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18話 GⅠ BCクラシック


10月5週 キーンランド 2000m ダ 左

GⅠ ブリーダーズカップクラシック


信忠が墓に花を供えに行くと、傍にいるアリスが話し掛けてくる。


「可愛い花ね。花言葉はなんて言うの?」


何故ここにアリスがいるのか、信忠にはよく分からない。

2回目にこの牧場へ来た時は、確か仇を討ってくれた事に対して、ソヨカゼにお礼がしたい。そんな理由だった。


3回目以降からは、もう理由がよく分からない。

そして、今いるのが何回目かも。


「生憎、花の名前も、花言葉も知らない」


活けている花を水ごと入れ替えながら、信忠は答える。


「名前も知らないで、どうやって買ったの?」


少し不思議そうにアリスは尋ねた。


「ん?買ってないぞ。花壇に咲いてるのを持ってきてるだけだ」


「ふーん。なら、私が調べてあげるわ!」


ぶっきらぼうに答える信忠に、アリスは提案する。


「いや、いい」


それを遠慮する信忠。


「なんで?」


「婆さんが好きだった花。意味はそれだけで十分だから」


目を閉じて、手を合わせ、アリスに答える。


「さ、用は済んだし戻ろうか」


「……ええ」


自分がドキドキしているのに驚きながら、アリスは信忠に答えていた。








信忠は以前、叔母である智子から聞いた話があった。


「こういうのって、母親である姉さんの役目だと思うんだけどなぁ……」


そうボヤきながら、智子は少しずつ話し始める。





それは智子が騎手養成学校の卒業を控えていた頃だ。

姉の礼子は獣医師として経験を積む為に、すでに動物病院で働き出していた。


その頃の2人の夢。礼子は牧場の家族が病気や怪我した時に、自分で助けてあげたいからだった。

そして智子は、いつの日か牧場の子供たちの背に乗って、大活躍するのを夢みていた。



だが、その2人の夢はある日突然、燃えてしまった。



ちょうど、仁が海外セリに参加してた頃。

仁の牧場の厩舎から火の手があがる。

真夜中の事だった。

火は瞬く間に燃え広がる。


それに偶然気がついたのは、真田仁の妻、真田義子さなだよしこだ。

たまたま寝付けなかった義子は、星空の下で大好きな花を見ようとした。



火災に気づいた義子は、直ぐに他の牧場スタッフに声を掛け、総出で消火にあたる。

黒々とした煙、スタッフの悲鳴、次々と飛び交う指示、なにもかもが虚しくなるほど、火は燃え盛る。


「やめて下さい!無理です!」


スタッフが必死に義子を止めていた。


「離しなさい!あそこには、お腹に子供を宿した母親たちと、子供たちがいるのよ!」


スタッフの制止を強引に振りほどくと、義子は燃え盛る厩舎の中に入っていった。


もう、スタッフにもただ見ている事しか出来なかった。





仁が急ぎ戻った時、その眼前に広がっていたのは、原形が分からなくなるほど崩れた厩舎。

真っ黒に焦げた、残骸。


そして、教えられたのは……

出火原因が恐らく漏電であること。



それと、愛する妻の死だ。



幼い頃から、男なら泣くなと育てられてきた仁。

誰にも涙を見せずに生きてきた。


その男が泣いた。

ボロボロと止めどなく涙を流し。

口を真四角に開けながら。


ただ、泣いていた。


「お、お、お、お、お、お、お」


その音は、魂が悲鳴を上げているように聞こえる。





この日を境に、真田仁は北海道の牧場を処分した。

そして、かつて妻と2人で過ごした故郷ふるさとの長野の山に行く。



その仁と共に居たのは、ナヨタケ。

義子が命を賭けて救う事が出来た、たった一頭の幼駒。

あの日の火災で大怪我をし、競走馬としては走る事の出来ない牝馬だった。




その娘が、アメリカの大地に立つ。








『やあ、みんな。お待ちかねの時間だ!ここ、キーンランド競馬場には国内だけじゃなく、世界中からトップブリーダーが集まってるんだ。彼らのお目当かい?ははは。決まってるじゃないか、アメリカが誇る最速にして最強の馬。ストームバンガードさ!塗り替えたレコードは数知れず、この日までの連勝記録は実に25勝!唯一の敗北は初戦の降着処分だけだからね。実質負けなしと言ってもいいぐらいだ。BCクラシックの連覇すら達成してるんだぜ?そして、今日勝てば3連覇だ!突撃前衛を意味するこの馬の記録、誰にも阻む事なんて出来ないってみんな信じてるだろ?なんと、そこに名乗りを挙げたのが、日本からやって来たキュートなラッキーガール、ソヨカゼさ!ストームバンガードが体調不良で回避したドバイワールドカップを、颯爽と持っていったのには驚いたよ。まあ、その幸運もここまでかもね。今日で引退が決まってるストームバンガードに、わざわざ日本からお祝いしに来てくれたんだ。歓迎しようじゃないか。漆黒のストームバンガードに、葦毛のソヨカゼが挑むなんて、最高にクールな日さ。黒き嵐に白き風、今日のキーンランドは暴風注意だぞ!』



各馬が一斉にスタートした。

ソヨカゼはいつものように、最高のスタートを切る。

だが、同じく最高のスタートを決めたのは、ストームバンガードだった。

巴が斜行を警戒して走る中、ストームバンガードの騎手は、恐れることなく果敢に内に寄せていく。


そしてあっという間に、内ラチにピッたりと張り付いた。



『わーお!最高の位置につけたのは、ストームバンガードだ!へいへい、いいのかい?彼がこの位置についたら、もう負けなしだぜ?』



巴は焦る気持ちを抑え、確実に少しずつ寄せていた。


幸いな事に、ストームバンガードが速すぎる為、馬群は直ぐに縦長になっていく。

そうして、ソヨカゼは2番手につけた。

先頭を走るストームバンガードから2馬身ほど離れて。



速い……

逃げ馬だとは知ってたけど

スプリンター並みの速さだ

ソヨカゼだって、かなりのスピードなのに……

少しずつ離されてる!?



『おーう!ソヨカゼのコーナーはクレイジーだね!まるで曲芸だ!ははは』



アスコット競馬場を攻略する為の特訓の成果は、別の形で現れる。

ソヨカゼと巴のコーナーでのスピードが、今までよりも速くなっていたのだ。



コーナー前、2馬身半あった差を1馬身半まで縮めれたわ。

やっぱりコーナーはソヨカゼの方が速いんだ。

でも……

直線で離されていく。

これじゃ、またコーナーで追いつけても最後の直線で……負けちゃう!?


どうしよう……

こっちが切り札を残してるように

相手も残してるだろうし


何か……何か、考えなきゃ



『クレイジー!ソヨカゼ!クレイジー!信じられない!とても信じられない光景だ!』



巴が起死回生に選んだのは、初めて和樹と対戦した時の方法だった。

最終コーナーでわざと大回りすると、そこから内に向けて加速しだした。


「行け!ソヨカゼ!」


コーナーからの加速、それは一気にストームバンガードへと襲いかかる。

最後の直線、ソヨカゼはストームバンガードにピッたりと並んだ。


それでも、巴の予想通りストームバンガードには余力があった。

騎手の鞭に応え、ストームバンガードはソヨカゼを引き離しにかかる。



せっかく並んだのに、それが頭差に。

そして徐々に離れ半馬身差に。



巴が精一杯、ソヨカゼの首を押してもその差は広がっていた。



もう、ダメなのかな……



巴の中に諦めが浮かぶ。

だが、ソヨカゼは違った。

ソヨカゼは、「まだ、頑張れるもん」と力を込めて行く。


それはソヨカゼにとって、初めて自分の中に生まれた『気持ち』だった。

ソヨカゼはその『気持ち』を大切にするように、ドンドンと力を込めていく。



馬にとって心臓は二つある。

第2の心臓とも呼べる脚に、ソヨカゼは渾身の力を込めていく。


そして体内に流れる血流を、限界を超えて流し始めた。

ソヨカゼは今、自分の意思で限界を超えようとしていた。


猛スピードで流れる血流は、膨大なエネルギーとなる。それはソヨカゼの身体を燃えるように熱くしていく。

周囲の大気すら熱するように。



巴にもその熱が伝わる。

ソヨカゼが限界を超えているサインだ。

巴は慌ててソヨカゼを止める。


「ダメ!ソヨカゼ、それ以上はダメなの!」


その巴の言葉は、ソヨカゼには受け入れられない。「やだ!」まるでそう言わんばかりに、ソヨカゼは更に力を込めていった。


「お願い!やめて!」


巴の悲痛な叫びが聞こえる。



残り100m

ソヨカゼはストームバンガードにもう一度並ぶ。

当然、ストームバンガードもそれぐらいじゃ引かない。引ける訳がない。



二頭の意地と意地が、激しくぶつかり合う。



互いに譲れない想いがそこにあった。








ゴールした後、巴はコースの上で頭を下げていた。

それは走り去っていく、馬運車に向かってだった。

左手で自分の胸を引き裂きかねないほど、強く、強く、握りしめながら。

硬く結んだ唇からは、血を流さんばかりに力を込めながら。



ただ……

いつまでも、頭を下げ続けていた。


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