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16話 GⅠ ヴィクトリアマイル


5月3週 東京 1600m 芝 左

GⅠ ヴィクトリアマイル


その日、巴は騎乗依頼で福島にいた。

ドバイワールドカップの結果に、大勢の人々から祝福を受けた。それは美浦トレセンの関係者だけではない。ソヨカゼのファンからも、そして栗東トレセンの関係者や他のJRAの関係者からも。いや、もう全ての競馬ファンからと言っていいだろう。


「見事だった。おめでとう」


福島で巴にそう声を掛けて来たのは、武田和樹だった。

それがソヨカゼの事なのか、それとも福島で勝った事なのか、巴には分からなかった。


「ありがとう」


それでも巴は、なんだか照れくさくなりながらも答えていた。


巴も騎乗依頼が増えたとはいえ、武田和樹とは勝利数が文字通り桁違いだ。

海外遠征の為に国内で騎乗出来なかった分を差し引いても、その差は明確だった。


「ツインターボみたいだったぞ」


その言葉は、和樹なりの誉め言葉。

その馬は、福島では伝説となっている馬だ。GⅠ どころかGⅡすら勝った事がない馬だった。それでも、歴代名馬100選に入っている。

福島ではポスターにもなっているし、その馬の名前を冠したレースもある。


七夕賞とオールカマー。

この2戦で見せた伝説の大逃げ。

もっとも誇り高き逃亡者。

それが、ツインターボだ。


だから、それで福島の事だと巴は察した。


「そこまで行くと、褒めすぎな気がするわよ」


「そうか……」


上手く褒めれなかったのが残念だったのだろう。その気持ちが和樹の表情に少しだけ現れていた。

だが、騎手の実力で考えたなら、巴とツインターボの騎手とでは雲泥の差があるのも事実だ。


「ふふふ。それより、武田君こそおめでとう」


そんな和樹の様子に、少しだけ可笑しくなる。

今度は、笑みを浮かべながら巴が祝う。


「ありがとう」


デビュー2年目にして、武田和樹は通算100勝を挙げていた。

同期では頭一つどころか、ぶっちぎりで飛び抜けている。


「武田君とは、ヴィクトリアマイルで勝負したかったわ」


それが残念だったのだろう。巴は言う。


「僕も同じ気持ちだ。ただ、それを言うなら何故今更ソヨカゼは牝馬限定に出走したんだ?」


まさかナナイロシップを避けて、とは言えない。巴は困る。


「いや、無理に答えなくていい。それにしても、今年の春シーズンは波乱に満ちていたな」


「ええ。本当に……」


和樹の言葉に同意しながら、巴は思い出していた。







波乱。その大波の第1波は大阪杯だ。

ここには、ラストブリット、カシスレーベル、シーズンスターといった有力馬が出走した。

ソヨカゼやアリスブラックが不在のレースで、最有力なのはラストブリットだと思われていた。


ところが、最後の直線でカシスレーベルが先頭に立ったところを、残り100mで差したのはシーズンスターだった。

カシスレーベルは二着。


それよりも、周囲に衝撃を与えたのは、1番人気のラストブリットがまさかの7着。

とくにレース中に不利があった訳でもないのにである。



この結果を重く見たヤシロRCは、カシスレーベルの次走をヴィクトリアマイルから春の天皇賞へ変更した。

距離不安が囁かれるなか、ラストブリットとカシスレーベルの二頭を天皇賞へ送り込む。


迎え撃つのは、シーズンスター。

だが、こちらも距離不安がある。


調子不安に距離不安と、不安だらけで始まった天皇賞。

レース開始直後から、馬群を率いて先頭を走っていたのはナナイロシップだった。

ダートから芝に変更したのも理解不能だが、結果はそれ以上だった。


二着のシーズンスターに2馬身差の、まさかの逃げ切りで1着。

春の天皇賞を制したのは、ナナイロシップだった。

そして3着には、カシスレーベル。



驚くことに、ラストブリットは初めての二桁12着に沈む。

これには、「もう、終わった」とラストブリットのファンも思った。

周囲から引退を囁かれるも、レース中に怪我があった事が判明。

ヤシロRCからは、ラストブリットの治療及び長期休養が発表された。

昨年の秋華賞後のスノーベリーに続くことになる。



この天皇賞の結果に驚かなかったのは、ナナイロシップの陣営と信忠陣営くらいだろう。「どうせ、可愛い子でもいたんでしょ」とは、智子の言葉だ。

フェブラリーステークスで惨敗した、天皇賞馬がここに誕生する。

ナナイロシップの熱烈なファン以外で、このレースを当てた人は少ないだろう。

まあ、どんな結果でもファン曰く、「だってナナシだし」の一言で全てが終わるのだが。



そしてソヨカゼはというと



『これが世界を制した力だ!圧倒的な力の差を見せ、勝ったのはソヨカゼだ!見事、1番人気に応えました!』



ライバル不在のレースは、楽勝だった。

ネットでは「ただの公開調教」と書かれるくらい、余裕で勝っていた。




しかし、信忠陣営は余計に悩む事になる。

芝に参戦して来たナナイロシップの存在。その所為で、ソヨカゼの次走を検討し続けていた。

智子に言わせれば、「ソヨカゼの天敵」である。


確かにレースに出れば、ナナイロシップに勝てる可能性は高い。

ただしその結果、ソヨカゼがレースに出たがらなくなるが。



宝塚記念ではなく、帝王賞にしようにもナナイロシップがダートに来ない保証もない。

ローテーションに悩む智子が発狂寸前になるのも、信忠にはなんとなく理解出来た。


結局、宝塚記念のファン投票の結果を待ち、ナナイロシップが何を選んだか確認してから決める事になる。





早朝、信忠の携帯が震える。

携帯を取り出して見ると、そこに表示された名前に驚く。

確かにドバイで連絡先を交換したが、電話がくるとは思っていなかった。


「はい……もしもし」


いったい何の用なのか、少し不安を覚えながら信忠は電話に出た。

ところが、電話からは声が聞こえない。


「もしもし?」


もう一度言うも、やはり何も言って来ない。

もしかして、携帯の故障なのかと思い携帯を確認したが、よく分からない。

仕方なく耳を澄ませていたら、微かに息遣いが聞こえた。


だから信忠は待つ事にした。

携帯を耳に当てたまま、ずっと待つ。

そしてアリスはゆっくりと話し始めた。


「……負けちゃった。私のアリスブラック、負けちゃったよ」


精一杯、戯けてみせたいのだろう。

それでもアリスの声が、泣いていた。

ドバイシーマクラシックの後、アリスブラックの次走はイスパーン賞だった。


「……ああ」


「負けたくなかった……ソヨカゼともう一度戦うまで、誰にも負けたくなかった。ごめんね、約束守れないよ。もう、2度とソヨカゼと戦えないよ……本当に、負けたくなかったよ……」


アリスは泣きながら、懸命に伝えていた。

それは、レースに負けた事ではなかった。

もう、勝負が出来なくなった事だ。


イスパーン賞の後、アリスブラックは屈腱炎を発症した。それは、もう2度とレースが出来なくなる事を意味していた。


「悔しいなぁ……本当に、本当にソヨカゼと戦いたかったんだよ。もう一度、次こそ、今度こそ、アリスブラックが勝つって……なのに、それなのに……もう、戦えないよ……」


嗚咽まじりに、アリスは言葉にした。

信忠に自分の気持ちを伝えようと、一言一言に心を込めて、口から出していた。


信忠はその言葉を黙って聞く。

一言一言を自分の心に刻むように。



そして信忠はアリスに応える。


「分かった……仇は討つ」


眉間に皺を寄せ、明るくなっていく空を睨みながら言った。


「……ありがとう」


アリスのその声は、少しだけ嬉しそうだった。






信忠はアリスブラックを倒した仇を調べる。

その相手はイスパーン賞からプリンスオブウェールズステークスへそしてKGⅥ&QESの予定だった。

今からプリンスオブウェールズステークスへは間に合ない。



信忠は初めてローテーションに口を挟む事にした。

今後もナナイロシップの動向を気にしなくてはいけないのかと、うんざりしてる智子に電話する。


「ソヨカゼの次走、KGⅥ&QESにして欲しい」




アリスの思い。

それは家族には言えない。

ライバルにだから伝える事が出来たものだった。


ライバルの仇は、ライバルが討つ。

信忠の闘志は、静かに燃えていた。

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