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10話 放牧その2


放牧 その2


「ご期待に応えることが出来ず、すみませんでした」


ソヨカゼ以外の馬にようやく騎乗出来るようになったが、巴は結果を出す事が出来なかった。


「うん。新馬戦に勝てたからいけると思ったけど、まだ条件戦はあの馬だと厳しいかな?」


「今後の成長に、期待すべきだと思いました」


「なるほど、メジロマックイーンみたいにかい?」


「ダイイチルビーかもしれませんが」


その言葉に柔和な顔の馬主の目は、一瞬だけ光る。


「……それは楽しみだね。また、騎乗して貰うかもしれないから聞きたいのだが、ソヨカゼの秋は紫苑かい?それともローズ?」


「まだ、未定です」


「そうか……それでは、また依頼する事がある時は、よろしく頼むよ」


馬主にお辞儀しながら、「こちらこそ、よろしくお願いします」と巴は答える。

そして、退出した。


そこに、巴とすれ違いながらその馬主の調教師が入って来た。


「彼女が有馬騎手ですか。正直、マスコミがやたらと騒いでいますが、彼女よりウチの専属騎手の方が上手いですよ」


馬主は苦笑する。


「だろうね。ウチの馬みたいに、差し馬の騎乗が下手なのは認めるよ」


「それでしたら、何故乗り替わりを?」


馬主は口を閉じ、少しの間考えた。


「新人騎手など、皆んな下手さ。それより将来を見据えるから、試してみたのだよ」


「将来ですか……彼女の場合、ソヨカゼ在りきの成績としか思えませんが……」


「そうでもないさ。長距離のメジロマックイーンではなく、短距離のダイイチルビーで返してきた。これは、君の考えと同じではなかったかな?」


「……スタートが下手なところまで見抜いたと?」


馬主はそれには答えずに、ただ楽しそうに笑っていた。









巴にチラホラと騎乗依頼が舞い込んでいた頃、智子は信忠にお願いをしていた。


「ねぇー、ノブ君。買い物に行こうよー」


智子を目の前にしながら、信忠は思いっきり溜め息を吐いた。


「……何をですか?」


「ふふふ。なんと!幼駒のセリがあります!とっても可愛い仔が沢山いるよー。ね、行こう?」


「確かに、可愛い仔が沢山いるだろう。だが、断る」


「な、なんだとぉー!?叔母さんを納得させる理由を答えなさい」


「ソヨカゼより可愛い仔などいない」


「あ、納得……」


してしまう。

が、智子にも事情がある。

信忠の場合、極端な話をすればレースなど出走しなくても大丈夫だ。

この牧場でノンビリ過ごしていけるだけの蓄えを、そもそも真田仁は持っている。


だが、智子はそうではない。

馬が預託されその馬がレースに出走して稼ぐ事で、収入が増えるのだ。そして、厩舎のキャパは限りられている。出来ればレースで勝てる馬を揃えたいのも当然であった。


それも、その素質馬を自分の目で見抜きたい欲求は、調教師なら誰もが持つものなのだろう。


「うー。今年は諦めるわ」


「だいたい、幼駒の値段いくらだと思ってるんだか」


「えっと……1000万くらいかなぁー」


智子は誤魔化そうとした。


「安くてな!しかもセリなんだから、ドンドン値段が跳ね上がるから」


「あらら。なんだ、知ってたのか」


惚けながら言う智子に、信忠は呆れる。少なくとも信忠の常識では、叔母が甥に気楽にお願いする金額では無かった。


「そんな事より、やっぱりローズは回避?」


「当然ね。巴のバカが、ソヨカゼを全力で走らせてるから。それに、秋華直行も悪くないわ」


「そうなのか、殆んど牝馬三冠を達成してる馬がローズを踏んでるから、それでローテーションに入ってたのかと思っていた」


「あら、ノブ君がジンクスを気にするタイプだとは思わなかったわ。ローズステークスを登録してたのは、ジャパンダートダービーを回避した場合を考えてよ。休養期間が長すぎると、ソヨカゼが鈍る可能性があったからね。でも、本心を言えば9月に走らせたくは無いもの」


「ん?それはまた……何故?」


「どの競馬場も夏の間に芝を張り替えるからよ。そして新品の芝の競馬場は、最高の良馬場になるわ」


「それって、良い事なんじゃないのか?」


「一概にそうとも言えないの。馬場が良好って事は、それだけスピードが出てしまうって事。その時期にレコードが出やすいのも、これが理由ね。でも、とても大事な事だけど競馬はタイムアタックじゃないの。勝ち負けを競うもの。勝てるなら、数センチの差でもいいのよ」


「つまり、速すぎると……」


「そう、それだけ危険って事」


信忠は智子の説明で、色々と納得した。

だからこそ、騎手はそのギリギリで戦うのだと。そして、そこに駆け引きが生まれるのだと。


「色々と知らない事ばかりだな」


「ふふふ。そうやって少しづつ成長するものよ。あそこにいるソヨカゼと一緒ね」


自分の若い頃の苦労を思い出しながら、智子は草地の上でナヨタケと向き合うソヨカゼを微笑ましく見ながら言う。


「ん?……ああ、確かにな。ま、ソヨカゼの場合は今、ナヨタケに怒られているけど」


その言葉に智子は驚く。


「え?そうなの……よく分かるわね」


信忠は普通だと、そう答えようとして止める。

吉野の言葉を思い出し、なんて言うべきか考えて黙った。


そこにソヨカゼが駆け寄って来た。信忠も立ち上がり、ソヨカゼの前に立つ。


ソヨカゼは信忠の前で止まると、首を下げて信忠のお腹を鼻先て突っつく。


「分かった、分かった」


そう答えながら、ソヨカゼを撫でる信忠。


「えっと、どうしたのかな?」


意味が分からない智子は、信忠に尋ねる。


「ん、ああ。ソヨカゼが川で遊びたいんだと。でも、1人じゃダメだとナヨタケに怒られて、俺と一緒に行こうって言ってる」


思わず、「本当に?」って言いたくなるのを智子は我慢した。

そこにナヨタケも近づいてきた。


「ナヨタケも、俺が一緒ならいいだろ?」


その信忠の言葉に、「まったく、仕方ないわね」とナヨタケは優しく見ていた。

その反応にソヨカゼは喜び、耳をピンと立てると、「早く!早く!」と信忠を鼻先でツンツンと押し始める。



そしてテキパキと鞍を取り付けると、信忠はソヨカゼの背に乗る。


「じゃ、ちょっとソヨカゼと川に行ってくるから。叔母さんのことをよろしくね。ナヨタケ」


そう言ってソヨカゼと走っていく。

そして、残されたナヨタケと智子。


ナヨタケは少し離れたとこにトコトコ歩いていくと、その場に座った。

信忠とソヨカゼが出て行ったほうを眺めながら。


「えっと、逆じゃないのかな!?」


その智子の言葉に、ナヨタケは片方だけ耳をピクピク動かして答えていた。



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