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5話 放牧


放牧


深夜4時、真っ暗な馬房の中で寝袋で寝ていた。そんな信忠に寄り添うのは、ソヨカゼの母ナヨタケ。

まるで「この子はいつまで経っても、甘えん坊なんだから」と少し呆れつつも、慈しむように信忠を見ていた。


その近くには、娘のソヨカゼも寝ている。昨日も雪の中を楽しみ、存分に遊びまくっていた。おかげで今も爆睡している。野生の危機感ゼロだ。

こっちもこっちで「仕方のない子」とナヨタケは愛おしそうに眺める。



雪を踏み、誰かが近づいてくる音にナヨタケの耳は反応した。

ナヨタケはすぐ芋虫みたいになっている信忠を舐めて起こす。


「んーー、おはよう。ナヨタケ」


いつものように挨拶する信忠。そこに現れたのは巴だ。


「おはよう、寝坊助。よく、ここで眠れるわね。寒くないの?」


「あー、おはよう。割と平気」


信忠は寝袋から出ながら、答えた。


「そう……まあ礼子伯母さんに会いたくない気持ちも、少し分かるけど。風邪引くから家で寝なさいよ。ナヨタケやソヨカゼにも迷惑でしょ」


「ん?なんか勘違いしてないか。確かにお袋のことは苦手だが、別に嫌いじゃないぞ」


「じゃあ、なんで正月に皆んなが集まる中で、1人ここで寝てるのよ」


それに何て答えるべきか、少しだけ頭の中を信忠は整理する。


「もしも馬房内で何かあったら……そう考えると落ち着いて家で寝れないんだ。ナヨタケがいる。ソヨカゼがいる。ここの方が遥かに安心して眠れる」


それは根っからのホースマンの答えだった。信忠にとって、馬は紛れも無く家族なのだ。


「そういうところ、素直に尊敬するわ。だから、お爺ちゃんは貴方を選んだのかもね」


言行一致する信忠に、巴は納得した。

信忠には後半の意味がよく分からなかったが。


ナヨタケと共に生活してきた。ソヨカゼが生まれる時も立ち会ったし、その後はナヨタケとソヨカゼと爺さんの4人で暮らしていた。毎日が幸せな日々。


飼つけ、馬房の清掃、馬具の手入れ、なんでもやった。

信忠にとってそれらは、やりたい事だった。業務だなんて考えたことも、思った事もない。


ナヨタケの為に何かしたい、ソヨカゼの為に何かしたい。その気持ちだけだ。


「それにしても、いつ見ても変わったところね。とても馬房とは思えないわ。出入り口からして、自動ドアだし」


巴の意見は正しい。その建物は日本家屋そのものだ。夏は涼しく、冬は暖かい。地面は土だ。どこまでも馬の為に考えられ、人の合理性など完全に無視した作り。

そして水場の水は、麓でワサビ農園が使うレベルの綺麗な水が流れ続けている。


漏電対策など、国家の研究機関に匹敵するくらいにはしている。

さらに獣医施設まで併設されていた。

たった一度、ナヨタケがソヨカゼを産む為だけに作られた。その施設を監修したのは獣医の礼子だった。


「そう考えると、ソヨカゼは偉いよな。なんかさ、出張先でカプセルホテルに泊まるサラリーマンみたい」


カプセルホテルって失礼な。と巴は言おうと思ったが、ここと比べれば仕方ない気がして黙る。


むしろ信忠の言葉に、「えっへん。偉いでしょ」と自慢気なのは、寝起きのソヨカゼだ。

そんな二人をナヨタケは微笑ましそうに眺めていた。







正月、真田家の食卓は賑やかだ。普段はお爺さんの真田仁と信忠が、静かに黙々と食べるだけの場所とは思えない。

当然、会話のメインは、仁の娘達だが。


「今年はチューリップからでしょ。やっぱソヨカゼなら楽勝?」


何気ない礼子の言葉に、智子はむせる。

智子と巴とその父は野菜たっぷりのスープが置かれ、礼子や信忠や仁にはそれを豚汁に変え、蕎麦を付けながら食べている。


騎手の体重管理は、死活問題だ。規定値を超えた場合は、騎乗停止処分になるくらいに。男性に比べれば楽とはいえ、智子の家庭では巴に合わせた食卓になっていた。

巴自身は周囲が何を食べていても気にしないが、入学時で体重制限45kgの騎手養成学校での生活が、ある意味で1番気楽だったのも事実だ。


「それがねぇ、かなり面白くなって来たのよ。武田君、とても良いわ」


娘の前ですら褒めたくなるほど、智子は武田和樹を高く評価していた。


「武田君?」


「えぇ、巴の同期で阪神JFの時、ソヨカゼに5馬身まで迫った子よ。しかもその翌週に同じ場所で、見事朝日杯フューチュリティステークスで勝ってるわ。それも牝馬でね。間違いなくチューリップか本番の桜花で立ち塞がるわね」


「あらら、大変じゃない」


「ふふふ。何言ってるの、これだから面白いんでしょ。巴、相手は紛れも無く天才騎手よ。叩き潰す気はある?」


「当然でしょ!」


野菜スープをゆっくりと味わいながら、巴は母の挑発に答える。


阪神JFでのレース映像、そこには直線で差そうにも他馬に進路を塞がれ、なんとか抜け出した後に猛追する武田の姿があった。

そして翌週のレースでは、その反省を活かし最終コーナー手前から外に持ち出して、見事差しきって勝っている。


「ね、面白いでしょ。それはそれとして、この後私たちは初詣に行くけど、姉さんやノブ君も一緒にどう?」


「あら、何処に行くの?」


「戸隠神社。軽い運動にもなるし」


智子のそれは、普通ではない。

雪の中、真っ白な参道は何処までも続く。巨木の杉並木は時代を超えたと錯覚すらしてしまう。


だが、山道だ。

それも積雪した山道だ。

その運動量は、決して軽いものではない。


「遠慮しておくわ」


「俺もパス」


礼子は運動が面倒だと思い、信忠は単にナヨタケやソヨカゼから離れたくなくて断った。







後日、ソヨカゼの使う馬具に一つのお守りが貼り付けられた。

黒地に金で縁取られ、赤い糸で卍が刺繍されている。


そこには『勝守』とある。

戸隠神社の御本社でしか手に入らないそのお守り。

祀られている神様は天手力雄命あめのたぢからおのみことだ。







【ソヨカゼ】

パワー:S→S+

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