9話 JpnⅠ ジャパンダートダービー
7月2週 大井 2000m ダ 右
JpnⅠ ジャパンダートダービー
ご覧頂けますでしょうか?
この大勢の人々を!
ここ大井競馬場は、空前の賑わいを見せております。
まるでホクトベガが来たときのような人混み。もしかしたら、その時を超えるかもしれません!
それもそのはず、あの馬がこの大井競馬場へ来るのです。
誰もが「まさか!?」と思ったのではないでしょうか?
そう……ソヨカゼです!
あの牝馬二冠を既に達成しているソヨカゼです!
今まで、芝の上でしか走っていない同馬。それでもダートファンなら1度は見てみたい事でしょう。ソヨカゼが砂の上を走るところを!
その思いこそ、ここに大勢の人々が集まる理由なのでしょう。
なぜならソヨカゼの父は、あのダート国内最強馬と言っても過言ではないクロフネです!
そしてその最後の娘が、砂の上に来るのです!
一目その姿を生で見たくなるのも、当然だと言えます。
ですが、この大井競馬場を舐めないでもらいたい!
かつて、ハイセイコーが所属し、あのイナリワンも所属していたこの大井競馬場!
今年も、南関東所属馬は充実しています!
そして、各地のダービーを戦い抜いた強者たちも集まります。
ここに、迎撃体勢は整った!
今こそ、地方の底力を見せつける時です!
さあ、熱烈な歓迎をしましょう!
ここまでくると、ある意味で清々しい実況をレポターがしている頃、信忠は声を掛けられていた。
「初めまして、君が深森君だね。私は北海道で牧場を経営している吉野だ。霧隠さんも、お久しぶりです」
吉野?と疑問を浮かべるも、霧隠と同じように信忠は挨拶を交わした。
「ああ、弟とは以前会っているみたいだね。その話は弟から聞いている。その時から、君とこうして話をしてみたかった。ただ、桜花賞やオークスの時期はなかなか忙しいもので、こうして挨拶が遅れてしまった。改めて、よろしく」
信忠の脳裏には、牧場でその時期行われていることが浮かぶ。
「はい。4月は出産だし5月は種付けですから、仕方ないと思います」
その信忠の言葉を受け、吉野はとても嬉しそうに笑う。
「いいね、君。なかなか、それに気付ける人が少なくなったから、とても嬉しいよ。私のような牧場人にとって、1年で最も神経をすり減らす時期だからね。まあ、一般の人にそこまで理解されないことも、仕方ないとは思っているよ」
それは信忠には新鮮だった。
「理解されないのですか?」
「まあ、難しいだろう。君もその事は覚えておくといい。それにしても、君は見所がある。どうだい?ウチの牧場で働いてみないか?」
その突然の勧誘に、なんて断るべきか信忠が悩んでいると、霧隠がやんわりと、会話に入ってきた。
「吉野様も牧場の事となると見境いが無くなるところは、お父上とそっくりでございますね」
「あはは。確かに、亡き父もそういうところがあった。霧隠さんは覚えているかな。昔まだ私が半人前だった頃、父に連れられて真田さんの牧場を訪れた事があったのを」
「えぇ、また随分と昔の話でございますね」
「あの時、父が真田さんに「庭を見にきた」と言って、真田さんが「なんだ産まれた仔を見に来たのかと思ったが、庭でよければ好きなだけ見てくれ」と返された時の父を思い出した」
吉野は思い出し笑いを噛み締めながら言う。
「そんな事もございましたね」
2人が咲かせる昔話に、信忠はついていけずにいた。
その空気を敏感に感じとった吉野。
「あぁ。説明するとだ、その時私の父と君のお爺さんは同じ繁殖牝馬をセリで争っていたんだ。だが、父はセリ負けた。その繁殖牝馬のお腹には仔がいたんだが、父はどうしてもその仔を見たくて仕方なかった。それで、私を連れて口実を作ったという訳だ」
吉野は信忠の為に、ざっくりと説明をした。
「もしかして、お爺さんと仲が悪いのですか?」
あまりの直球に、吉野の目は点になる。が、表情を柔らかくすると答えた。
「師匠であり、ライバルであり、そして同じ夢を追いかける仲間」
「それは……」
「父の葬儀で、君のお爺さんが言った言葉だ。私たちのような牧場関係者というのは、一言ではいい表せないものだ。さて、随分と長話をしてしまった。ここらで失礼させてもらう。ソヨカゼの走りを楽しみにしているよ」
そう言い残して、吉野は去っていく。
吉野の話はいつも寡黙なお爺さんの別の顔を見れた気がして、信忠にはなんだか嬉しかった。
そして、外見は全く違うのに、吉野の姿が不思議なことにお爺さんと重なって見えた。
「さてと、こんなにも熱烈な歓迎を受けると嬉しいものね。地方交流の一貫とはいえ、JRA所属のソヨカゼが1番人気だもの。オークスの後、短期放牧をしたし体調も万全」
「むしろオークスで思いっきり走れたのが、よほど嬉しかったみたいだ。帰って来ても、浮かれてたくらいだよ」
信忠はその時のソヨカゼを思い出しながら言う。
「それでここに来ている訳なんだけど、牡馬混成もダートもこれが初めて。せっかく斥量も牝馬で優遇されてるし、ノブ君も同意してるんだから、負けてもいい。とにかく、絶対にレースを嫌いにならないようにして欲しいの。巴、出来るわよね?」
「任せて!つまり、ソヨカゼに気持ちよく走らせてくればいいのよね?」
「その通り!いい?無理せず終始馬なりよ」
念をおすように、智子は補足した。
東京都品川区にある大井競馬場の2000mは、スタートから最初の1コーナーまで直線で約500mある。
特色としてはコーナーがキツく曲がり難いため、内枠より外枠の方が有利だ。
そして、内枠のソヨカゼ。
『これが……中央なのか!?これがソヨカゼなのか!?馬体を傾けながら最終コーナーを曲がって来たが……』
えっと……
これでいいのよね。
『最期の直線に入っても、鞭は勿論追う気配すら見せない』
本当にいいんだよね。
ソヨカゼが楽しむ事を第1にするんだから……
『そして今、1着でゴール!ソヨカゼの圧勝だ!後続との差は10馬身近くあるぞ!?もはや別次元の強さだ!やはりダートも強い!見たか、これがソヨカゼだ!史上初の牝馬によるジャパンダートダービーの制覇だ!』
馬なり……ってこういう意味だっけ?
ま、いっか。
ソヨカゼが鼻歌を歌ってるみたいに、楽しんでいたんだから。
「叔母さん……」
「ごめん、ノブ君。あのバカ娘に、ソヨカゼの馬なりの意味を教え直しておくから」
ジト目の信忠に、智子は頭を抱えながら答えていた。そしてこの瞬間、智子の中でソヨカゼの長期放牧が決定した。
【ソヨカゼ】
ダート適性◎




