという言葉が一番相応しいのかは全くわからない。ぐるぐると考えながらであったから、ボールを避けて僕の手首を掴もうとする小さな手に気付かなった。
「きみも、一緒に遊ばない?」
驚いて、ボールを取り落とす。逆光で見えないままの目の前の顔が、期待に満ちているのだろうということがなぜか手に取るようにわかる。
「……本、読んでるんだ」
「部屋でも読めるでしょ?」
少し、腕を引かれる。つられて立ち上がってしまい、そのまま渋々と涼しい木陰から進み出た。頭や肩を、容赦なく日差しが照らしてくる。うげ、とあからさまに顔を顰めてしまったからか、僕の手を引く男の子がくすりと小さく笑みを漏らした。
「きっと、日に当たらないと治る病気も治らないんだよ」
「……広場を使って遊んでいいって言われても、僕にはこんな広い場所……何したらいいかわからないんだよ」
「僕もわかんないよ。でも、生きているんだから、きっとなんでもできるし、なんでもしていいんだよ」
陽の光のように眩しい笑顔で男の子が笑う。少し暗い木陰から白く眩い日向へ引き摺り出されたことを咎めることすら憚れるような、清々しい笑顔だった。
不思議と、嫌な気分ではなかった。いつも目を細めて見つめることしかできなかった僕らの真っ白な病棟を、今日は少しだけ目を大きく開いて仰ぎ見ることができそうだと思った。